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戦争と地方に関するcinefukのブックマーク (2)

  • 朝日新聞デジタル:加藤完治氏の存在と影響力 - 山形 - 地域

    戦後70年 加藤完治氏の存在と影響力 満蒙開拓青少年義勇軍訓練所長を務めていた頃の加藤完治氏 山形市の会田庄一さんが保管していた加藤完治氏の書=山形市下宝沢 ◆ なぜ1.7万人 山形から旧満州へ 「加藤完治は、綿羊を育てていた祖父に会うため、うちに来たことがあるんだよ」。昨年7月、山形市下宝沢で郷土史を研究する会田庄一さん(90)から一枚の書を見せてもらった。 「ものみなは夢と消えゆく世にしあれど 消えぬは清き大和魂」。「昭和十一年十月」とともに「完」の署名が記されていた。 私は旧満州(中国東北部)に渡った人々に関する取材を始めたばかりだった。勢いのある筆遣いから、時間を越えた存在感を覚えた。 ◎ 「満州開拓の父」 加藤完治氏は「満州開拓の父」と呼ばれる人物だ。1931(昭和6)年の満州事変後の社会の中で、貧しい農村を救済するためには大陸への移民が必要だと政府や軍部に満州開拓の実現を働きか

    cinefuk
    cinefuk 2022/12/02
    「なぜ山形から多くの人々が大陸に向かったのか。それは、加藤氏の存在を抜きにしては考えられない。悲劇的な結末は見通していなかったにせよ、歯車を回し始め、動きを加速させた人物のひとりである事は間違いない」
  • 「田舎の戦争体験は、よく語られる都会人視点の体験とは少し違うのではないか」

    戦後70年で、戦争体験があらためて様々に語られています。 特に現在は年齢的に、実際に戦地に行った人が90代になりつつあることもあり、当時少年だった世代の「疎開」「空襲」「飢え」体験が多く語られます。しかしその時「疎開した」側と共に「疎開を受け入れた側」の体験もあるはず。そちら、地方・田舎側の戦争体験はまた違うのではないか?という問題提起が面白く、まとめさせてもらいました。

    「田舎の戦争体験は、よく語られる都会人視点の体験とは少し違うのではないか」
    cinefuk
    cinefuk 2021/05/27
    「戦後、農家に高価な着物を持って行ってわずかな芋と取り換えたという都会人の恨み節は繰り返されたが、必要以上の着物を押し付けられて食べ物を強く求められた農家の困惑は顧みられることはなかった。」
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