開戦直後に「戦争終結」を構想していたアメリカ 日本が太平洋戦争を決議したとき、当時の政府および軍部は、戦争終結をどのような形で行うかについてほとんど研究しないで、というよりも、万事あなたまかせで突入した。一言でいえば、ナチス・ドイツのヨーロッパでの勝利をあてにして、そのときには、孤立して戦うアメリカは戦意を失うであろうから、有利な条件で講和にもちこめばいい、という非常に手前勝手な政策しかもち合わせていなかった。 いっぽうアメリカは、もちろん、日本が開戦した当初には、さすがに戦争計画を持っていなかったが、真珠湾攻撃によって戦争が始まった直後に、すでに戦争終結までの計画を構想しはじめている。 具体的にいうと、昭和十七(一九四二)年八月、開戦の翌年に、まず東アジア政策研究委員会を作った。もちろん、ヨーロッパにおける対ドイツ戦争の終結方策も同時に別なところで考えている。こうして昭和十七年八月から、