北九州市小倉北区の山中に、巨大な十字架がそびえ、平和な海を見守っている。高さ約20メートルある十字架は「小倉メモリアルクロス」と呼ばれる。朝鮮戦争の戦没者を慰霊するため、1951年に米軍が建設したものだが、実は太平洋戦争で被害を受けたフィリピンと日本との「和解」に一役買ったという。この知られざる歴史を調べたのは、元北九州YMCA(キリスト教青年会)総主事の安東邦昭さん(75)=同市小倉南区。「後世に記憶を伝えたい」と、調査結果の執筆に取り組んでいる。 安東さんは北九州YMCAに約30年勤務。北九州のYMCAの歴史を調べる中で、メモリアルクロスの秘史を知った。 朝鮮戦争で北九州は、駐留や補給の拠点だった。そして戦死した米兵の遺体が、戦場から戻る地でもあった。安東さんによると、多くのYMCAの学生たちが遺体処理に従事。心を痛めた学生たちは、朝鮮半島の方角を向いた碑の建設を米軍に呼び掛けたという