大学講師・ライターのトミヤマユキコさんは、著書『少女マンガのブサイク女子考』でルッキズムの問題に取り組んだ。少女マンガの「ブサイクヒロイン」たちは、「美人は得でブサイクは損」といった単純な二項対立を乗り越え、ルッキズムや自己認識、自己肯定感をめぐる新たな思考回路を開いてくれる。トミヤマさんの研究の背景には、学生時代のフェミニズムへの目覚めや、Web連載に新鮮な反応を受けたことがあったという。社会のありようを反映した少女マンガの世界を参考に、「ルッキズム」「ボディポジティブ」について話を伺った。 東京オリンピック・パラリンピック開閉会式のクリエイティブディレクターが、「オリンピッグ」と称して渡辺直美さんに豚を演じさせる演出案を出していたことに、批判が相次いだ。典型的なルッキズムの問題だ。ルッキズムとは、人を容姿の美醜によって評価し、差別や優遇をする考え方を指す。昨今では、容姿を主な評価基準と
俺自身一介の弱者男性として最近の弱者男性議論を度々心痛めつつも興味深く追ってきたわけだが、以前として誰もタイトルの問題について言及していない様に思われたので俺が書くことにした。 まず前提としてここでいう弱者男性とは、 ・同世代所得平均値以下の所得→経済弱者 ・性的魅力が著しく低くて性愛の対象にされない→恋愛弱者 少なくともこの二点を兼ね備えた男性のことを想定している。つまり俺のことだな。 加えて言えば経済能力は恋愛能力に、恋愛能力は経済能力にそれぞれ程度の差こそあれ相互作用していると思われるので、この二点は弱者男性の弱者性の不可分な要素だと思っている。 で、こういう俺みたいな弱者男性が恋愛不能者から恋愛可能者にクラスアップするシチュエーションにおいては幾つかのイベントが想定されるわけだ。 例えば一部のブクマカが字面を見ただけで怒り狂うあてがえ論というハードなイベントから官製非モテ合コンみた
インターネット草の根フェミニストたちが踏みつけにしたセクシャルマイノリティの真剣な抗議の声に対してやってることそのもので笑ってしまった。
News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 「本気で有効な少子化対策をしようとすれば女子教育の抑制と、それにともなう女性の雇用機会の制限(からの所得抑制)しかない」という内容のツイートがプチ炎上し、議論を呼んでいる。最近SNS上で「弱者男性論」が話題になっているが、それとも通底している考えだと感じる。男女を分断する言説はなぜ生まれるのか。(フリーライター 鎌田和歌) インフルエンサーのツイートがプチ炎上 至るところで緊急事態宣言が出され、外出自粛が続き、ついついSNSばかり見てしまっているという人も多いかもしれない。 そんな中、LINEの執行役員やZOZOのコミュニケーションデザイン室長などを務めていたこともある田端信太郎氏の
追記おい、冗談だろ。 ヘイトスピーチやめろが「具体的じゃない」って本気か? 「何が差別か具体的に教えてもらわなきゃわからない」って正気か? 急なわからないフリ、属性によって主張すら変えるそのふざけた態度が差別だっつってんだろ。 もう正直、ここにきても差別的な言動を続ける奴らは手遅れなので、 如何に酷いコメントがあるかをまともな人に見てもらう場にでもなればいいと思ってる。 それにしても、「障害者」という弱者(あえてこう書くが)が「男性障害者」になっただけで「危ないから近づくな」という論調になった話まで書いてるのに、 「具体例が分からない」ってのはどういうことだ? なに都合よく無視してんだよ 挙句、 「レディースデーとか女性専用車両が差別?」 「女性の万倍ラク」 「実は具体的なこと何も言ってない」 「結局むずかってるだけ」 「俺に優しくしろと言いたいだけ」 「勝手に被害妄想してるだけ」 「いや
(追記) 想像以上に反応があったが、内容は想像通りだった。 またお決まりのように「自分個人」や「男性固有」の苦しみを語ることを求められるが、そういうことを言いたいんじゃないんだよね。 「人にはそれぞれの地獄がある」という当たり前のことを想像すれば絶対できないはずの雑なレッテル貼り語りを、たとえば女性に対するそれを許せないのと同様に、男性に対するそれも許したくなかっただけです。 そういう雑なレッテル貼りを普段平気でする人達の反応がいつも通りだったのを見てまあ、やっぱりそういう人達が自省を求められることは今後もなく何も変わらないんだろうなという確信が深まるだけでした。 言われなくてもわかってる人はわかってると思うので、そういう人らには申し訳ない。 でももう、わからない人に理解も期待していない。 だからこれはただの恨言です。 「飽きた」という人も多いみたいだし、自分もここらでわきまえようと思いま
シエラレオネの内戦に巻き込まれた1980年生まれの男性が本を書いていて、それに近いと思います。 著者は12歳の頃、反政府組織の少年兵士らに村を襲撃され、村人は惨殺されそのまま両親とはぐれ、 同様の襲撃を受けた廃村に逃げ延びて物を盗んだり、その辺に生えている謎の果物を食べたり、 立ち寄った村で労働力として受け入れられて三か月間は暮らせたもののその村も反政府組織の襲撃を受け、 その村の村人も大半が惨殺され、著者は命からがら逃げて、という「内戦の完全な被害者」。 でも様々な村で「見た目が少年であり、反政府組織の少年兵と区別がつかない」という理由で、 立ち寄った村の村人に警戒され、拒絶されます。縛られたり打ちのめされたりします。 著者は12歳から13歳まで定住できる場所がないまま、食べ物を盗み、野生動物に怯え、飢えながらさまよい続け、 他に飢えずに済む行き場がなかったため、13歳で政府軍の兵士にな
どうもこの言葉自体が大変に厄介な構造的問題を抱えている気がする。 この言葉の語感から想定される意味は2つある。 まず1つは「弱者の男性」。身体や経済状況など、何らかのハンデを背負った男性である。 DVや性的被害など、弱者のカテゴリに入りながらも男性であることを理由に支援体制が受けられないケースは様々にあり、 そういった議論をすすめるにあたって、様々な理由により弱い立場の男性を包括的に表す言葉として使用される……この意味であればまだ言葉の輪郭線がはっきりしておりわかりやすい。 厄介なのはもう一つの方だ。それは「男性として弱者」な存在を指す用法である。一般にはこちらの意味で使われる方が多いだろう。 これは世間で漠然と「男性としての魅力」と言われるような容姿、経済力、社会的立場、コミュ力などを持たない男性を指す用法だ。 かといって彼らは女性的なのでもない。あくまで「無」に近いのだ。 この時点でや
弱者男性関連の話で、アレルギーを起こしたみたいにこれまで弱者支援や差別関連の話でやっちゃいけないとされてた事のオンパレードで笑ってしまった。 弱者の声の封殺、訴えの軽視、訴え方への注文・トーンポリシング、統計的事実の無視(自殺率等)、 弱者の強者への雑なカテゴライズ(「~~特権」との類似)、自己責任論の展開、 「自分は大丈夫」の全体化(「自分も弱者男性だが問題無い」「弱者女性だが問題無い」から「弱者男性全体も問題無い筈(我慢しろ)」と言う言説)、 弱者と主張する事への条件付け(「他の弱者を圧殺しようとするのをやめなければ弱者と認めない」等の言説、圧殺している層と弱者層の雑な同一化)、 弱者の中の主張のチェリーピッキング(「弱者男性の主張はあてがえ論だ」)による弱者の悪魔化、 内心の邪推(「どうせあてがえ論なんだろ?」)、 解決策の提示と弱者である事の是非の混同(「弱者男性の苦しみには社会的
性的尊厳の話に絞って言うと、そもそも、わいせつ規制の総本山は刑法175条(わいせつ物頒布罪)なわけだよ。さらに、この数十年のわいせつ規制の歴史を紐解けば、二次エロへの弾圧は青少年保護育成条例の制定運動として行われてきた。そして、言うまでもなく、この手の政治運動は保守的な家父長制の価値観と大いに関係がある。 もちろん、一部フェミニストの主張が保守的な内容を含んでいる(弱者男性が自身の尊厳を貶める家父長制の価値観を内面化しているのと同様に、女性の側にもそういう面はある。青少年育成条例も、その担い手は男性の保守政治家だけでなく「子どもの健全な成長を願う母親」であることも多かった)のも確かなので、それは表現の自由の観点から掣肘する必要がある。ただ、基本的には「保守」が弱者男性と女性の尊厳を奪っている共通の敵であるという点を再認識した方がいいと思うんだけどな。 猥褻物頒布罪の廃止?…いや、冗談ではな
弱者男性弱者男性いってるけど、要するに男女関係ない弱者問題を訴えてるんだな。 言葉遣いが紛らわしいな。
ブクマカー諸氏のやり取りを見るに「女をあてがうことだ」という意見は、それなりにメジャーなのかもしれない。しかし、仮にそれが弱者男性への救いであるのなら、それを実現できるのは現代の、少なくとも先進国では不可能であり、なれば現実的にそう主張する人は少ないのではないだろうか、と考えられる。過激な意見の方が目立つのは珍しいことではない。ネット言論で露悪的になることも。 しかし、より現実的な、具体的な'弱者男性への救い'が何であるのかは、諸々のやり取りや記事を読んでみてもあまりピンとこない。 なので、私は'弱者男性への救い'が何であるのか、具体的にどのような社会的状況が実現されれば、弱者男性は救われるのか、という点について意見を募りたい。 それが一つの方策や状況である必要はない。部分的にでも'救い'になるのであればかまわない。 よろしくお願いします。
「弱者男性は同じ弱者男性を救えないのか」という話が、少し前にネットで話題になった。おれもまあ、おそらく発端に近いであろう「おっさんはおっさんが大嫌いだし弱い男はもっと嫌い」というはてな匿名ダイアリーの記事を読んだ。そしてうーむとうなってしまった。 その匿名ダイアリーでは、学歴やルックスなどさまざまな理由からまったくモテず、女性が憎くてたまらなかった男性の書き手が、35歳になって女性を憎むエネルギーがなくなってきたこと、さらに自分が男女双方からいじめられてきたことを告白。そこから導き出される結論として、強者の男性は弱者男性に興味がないこと、弱者男性もそんな強者男性を怖いと思っていること、さらにそれを怖いということすら吐き出せず、インターネットで強者のフリをして女叩きにせいを出すしか選択肢がなかったことがつづられていた。 結論としては「男は怖いから女に救ってもらいたいが、現状そんな手段はないし
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