7月10日、甲南大学文学部より、本記事に関し、「掲載画像の一部が恣意的に切り取られ、悪意を持って解釈される可能性がある。甲南大学のキャンパスであることが特定できる写真、学生の顔が写っている写真を削除してほしい」との要請がありました。 なお、著者の田野大輔氏は、事前に授業を受講している学生には写真撮影の了承を得ていました。 上記の要請を受け、7月12日より、本記事のトップ画像、1〜2ページの画像を、削除するか、公開当初とは別の写真に差し替えています。 「受講生に制服を着させてグラウンドで行進や糾弾を行わせる『ファシズムの体験学習』という授業をやっています」 筆者がこう話をすると、たいていの相手は怪訝な顔をする。 「そんなことをして大丈夫なんですか?」 こうした懸念を抱くのも無理はない。何しろあの「悪の代名詞」たるファシズムである。ナチスを模倣したパフォーマンスを行うなど、いかにも問題がありそ
私たちが学生だった1970~80年代、また90年代前半あたりは、いろいろな意味で世界が全く違っていました。海外から本を1冊取り寄せるのは大変でした。 私たち洋楽の人間にとって、本とはまずもって楽譜です。フランスから1冊の総譜を取り寄せるのに何週間もかかったし、手に入った1冊は本当に貴重で、スポンジのようにそこから吸収したものです。 翻って今日、ネット上に驚くべき量の資料が、大半は無料でいくらでも転がっている。 ところが、それを丹念に追うといったことを、意外なほど若い人がしない。そういう出来事が続きました。具体的には学生なども関わることなので端折りますが、要するに、調べない。 当然、本も調べない。日本語で、簡単に手に入るネットで済ませる。邦文でも本で確かめるということはしない。 欧文などは、すぐにアクセスできるはずなのに、また中学1年以来、かなりの時間を英語に割いているはずなのに、日常生活で
元SEALDs 諏訪原健「奨学金借金1千万円の僕が嫌悪する安倍首相のキラキラ貧困対策」 連載「20代の処方箋」 20代の処方箋
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