リック・サルヴィーノは、模型メーカーになることにした。 自分が欲しくて仕方なかったキットが、あの日、どこからも出なかったからだ。 すべてはオイルショックが原因だった。時のカーター大統領の演説ではないが、石油エネルギーの危機は、プラモデルを愛好するモデラーにとってこそ自由の危機だった。第2次世界大戦終結後、戦勝ムードとそれに伴うベビーブーム、大量生産・大量消費社会の到来によって生まれたアメリカ車のプラモデルは、自動車メーカーと手に手を取り合い、ひとつ車軸の両輪としてお互いの事業を拡大しあってきたのだが、かつてビッグ3が述べた「わが社の未来の顧客のために、最高の模型を作ってくれないか」という熱っぽい愛の言葉は「わが社の看板で商売をするのだから、わが社に相応の対価を支払うのが筋だろう」という冷たい言葉に変わった。1977年のことだ。 続く1980年代は、アメリカのカープラモにとって厳寒の冬だった