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中東に関するeveryloveryのブックマーク (7)

  • バハレーン紀行(2):シーア派住民が立ち上がるわけ

    先週、バハレーンではまだ未完の「アラブの春」が続いていた、と報告した。 そしてバハレーンのシーア派住民は、バハレーン政府や周辺の保守的湾岸諸国が危惧し喧伝するような、「イランの手先」というイメージとは、かなりかけ離れている、と述べた。私の見てきた反政府デモは、女性や若者、子供まで参加する、ローカルな集いだった。 なぜ彼らは立ち上がったのだろう? まだ20歳になるかならないかの普通の若者、女の子たちが「ハマド国王、退位せよ!」と叫ぶ理由は何なのか? デモ隊の主なスローガンのひとつに、「ミクダード師を釈放しろ!」というのがある。前回掲載した写真で、女性たちが掲げていたポスターの人物である。 彼はこの村のモスクの宗教指導者だ。日常茶飯事にかかわる訓諭から、人としてどうあるべきかの道徳、はては政治社会の不正に対する糾弾まで、イスラーム教の宗教指導者はさまざまな説教を住民に行う。コミュニティーの中核

    バハレーン紀行(2):シーア派住民が立ち上がるわけ
  • メディアが伝えないシリア国民の本音

    根強い支持 シリア国内では、アサドが権力の座に残ることを望む人も少なくない(2011年6月、首都ダマスカス) Khaled al-Hariri-Reuters アラブ諸国の民主化運動が一段落した現在でも、唯一シリアの混乱は収まっていない。国連によれば、アサド大統領による反体制派への弾圧で、これまで7500人以上が死んだ。だがシリアで続く反体制派蜂起は、どれだけ民意を反映しているのだろうか。 アメリカをはじめとする国際社会はアサド政権に対して非難を強めている。今年2月初め、国連安全保障理事会はアサドに退陣を求める決議案の採決を行った。 しかし、この決議案はシリアと歴史的に関係の深いロシア中国の拒否権行使で否決される結果となった。拒否権を行使したロシアのラブロフ外相は、アサド政権が崩壊すればシリアは内戦に陥ると主張する。自国の人権問題も非難されているロシアだが、この主張はあながち間違いではな

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  • 2012年の世界は今年以上に「大荒れ」か、欧州と中東に火種

    12月15日、欧州と中東に火種を抱え、来年は恐らく今年と同じぐらい「大荒れの年」にはなりそうだ。写真はエジプトの首都で反政府デモに参加する市民。1月撮影(2011年 ロイター/Goran Tomasevic) [ロンドン 15日 ロイター] 古代マヤ文明は2012年に世界が終わりを迎えると「予言」し、それに基づいた終末論も、年末年始の読み物として書店には数多く積まれている。世界終末論は別にしても、来年は恐らく、今年と同じぐらい「大荒れの年」にはなりそうだ。 2012年は米国とロシアとフランスで大統領選が行われ、中国ではポスト胡錦濤体制が始動する。欧州はソブリン危機の不透明感が晴れず、民主化の波を受けた中東は政治的動揺が続き、経済の悪化は世界各地でデモなどの混乱を引き起こす可能性がある。足元では、ユーロをめぐる不安が根強く、核開発を続けるイランをイスラエルが軍事攻撃するとの懸念も残ったままだ

    2012年の世界は今年以上に「大荒れ」か、欧州と中東に火種
  • 欧米諸国に裏切られ最後まで戦い続けたカダフィとリビアの緩慢な死――笹川平和財団アドバイザー・佐々木良昭

    News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 リビアのほぼ中間に位置する、地中海沿岸の街シルテから、南の砂漠地帯に10キロほど入ったところであったろうか。カダフィ(ムアンマル・アル=カッザーフィー)はその砂漠の中で、1942年に生を受けた。神童とも呼ばれるこの少年は、のちにシルテの街の学校で学び、ついには軍士官学校を優秀な成績で卒業し、リビア王国軍の軍人となっている。 成績優秀だったことから、彼は英国への留学を認められ、英国に滞在したことがある。一説によれば、彼はこの留学時代にリビア王国高官たちの、堕落した様子を見て発奮し、後にクーデターを起こすことになったと言われている。彼のクーデターは多分に、隣国エジプトのナセル革命に、触発

    欧米諸国に裏切られ最後まで戦い続けたカダフィとリビアの緩慢な死――笹川平和財団アドバイザー・佐々木良昭
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