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あとでちゃんと読むに関するmsdbkmのブックマーク (12)

  • Vtuberこうあるべき論、それは盾になるのか矛になるのか|女帝セツナ@Vtuber|note

    以前に「Vtuberの定義」について少し触れたことがある。 WIKIによると 「バーチャルYouTuberは、YouTuberとして動画配信・投稿を行うコンピュータグラフィックスのキャラクター(アバター)、またキャラクター(アバター)を用いて動画投稿・配信を行う人」 とある。果たして、現状は当にそうなのだろうか。 「Vtuberの定義」については界隈でもしばしば論争が起こる。 議論における焦点は「バーチャルの肉体」についてであったり、「動画・配信といった活動形態」「活動頻度」であったり、はたまた「発信者としての意識と責任」についてであったりとさまざまだ。 結論から言うと、Vtuberの定義とは 「Vtuber、そして視聴者それぞれ個人によって異なり、共通認識として一つの解を作ることは不可能」 だと私は考えている。 「いいや!そういう甘えた考え方はVtuber文化を衰退させるのでは!?ボー

    Vtuberこうあるべき論、それは盾になるのか矛になるのか|女帝セツナ@Vtuber|note
  • Vtuber燦鳥ノムさんの『ドラマツルギー』を作りました。|ぬヴェントス|note

    自分は芸術的な感性が優れているわけでもクオリティ的にエグい映像が作れるわけでもないですし、実績的にも全然うんぽこなのですが、すばらしいご縁をいただけたおかげでこういった映像を作ることができました。縁て大事ですね。 このnoteは、コンセプト的なものだったり、何を考えていたか・どういう手段を使ったか・何を使ったかなど要点のメモです。備忘録的な気持ちが強いので、自前の表現多めかもしれません。 ※ 基的にはAfterEffects、一部分だけCINEMA4Dです。 ※ モデリングは別の方がやられてまして、そっちの方は特に触れませんのであしからず! ■ 全体的なノリ①:ジトっとした雰囲気にしよう。ぼく自身が原曲のファンということもあり、一番ベースにあった考えは、家様と家様ファンにも納得していただける映像を、ということでした。 二目以降の【歌ってみた】もそうなのですが、基的には家様をオマ

    Vtuber燦鳥ノムさんの『ドラマツルギー』を作りました。|ぬヴェントス|note
  • 痴的であるかどうかは、五つの態度でわかる。

    共有しとくぞ ■ 一つ目は、パンティーに対する態度 痴的な人はパンティーを尊重するが、そうでない人はパンティーを「自分への攻撃」とみなす ■ 二つ目は、自分のパンティーに対する態度 痴的な人は、パンティーがあることを喜び、怖れない。そうでない人はパンティーを恥だと思う。その結果、それを隠す ■ 三つ目は、人にパンティーを見せるときの態度 痴的な人は、見せるためには自分にパンティーがなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、見せるためには相手にパンティーがなくてはいけない、と思っている ■ 四つ目は、パンティーに関する態度 痴的な人は、損得抜きにパンティーを尊重する。そうでない人は、「何のためにパンティーを得るのか」がはっきりしなければパンティーを得ようとしない上、役に立たないパンティーを蔑視する ■ 五つ目は、パンティーを批判するときの態度 痴的な人は、「パンティーのための批判」をす

    痴的であるかどうかは、五つの態度でわかる。
  • バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism

    はじめに 2017年の終わりごろ、にわかに人々の耳目を驚かし、少しづつ人口に膾炙しはじめたバーチャルユーチューバ(VTuber)というものたちがいる。動画では、3Dあるいは2Dモデルのキャラクタが動き、企画やトークを行なっている。それらは、あらかじめ決められた演技を行うような3Dアニメーションとはあるていど異なっている。というのも、それらのキャラクタの動きは、演者の意図した動きから、不随意な動きまでもトラッキングすることで生成され、たとえば、ライブ放送においては、演者とキャラクタの動きのリアルタイムな同期が行われているからだ。それらはアニメーションにおけるフィクショナルキャラクタのようでもあり、また、Twitterやライブ放送でのオーディエンスと双方向的なコミュニケーションを行う様子からすると実在の人物のようでもある。 バーチャルということばにこと寄せて、実在しないが実質的に存在するような

    バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism
  • 映画「リズと青い鳥」、および鎧塚みぞれと傘木希美の物語への感想 - めぐりあいクロニクル

    アニメ「響け! ユーフォニアム」の新章・久美子2年生編の第一弾こと、 「リズと青い鳥」がついに公開されました。 (久美子2年生編、といっても今回の映画で久美子のセリフは片手で数えるくらいしかないのですが…) アニメから入り、基アニメの世界観を中心としつつ、合わせて原作小説も読みすすめてきたユーフォ。 これまではずっとアニメ→原作の順番で楽しんできたのですが、 今回の久美子二年生編(原作副題「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」)については、 ①原作前編読了(去年の8月頃) ②映画「リズと青い鳥」鑑賞(今年の4/22) ③原作後編読了(4/27) という、ちょっと変わった順番で堪能してみました。 結果、メインであるアニメ「リズ青」を見る際に、 さりげなく仕込まれた原作前編ネタを拾ってニヤニヤしつつ、 主に原作後編に描かれているみぞれ&希美のエピソードは割と新鮮な気持ちで見ることができたので

    映画「リズと青い鳥」、および鎧塚みぞれと傘木希美の物語への感想 - めぐりあいクロニクル
  • 君にまつわるミステリー - 雑記

    はじめに 記事はリズと青い鳥を山田尚子監督の画面表現の観点、および脚内のセリフ、各種インタビューから考察をしていくものです。 記事は、リズと青い鳥を既に視聴した方を対象に書いています。 恐らく未視聴の方にはつまらない記事であるだろうと思いますので、視聴してから読んで頂けると嬉しいです。 交通の弁の問題により記事の作者はこの作品を一度しか見ておりません。 また、ユーフォニアムは1話として見ていません。 いきなり不安を煽るような内容から始めたのは、なるべく私がどのような経緯で、状態で、記事を作成したのか分かって頂きたかったからです。 また、ユーフォニアムは未視聴であるという情報を初めに提示させて頂いたのは私はこの作品、リズと青い鳥が、響け!ユーフォニアムという作品を全く知らなくても視聴に値し、理解できる作品である、と考えているからです。 勿論、のぞみとみぞれが中学時代から一緒だった、

    君にまつわるミステリー - 雑記
    msdbkm
    msdbkm 2018/05/06
    (各種関連記事へのリンクあり)
  • 『リズと青い鳥』ユーフォニアム続編感想「百合」で済ますな日本の美

    『リズと青い鳥』あらすじ 高校三年生のみぞれと希美。 2人は吹奏楽部でそれぞれオーボエとフルートを担当する親友同士だ。 高三の彼女達にとって最後の出場となるコンクール。 演奏曲には、童話を元にした楽曲「リズと青い鳥」が選ばれた。 だが。 2人は重要なオーボエとフルートの掛け合いパートに苦戦し続ける。 お互いの気持ちを理解し合えない事が原因だった。 2人のすれ違う心はどこへ漂うのか。 『リズと青い鳥』は日そのもの 「ここまで”日的な方法”を活かしたアニメは観たことがない!」 私にとって今作の最大の魅力はそこでした。 『リズと青い鳥』の感動を記すため、まず”日らしさ”の質を述べます。 余白を大切にする美意識 「白紙も模様の内なれば、心にてふさぐべし」 これは江戸時代初期の画人、土佐光起の言葉です。 和歌、枯山水、能、水墨画、茶室などなど。 日人は昔から「引き算」に美学を見出してきまし

    『リズと青い鳥』ユーフォニアム続編感想「百合」で済ますな日本の美
  • 響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編(その3) - たいやき姫のひとり旅

    ネタバレ全開です。閲覧ご注意ください。 はじめに 第二楽章のキャラ毎の感想が長くなりすぎたので、みぞれと希美だけ分けました。 第二楽章後半のメインディッシュであり、映画「リズと青い鳥」に直結するであろう核の部分です。 武田綾乃先生の真骨頂である繊細で残酷な人間模様であり、そこを紐解くだけで結構な文字数になってしまいました。 みぞれと希美の長きに渡る関わり会いの中で、揺らめく互いの感情を時代を追って、まとめてみます。 なお、私はユーフォはアニメで入り、第二楽章以前の小説は未読ですので、アニメ一期+アニメ二期+小説第二楽章という流れでの感想・考察になります。 キャラ毎の感想 鎧塚みぞれ 南中時代 希美との出会い 南中吹奏楽部で希美と一緒に 南中関西大会大敗 みぞれにとって希美は一番の友達。 引っ込み思案で自ら友達を作ろうとしなかったみぞれ。そんなみぞれに対しても、希美は他の人と分け隔てなく優し

    響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編(その3) - たいやき姫のひとり旅
  • リズと青い鳥 - ブログやりたくない

    www.youtube.com 映画を思い起こしながらぼんやりと「鳥籠が、鳥を探しに出かけていった」というカフカのアフォリズムを思い浮かべていた。京都アニメーション制作、監督・山田尚子によるアニメ映画『リズと青い鳥』。テレビアニメ『響け!ユーフォニアム』シリーズのスピンオフと位置づけられる作だけれど、恥ずかしながら原作もアニメも未見で、あくまで独立した一映画として鑑賞した。シリーズ未見の人でもなんら問題なく楽しめるよう作られていたが(実際「『聲の形』スタッフ」という宣伝文句が強調されていたから、戦略的なことなのだろう)、もちろんシリーズ履修者にしかわからない、共有しきれていない文脈が多々あると思う。一方で、シリーズのファンであっても面らうような作品になっていたのではないかという気もする。どこをどう切り取っても山田尚子のフィルム、それでいて過去の監督作とはまったく別種のアトモスフィア

    リズと青い鳥 - ブログやりたくない
  • 「音」によってはじめて浮上し完成するもの(『リズと青い鳥』感想) - すなわち、譲らない

    映画『リズと青い鳥』を見ました。原作未読、TVアニメシリーズは一期の途中までしか見ていませんが、話の大筋をとらえるのに問題はなさそうな印象を受けました(細かい描写はどうかわかりませんが)。 この作品をひとことで表すなら、という問いにたいして、私は「音」という言葉を選びます。それほどまでに「音」に、そして「音」によって視界から浮かび上がる事物を徹底して描き、そして視覚と聴覚の融合があってはじめて対話が成り立つという主題を導いている、そんな映画だと思います。 今回は映画にあらわれる「音」を軸にして、視覚情報にも触れつつ、感想を書きます。 (文章の展開には必要ないけれどこれはどうしても書いておきたい…!と思ったことがらは「***」で囲って書いています) ネタバレを大いに含みます。 さて、冒頭~「リズと青い鳥」のタイトルが出るまでの数分間。ローファーが道路を蹴る「音」のリアルさに気付きます。こつ

    「音」によってはじめて浮上し完成するもの(『リズと青い鳥』感想) - すなわち、譲らない
  • ポリティカルコレクトネスとマナーって究極的には相容れない気がする

    相手がいやがることはすんなっていう当然のことは前提なんだが、極論でいうと 日人が外国で麺類をすすってってるのを、すすることがその国の文化としていかに下品だろうと、不快に思ったり指摘したりやめさせるのは民族差別にあたるのでは? インド人が日のレストランで手づかみでってたら文句言えるか?(そんなやつは実際いないだろうというのは別にして) インド人なら手づかみしてもいいが日人はだめ? それも民族差別じゃね?

    ポリティカルコレクトネスとマナーって究極的には相容れない気がする
  • 夫のガチャ課金からいろいろ考えてみる話

    長文注意!!! ■はじめに なぜこのことを書こうと思ったのか、初めに記しておきます。 と、何かここに頭よさそうなことかいてたけど最終的に下の1行で済んだ。 「スゲーもやもやしてるんで、アウトプットしたいだけ。」 最初に書こうと思っていたことから、最終的にはずれずれですが ちょっと暇つぶしにお付き合ってやるかーという方がいてくださったらうれしいです。 ■出てくる人 私:これを書いている人。アラサー。脱サラして学生。   現在ソシャゲはあまりさわっておらず、課金も年に1・2回、自分の貯金から御布施の気持ちでするくらい。    夫:私と同い年、ごく普通の会社員。今回の渦中の人。   複数のソシャゲに月トータル1万ほど課金。推しがガチャの目玉で来ると1回7万は使用していた模様。  あと、でてこないけど子どもがひとりいる。 ■ことのあらまし 夫には某ソシャゲに、サービス開始当初からの推しのキャラがお

    msdbkm
    msdbkm 2016/08/26
    みくにゃんとウサミンにおけるアイドルとしての在り方について
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