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沖縄と70年代に関するcinefukのブックマーク (3)

  • なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】(琉球新報) - Yahoo!ニュース

    50年前、米統治下の沖縄で人々が怒りを爆発させた。約80台の米軍関係の車両を焼き打ちした「コザ騒動」から今年で50年。当時米軍からも「おとなしい」「従順」と見られていた沖縄人がこのような行為に出た背景には、沖縄戦から続く哀しみの歴史や、米軍人・軍属による犯罪を罪に問うことができない不条理の蓄積があった。なぜあの事件が起きたのか、その後何が起きたのか、主に女性たちの証言から見つめ直す。(琉球新報・玉城江梨子) 【写真特集】5000人が米車両焼き討ち 真夜中の空が真っ赤に染まっていた。外国人車両であることを示すイエローナンバーの車が倒され火柱が上がっている。「たっくるせー(こらしめろ)」「やな(嫌な)アメリカーや」「燃やせ、燃やせ」と叫ぶ人々の声。よくやったと称賛するかのような指笛の音も聞こえる。沖縄で祭りや祝いの席で踊る「カチャーシー」を踊っている人の姿も。「コザが燃えている」という知らせを

    なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】(琉球新報) - Yahoo!ニュース
    cinefuk
    cinefuk 2020/12/20
    1970年、沖縄の抑圧『外人ナンバーの車が倒され火柱が上がっている。「たっくるせー(こらしめろ)」「やな(嫌な)アメリカーや」「燃やせ、燃やせ」と叫ぶ人々の声。「カチャーシー」を踊っている人の姿も』
  • F4ファントム嘉手納移駐、日本政府の不安に米が配慮 当初はグアムや米本土 - 琉球新報デジタル

    横田基地から移駐した米空軍F4ファントム機=1971年3月11日、米軍嘉手納基地 【東京】1970年12月に日米両政府が合意した米軍横田基地(東京都)のF4ファントム戦闘機部隊の移駐先について、米側が米軍撤退を不安視する日政府に配慮し、当初検討された米国や米領グアムではなく嘉手納基地に決定していたことが分かった。東京工業大の川名晋史准教授(国際政治学)が、米公文書から明らかにした。横田基地から地理的に近い沖縄を移駐先とすることで、米軍が日防衛に関与しなくなるとの日側の懸念を払拭(ふっしょく)する政治的判断が重視されていた。 F4の嘉手納移駐は70年12月21日に日米間で合意された。当時進んでいた日土の米軍基地再編計画の柱の一つで、他に三沢基地(青森県)のF4を米国と韓国に移駐することや、厚木基地(神奈川県)の米軍兵力削減などが盛り込まれた。 これに先立つ70年8月、米国の海外

    F4ファントム嘉手納移駐、日本政府の不安に米が配慮 当初はグアムや米本土 - 琉球新報デジタル
    cinefuk
    cinefuk 2020/06/26
    『1970年、横田・三沢からのF4移駐は「戦略上の理由よりも、日本政府が抱いていた『見捨てられ』の不安を解消する米側の政治的措置だった。日本本土、とりわけ東京の基地問題の解消の代償として沖縄の基地負担が増大』
  • (2ページ目)対照的な2人のウルトラマン 沖縄出身の脚本家・上原正三さんが挑んだタブー | 沖縄タイムス+プラス

    ■「沖縄はタブーだ。テレビではできない」 ―当時、TBSのエース監督だった円谷一氏は「収骨」をどう評価したのか。 「円谷プロで再会した一さんは、受賞は喜んでくれたけど『沖縄はタブーだ。政治なんだよ。テレビでは絶対にできないぞ』って…。TBSのドラマは他局より秀でていたが、反戦の名作『私は貝になりたい』などは右翼に攻撃されてね。テレビ局は、政治的なテーマにピリピリしていた。代わりに、一さんは僕に『ウルトラQ』を書けと勧めてくれた」 「で、書いたのが『オイルSOS』。ヘドロから生まれた怪獣が、石油タンクに吸い付いて巨大化するという話。沖縄戦がだめなら、水俣病をテーマにやってみようとした。一さんのゴーサインが出てね。石油会社を訪ねたら『どうぞロケでお使いください』と言う。あの高い石油タンクの上から景色を眺めると、天下を取った気分になったよ。沖縄は無理でも、公害問題を告発できると喜んだ」 「でも結

    (2ページ目)対照的な2人のウルトラマン 沖縄出身の脚本家・上原正三さんが挑んだタブー | 沖縄タイムス+プラス
    cinefuk
    cinefuk 2018/01/24
    上原正三「仰ぎ見る主人公ではなく #帰ってきたウルトラマン は町工場で働く兄ちゃんが困難にぶつかりながら成長していく物語。近未来ではなく、公害が深刻だった70年代の東京を舞台に、リアリティーの追求に腐心」
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