デジタル越しに、母国の親しい人々と語ることはできる。だが、もし危機的状況に陥ったとしても、お互い何ができるわけでもない。日常と化しかけたコロナの時間の中で、ドイツ人・マライ・メントラインは「コロナ的日常」の奥を見据える。ヨーロッパの歴史を遡り、幻視した未来はかなりマズい。 コロナ問題発生以前の日常に比べて…… 2020年4月の緊急事態宣言以降、しばらくつづいた緊迫状態のケリがなんとなくつかないまま、いろいろと制限が付加された状態で「それなりの日常」が表面的に継続してしまっている、それが今の「コロナ的日常」な気がする。 政治・医学・その他的に議論が乱れ飛び、決定的な改善に向かわない一方で決定的な破局もない。そんな社会の状況があらゆる人にストレスを蓄積させ、ネット上にとげとげしい極論として噴出し、ストレス再生産の材料となる。残念な悪循環だ。 しかし……と私は思う。 たとえばネットがなく、外部か