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ハリポタに関するmsdbkmのブックマーク (2)

  • ハリポタが放送されるたびに思うこと。

    ハリポタが地上波で放送されるたびにスネイプ聖人ジェームズ畜生扱いする人がよくいる。 個人的な見解だけどハリーポッターには聖人も畜生もいなくて、ただどんな登場人物も結局のところ一人の人間であった、という話だと思う。 中心的な人物には皆美点と欠点があってだからこそ根強いファンの多い作品だと思うのに、単純なラベル分けで終わってしまうのではあまりにもったいないと思う。 主人公最大の庇護者でまるで神のようだったダンブルドアも過去のあやまちに苦しみ結果的に死を招く(直接的にそれで死んだわけではないけど)人間であったし、最大の敵として立ちはだかるヴォルデモートもまた人間だったと思う。 原作ではハリーとの短い問答の末、たった一度の呪文でごく普通の人間と同じように死んでいる。正直映画の肉弾戦ありのやたら長い戦闘シーンと塵になって消えるところはやり過ぎだと思った。 同じようにジェームズも十代の頃は自分の才能に

    ハリポタが放送されるたびに思うこと。
  • ハリポタに思うこと

    一言で言えば、「いや児童文学だろ?」とツッコミたくなる。 ずいぶん昔から、のブームやら映画化やらのニュースを見聞きしてきたが、 どうも日では大人の商売事情ばかり見え隠れしていて、肝心の子供が置き去りにされている印象すらある。 そもそも、大の大人が必死になるようなもんなのだろうか。 例を挙げよう。私の地元は『ズッコケ三人組』シリーズの舞台、稲穂県ミドリ市の元ネタとして有名だが、 そこに熱狂的な外人がやってきて、「ここがアカツキ書店の元になった屋か!」とか言ってたらどうだろう。 一応その場は適当にごまかすかもしれないが、内心ものすごくドン引きである。 児童文学なんてそんなもんではないか。 これが子供向けアニメや特撮だったらどうか。確かに、いい歳こいてはまる大人というのは山ほどいる。 しかし、それがどちらかといえば恥ずかしい趣味だという自覚は彼らにもあるだろうし、 何より、あくまでメインの

    ハリポタに思うこと
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