前回読んだ時には、アメリカの司法制度と司法エリートの役割に大きな印象を受けたが、分量からするとずいぶん少ないページしか占めていないことがわかる。トクヴィルは、民主主義の下で自由を守るためには、司法権の確立が重要であることを当然に強調するが、とりわけ陪審制の意義について語られたくだりは(第一巻下 第二部第8章邦訳p−182以下)、それを読んで以来、私を一貫して陪審制度支持者にしたほどであった。 陪審制は各人に自分自身の行動に責任を回避せぬ事を教える。これは雄々しい気質でありそれなくして政治的徳性は有り得ない。…自分の仕事とは別の事柄への関与を強いる事で、社会の錆とも言うべき個人的利己主義と闘うのである。(p−188) 最近の司法改革で、我が国もようやく陪審制復活に向ってささやかな一歩を恐る恐る踏み出しつつあるが、それに対してさえ、まことに低次元の批判や躊躇が公然とささやかれている有様である。