この記事についてはすでにさんざん叩かれまくっているので、私なんかがいまさら何かを付け足す意味もないですけど、まあいちおう沖縄社会研究の流れをふまえてコメントします。 https://t.co/W9cqbTh3eI
15日で沖縄が日本に復帰して50年になりました。沖縄はいったい何から復帰したのでしょう。復帰する前の人々の暮らしはどうだったのでしょう。いきさつを振り返ります。 Q:50年前の沖縄は日本ではなかったの? A:米国が沖縄で暮らす人々のルールを決めていました。こうした力を「統治権」や「施政(しせい)権」と言います。米国が統治権を握るきっかけになったのは、太平洋戦争(1941~45年)の末期に起こった沖縄戦です。この時まで沖縄は日本が統治権を持っていましたが、米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍との間で地上戦となりました。県民の4人に1人が命を落としたとされる激しい戦いの結果、日本軍は壊滅し、統治権は米国に奪われました。戦争に負けて日本も米国などの連合国軍に占領されましたが、日本は52年4月、一つの国と世界に認めてもらう「独立」を回復します。しかし、沖縄の統治権は終戦から27年後の72年5月15日まで
アンパンとメロンパン 沖縄知事選挙を控えて、命題を提起しようと思う。 民意と選挙は似て非なる概念である。 民意と選挙は似て非なる概念である。 消費者がおにぎりを食べたいと思って買い物に出かけても、店頭にアンパンとメロンパンしかなければ、どちらかを買う以外に空腹を満たす方法はない。どちらかを選んだからといって、それが消費者の望み(民意)だとは言えない。 沖縄では、2010年の知事選挙でアンパンが選ばれた。知事はアンパンが沖縄の民意だとして県内経済をアンパンで埋め尽くした。 Photo by 岩本室佳 2014年の知事選挙では、一転してメロンパンが選ばれた。メロンパンを主張した知事はそれからほぼ4年間、メロンパン対策に県政の大半の資源を投下した。 Photo by 岩本室佳 沖縄選挙区の特徴であり問題点は、常に「経済発展」か「基地撤去」か、という二者択一に論点が矮小化されてしまうことだ。選挙の
「子供は4歳の娘、虐待をやめられない。普通に殴ったり、蹴ったりしちゃう。まずいと思うけど、どうにもならない。やめられないです。放置して遊びに行くのは日常だし、ヒドイときは髪の毛引っ張って、引きずり回してひっぱたくとか。子供は、ギャーって泣くよね。でもね、どうしてもかわいそうに見えないの。虐待しちゃうときは、“こいつがいるから、どうしてこいつのために、私が……”って思考回路になっているからさ」 出勤前に取材に応じてくれたキャバクラに勤める里見千穂さん(23歳、仮名)は、顔色ひとつ変えずに娘に対する虐待を語る。彼女は4歳の娘と暮らすシングルマザー。学歴は高校中退、18歳で出来ちゃった結婚し、3年前に無職で収入のない旦那と離婚している。 沖縄県那覇市松山は、沖縄県最大の歓楽街だ。300メートル四方の一角にキャバクラや風俗店が密集する。ゆいモノレール・美栄橋駅を降り、国道58号を越えるとネオン
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