■今回のコロナもパチンコはどうやら生き残りました 「お爺ちゃんがいまさら話せることがあるかどうかわかりませんが」 【この記事の画像を見る】 その老紳士は指定された古い喫茶店に現れると、杖をマスターにあずけてゆったりと腰を下ろした。私は俳句の世界でたくさんの大先輩と出会う。90歳を過ぎた俳人など当たり前の俳壇、彼ら彼女らが話す昭和史などはまさに遠い歴史の彼方、羨望の偉人の逸話や文壇秘話であり、私の好奇心を刺激する。今日はこの老紳士、池田さん(仮名)から、そんな歴史の話を伺うのだが内容は違う。池田さんは俳句の人ではない。パチンコ業界の知人からの紹介で、戦後日本が作り上げたパチンコの話をしていただくことになった。 「私の先祖は士族で日本人ですが、戦後のパチンコというのは私のような日本人と民団(在日本大韓民国民団・大韓民国系の在日韓国人)、そして総連(在日本朝鮮人総聯合会・朝鮮民主主義人民共和国、