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思想に関するlotus3000のブックマーク (579)

  • ララビアータ:トクヴィル - livedoor Blog(ブログ)

    前回読んだ時には、アメリカの司法制度と司法エリートの役割に大きな印象を受けたが、分量からするとずいぶん少ないページしか占めていないことがわかる。トクヴィルは、民主主義の下で自由を守るためには、司法権の確立が重要であることを当然に強調するが、とりわけ陪審制の意義について語られたくだりは(第一巻下 第二部第8章邦訳p−182以下)、それを読んで以来、私を一貫して陪審制度支持者にしたほどであった。 陪審制は各人に自分自身の行動に責任を回避せぬ事を教える。これは雄々しい気質でありそれなくして政治的徳性は有り得ない。…自分の仕事とは別の事柄への関与を強いる事で、社会の錆とも言うべき個人的利己主義と闘うのである。(p−188) 最近の司法改革で、我が国もようやく陪審制復活に向ってささやかな一歩を恐る恐る踏み出しつつあるが、それに対してさえ、まことに低次元の批判や躊躇が公然とささやかれている有様である。

  • オタクと表現と政治

    オタク政治、表現と政治オタクと表現と政治・・・と言う三つの話題について様々な方の発言をまとめてみました。一部、以前のまとめと重複があります。前のまとめ(奪還ってなに?)の続きとして見ていただいてもよいかも。

    オタクと表現と政治
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

    サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ
  • R・ポーター「啓蒙主義」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    岩波書店 2004年 文が100ページちょっとのであるが(それに10ページ以上の訳者解説と20ページ弱の参考文書、6ページほどの日語文献案内がつく。それぞれがとても充実している)、とても内容の濃いであると思った。 ポストモダン思想は一時の力をもたなくなったとされるけれども、それでも反=近代の思想はいまだに根強いものがある。しかし、わたくし自身は、近代をそんなに悪いものとは思っていない。 批判するひとにとっての近代とは、「科学」であり「産業」なのであり、さらには「進歩」であり「理性」なのであろう。西欧で、そういう進歩への信仰が決定的に失われたのが、第1次世界大戦のときである。その後、ナチズムがあらわれ、ソヴィエトも崩壊した。近代の評判が悪いのはよくわかる。それでもわたくしには近代というものがそんなに悪いと思えないのは、近代とは啓蒙思想に通じる何かなのではないかと思っている点にある。も

    R・ポーター「啓蒙主義」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • document

    1 三島三島三島三島・・・・天皇天皇天皇天皇・・・・超越超越超越超越 ポストモダン状況下のわが国において、三島由紀夫を再読する試み 志紀島啓 浅田彰は彼の最初の、そしてほとんど唯一のまとまった著作である『構造と力』1) のな かで、いわゆる「禁止と侵犯の弁証法」について以下のように述べている。 「監視が厳しいほどイタズラのスリルが増す、日常の規律が厳格であるほど祝祭の興奮が 高まる、禁止されているからこそ侵犯の快楽が身を灼く、といった愚にもつかぬ「弁証法 的関係」、いやむしろおぞましい共犯関係は、そのような秩序のもとでのみ成り立つものだ った」(『構造と力』p225、以下の引用では構造と略す) そして、さらにこれに関する注で「これがたとえば三島由紀夫がバタイユから読みとっ たもののすべてであり、その結果があの面白くもない兵隊ごっこだった」(構造p226) と書き添えている。 果たして、こ

    lotus3000
    lotus3000 2015/02/22
    三島の天皇制に対するスタンス。あと浅田彰の三島に対する沈黙について。
  • ララビアータ:稲葉振一郎氏への応答 - livedoor Blog(ブログ)

    稲葉さま 貴方のコメントは、貴方ご自身のブログに掲載されたものであり、わたくしへの私信ではなかったと思ひます。それゆゑ、わたくしがそれに応答しなかったことが礼節にもとるものとは思はれません。むしろ、他人のブログに出向いて行って応答を展開するのがご当人に迷惑なのではないかと忖度して遠慮してゐただけです。(もちろん、貴方がわたくしのブログにご訪問くださり、ご批判を頂戴することは、わたくしにとって迷惑などではありません。むしろありがたいことであるのは言ふまでもありません。)ご批判が周到な理解に裏付けられたものであり、応答が実りあるものになりさうな場合は、公開の場で反批判を組み立てるのも面白いかとは思ひますが、あなたのご批判は、もともとわたくしの問題意識を理解もせず、低次元の憶測に基づいてなされてゐるだけですから、応答には値しないと思ってゐたのです。それにもかかはらず、いけしゃあしゃあといっぱしの

  • 法華経成立の謎に迫る ― 大乗仏教理解、仏伝から考察 平岡聡氏 - 論・談:中外日報

    ひらおか・さとし氏=1988年に佛教大大学院文学研究科博士課程満期退学。ミシガン大留学を経て、94年に京都文教短期大専任講師となる。2002年に学位・博士(文学)を取得。04年に京都文教大教授、11年から同大副学長。00年に第42回日印度学仏教学会賞、03年に平成15年度浄土宗学術賞を受賞。 ブッダの成道と初転法輪によって呱々の声を上げた仏教の歴史だが、仏滅後、教祖ブッダ(仏)とその教え(法)の解釈をめぐり、仏教は多様化の道を辿ることになる。キリスト教も聖書の解釈如何で多様化する可能性もあったが、公会議という存在が解釈の多様性に歯止めをかけ、教義の一元(正統)化を図った。だが、その見返りとして、〈正統〉から外れた教義は〈異端〉の烙印を押され、表舞台からは姿を消すことになる。一方、公会議のようなシステムのない仏教の教義は多様化して統一を欠く反面、百花繚乱の思想を育んできたのも事実である。

    法華経成立の謎に迫る ― 大乗仏教理解、仏伝から考察 平岡聡氏 - 論・談:中外日報
    lotus3000
    lotus3000 2015/02/19
    法華経の構成に関する考察。/2015年3月3日追記 ヨハネ伝やパウロとイエスの関係に近いのかな。
  • イデオロギーを”消費”する人々 コンテンツとしての右翼と左翼、小林よしのりの功罪 | 軍荼利管理人ブログ

    イデオロギーを”消費”する人々 コンテンツとしての右翼と左翼、小林よしのりの功罪 2013-3-15 思想・哲学 外部サイト - - コメントを書く ネット右翼 ネトウヨはイデオロギー? >社会の底辺から抜け出せない「絶対弱者」が社会的弱者を虐げる状況を、小林よしのり氏はこう解説する。 最近、あちこちに出没する「ネット右翼」を見てて思うけど、「一億総消費者化」が進んでいる気がする。 例えば、仕事に関する話題でも、経営者の無能を論評する声が支配的で、社員が実際どうだったか、といった話は殆ど皆無に近いといっていいだろう。 自分が当事者として何か関わりがある、とか明日は我が身的な視点というのが絶無に近い状況になりつつ有ると思う。 そして グーグル、広告ブロックアプリを「Google Play」から削除 ”収益の柱である広告に干渉するな” の様に、自分の出費は伴っていない、顧客としての資格をそもそ

  • 「学問のひと」と政治(追記あり) - 擬似環境の向こう側

    学問は「私が一番正しい」ことを明らかにする 世の中には、同じ領域であってもまったく見解が異なる学問的立場というものが存在する。経済学は素人なので、確たることは言えないのだが、いわゆる近代経済学とマルクス主義経済学というのがそれに該当するのではないかと思う。しかし、全く立場が異なる研究者のあいだで激しい論争が起きるかと言えば、必ずしもそうではない。 というのも、お互いの出発点も認識もまったく違うので、話がそもそも噛み合わないのだ。むしろ、学問的論争というのは、立場はわりと近いものの方法論や認識のうえで見解を違える研究者のあいだで発生することが多い。たとえば、古いけれども、マルクス主義者の間で起きたミリバンド―プーランツァス論争などが想起される。 これは学問というものの性質上、仕方がないことだと言える。(自然科学については無知なので分からないけれども)人文社会科学の場合、研究は既存研究の批判的

    「学問のひと」と政治(追記あり) - 擬似環境の向こう側
    lotus3000
    lotus3000 2015/02/14
    政治と学問の違い。これは結構耳が痛い。多分マキャベリの自分の魂を捨てて祖国の救済を願うとはこういうことなのだろう。
  • 社会科学の精神 佐藤清文

    社会科学の精神 ~ジャンバッティスタ・ヴィーコの『新しい学』~ 佐藤清文 Seibun Satow 2010年5月8日 無断転載禁 「学問というのは、物が作られる、その作られ方の知識、精神が自己自身を客体とする知識のことである。なぜなら、学問とは、精神が諸要素を組み立て直すことであるから」 ジャンバッティスタ・ヴィーコ『イタリア最古の知恵』 中世以来、知識人は、いわゆる自由7科(septem artes liberals: セプテム・アルテース・リーベラーレース)に通じていなければならない。それは三学(trivium:トリウィウム)の文法学 ・弁証法(論理学)・修辞学、 四科(quadrivium:クワドリウィウム)の算術・幾何・天文・音楽によって構成されている。 ナポリの書籍商の息子ジャンバッティスタ・ヴィーコは、苦労の甲斐あって、1699年、ナポリ大学の修辞学第二講座教授に就任する。

  • P・F・ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(4)第4章「フロイトの錯誤とその壮大な試み」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    ダイヤモンド社 2006年1月 書ではこの章が一番面白いのではないかと思う。 ドラッカーは8歳のとき、一度だけウィーンの町でフロイトにあったことがあるという。そのとき両親がこういったのだという。「オーストリアで一番偉い人、もしかするとヨーロッパで一番偉い人にお会いしたのだよ」 ドラッカーの母は当時では珍しい女性で医学部をでたひとだったが、フロイトとその理論について批判的だったにもかかわらず、と。 ドラッカーによれば、フロイトについては3つの誤解が広がっているという。 1)貧しかったということ、2)ユダヤ人として差別されたということ、3)ウィーンの医学界に無視されたということ、の3つである。 このすべてが間違いである、とドラッカーはいう。フロイトは裕福であり、差別されたことはなく、その説は無視されたのではなく拒否されたのだ、と。その理由について、ドラッカーはまさにフロイトの理論を用いて説明

    P・F・ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(4)第4章「フロイトの錯誤とその壮大な試み」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • レヴィ=ストロース鎮魂のため数学野郎にお願い(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    レヴィ=ストロースが亡くなりましたにゃー。生きたまま即身仏になったのではにゃーかと思っていたけど、やっぱりニンゲンだったかー。 さて、僕の脳内のレヴィ=ストロース鎮魂のために*1、数学野郎・プログラム野郎どもにお知恵を拝借したく思いますにゃー。 お題は 平面上にいくつかの点がある。点と点が線で結ばれている。1任意の1点から出ている線の数はN。任意の2点を取り出すと、その2点は直接、あるいは、別の1点を経由してつながっている。このような状況が可能な点の個数の最大値は? 知り合いの数学野郎に聞いてみたのだけど、一筋縄でいかにゃー問題みたいですにゃ。 で、 なんでこれがレヴィ=ストロースに関係があるかについては以下で説明しますにゃー。 ダンバー数とは? 「人間とは何か」京大霊長類研シンポジウムレポート(前) - 地下生活者の手遊び 「ありもしないものを見る」のが人間@京大霊長類研シンポレポ(後

    レヴィ=ストロース鎮魂のため数学野郎にお願い(追記アリ - 地下生活者の手遊び
  • 壁新聞とやらかし続ける人々と逆張りの法則 - 黒猫亭日乗

    オレだってオーズは観ているんだぜ、ただしサブタイトルオンリーだけどな…と謂うことを言いたいだけのタイトルであるが(笑)、中身は結局ホメオパシー問題である。 識ってる人は識っての通り、年末間際になってJPHMAの壁新聞が更新されたのであるが、中身は相変わらずと謂うか、何処を切っても寅子節全開である。ミクシで我が式神とこれについて話してみたんだが、どうやら由井寅子がアピタルのプリントアウト片手に散々毒突いたものを手下がテキストに起こして適当に刈り込んだものじゃないかと謂う辺りで見解が一致した。 そう考えると、報道内容の全文引用とか全体の文章構造や論理性が緩くてダラダラ長いと謂う特徴について説明が附く。どうもあの文章の性格からして、書き言葉ではなく話し言葉が元になっているように思えるし、部分部分で論理がまったく一貫していない辺り、テキストで作成して推敲したらそうはならないような気がする。 いずれ

    壁新聞とやらかし続ける人々と逆張りの法則 - 黒猫亭日乗
  • 芸術崇拝と表現規制(敗北追記あり - 地下生活者の手遊び

    ツィッターで連続ツィートするくらいなら、粗くても短くてもブログに書こうという方針にしたので、思いつきをさらりと。 承前 ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン - Togetter 『ベイマックス』を見て日のクリエイティブは完全に死んだと思った 日においては、「表現の自由」という名目で差別表現が正当化されることが多いってのはまあ確かにソノトオリなんだと思いますにゃー。じゃあだからといって、表現の自由を理由に差別表現をも許容する人たちをただちに差別主義者といってしまってよいかというと、これはそんなに簡単な話ではにゃーとは思うのですにゃ。 絶版になっちゃってて手に入れにくい(あっても古クソ高い)のでリンクしにゃーけど「芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神: 松宮 秀治」という書籍を以前に友人から借りて読んだことがありますにゃ。 刺激的な議論を展開しているので、ウェブ上に

    芸術崇拝と表現規制(敗北追記あり - 地下生活者の手遊び
    lotus3000
    lotus3000 2015/01/12
    これの補足で伊藤整あたりを読むとさらに厄介なことになる。
  • 二分心 - Wikipedia

    二分心(にぶんしん、英: Bicameral Mind)は、ジュリアン・ジェインズによる人間の心の仮説である。1976年の著作『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』[1](英: The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind[2])により提唱された古代人の意識についての仮説である。 概説[編集] ジュリアン・ジェインズは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、西洋古典学・神話学・考古学・心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から約3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。 ジ

  • あくせくなう(消費税19%まで620日) on Twitter: "在特会のようなヘイトスピーチを行う人々は、 ある種の依存症なのですね。 「次第に使用量が増えていきます」のくだりが、ドラッグへの依存のようで面白いです。 http://t.co/o6lOCEOq6W"

    lotus3000
    lotus3000 2014/12/13
    ヘイトスピーチの依存症構造を考えたことがあるけど、まさにドンピシャな図があったとは。
  • 中二病はお早めに - lawの日記

    はあちゅうのおかげでなんかわかった気がするよ - 【B面】犬にかぶらせろ! 人は、「これまでのあなたの信じていた常識は実は間違ってるんです」。っていわれて、ちょっとつじつまが会う話を持ち出されるところっと信じる。多分「自分だけが知っている事実」みたいなのに弱い。 まったく持ってその通りだなと思います。私の妹は数年前に学校の先生になりまして、組合活動等に参加するようになりました。すると急に靖国問題、憲法や教育法の改正問題に対して怒りを覚えるようになったらしく「小泉は間違っている」的なことを言うようになりました。今まで全然政治などには興味の無い、理屈っぽさの欠片もない子だったので急激な変化に驚きました。で、それとなく聞いて見ると、周りの教師たちからこの引用のようなロジックでうまく誘導されているようでした。 私は元々やや左寄りの人なので、別に護憲で靖国反対の妹になっても構わなかったんですが、

    中二病はお早めに - lawの日記
    lotus3000
    lotus3000 2014/11/29
    この成熟はまわりの環境とかもあるからむづかしいよな。大人になるとはそのような偏りを引き受け、結果責任をも持つことだと思う。
  • 坂部恵『理性の不安』 - martingale & Brownian motion

    原発の議論を眺めていると、どうしても、ある「理性の限界」を超えているのではないか、という印象がぬぐいきれない。 それは、ウルリヒ・ベックのリスク社会論が検討した、問題そのものだっただろう。 自分たちがコントロールできない。そして、チェノブイリから、スリーマイルが起き、今回の副島となった。 そこで、では、それでも「動かし続ける」と決断する、世界の国々は、では、400年や1000年のレベルで、 何回の深刻な事故 を起こすことになるだろうか。もちろん、その間にも、チェノブイリ、スリーマイル、副島、それぞれの地域は少しずつ回復していくのかもしれないが、そういった期間で考えるなら、どう考えても事故がまったく起きないように思われない。 (まあ、それくらいの期間で考えれば、当にものすごいタイムスパンで一回起きるかどうかの、さらに大きな地震や津波。また、隕石による、地球の大激変、テロ、こういったことも想

    坂部恵『理性の不安』 - martingale & Brownian motion
    lotus3000
    lotus3000 2014/11/23
    理性の夢。カント哲学が生まれてくる経緯。それまでのサロンの名ハスラー・カントから時計のような男になるまでにあったこと。
  • 萌えの氾濫に批判的な人たちが見たくないのは美少女ではなく、あんたらの「おちんちん」なんだよね - Togetter

    萌え文化については、是非論を括弧に入れても、性的関心がここまで白昼堂々かつ大規模にコミュニケートされる社会ってどうなのよ、というのはあるよな。要するに公然色情狂社会。 昔はさほどでもなかったわけだから、強調するけど是非論を括弧に入れてもこれは歴然たる顕著な変化なのだよね。

    萌えの氾濫に批判的な人たちが見たくないのは美少女ではなく、あんたらの「おちんちん」なんだよね - Togetter