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80年代と歴史とロシアに関するcinefukのブックマーク (3)

  • ぼくは見た、国の消滅を | NHKニュース

    10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (政治部・渡辺信) その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就任し

    ぼくは見た、国の消滅を | NHKニュース
    cinefuk
    cinefuk 2020/01/24
    『オレグは、KGB創設者ジェルジンスキーの像を引き倒すのに参加したと得意げに話し、台座の破片を見せてくれた。ソビエト共産党の少年団で何度も表彰されていたエリートのオレグが、そんな行動をとったことに驚いた』
  • 盗聴回避、カップ麺土産に夜回り…大使館員のソ連情報戦:朝日新聞デジタル

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    盗聴回避、カップ麺土産に夜回り…大使館員のソ連情報戦:朝日新聞デジタル
    cinefuk
    cinefuk 2019/12/26
    ペレストロイカを皮肉るアネクドート『チュクート人(極東の民族)が「加速化の時代だ」と一輪車を押して走り回っている。「なぜ空の一輪車なのか」と聞かれ、彼は答えます。「忙しくて荷物を積む暇がないんだよ」』
  • 書籍ソースで正確に反論したい → 「ソ連ではいくら働いても給料が上がらないのでみんなやる気を失って崩壊しました」などという資本主義者のデマには我慢ならない。

    おㄘんㄘん!びゅ @moscowmk23 簡単に言えば経済の自由化を訴えたプラハの春が起きた後、ブレジネフ政権はコスイギン大臣による能力昇給制度を恐れて引き留めたし、まずソ連に置いて金は足りなければ国から補充される物であって貨幣その物が機能していなかった 2016-09-11 14:11:56 おㄘんㄘん!びゅ @moscowmk23 外貨を所持しているとスパイ容疑で逮捕されると言うのも、なんというか微妙な嘘。外貨は所持が認められていたし、ドルショップもあったが、ドルを巡った違法な外貨為替が流行ったため逮捕者が続出した。が、これはあくまで経済犯罪 2016-09-11 14:15:11

    書籍ソースで正確に反論したい → 「ソ連ではいくら働いても給料が上がらないのでみんなやる気を失って崩壊しました」などという資本主義者のデマには我慢ならない。
    cinefuk
    cinefuk 2016/09/12
    なるほど>「数ヶ月で陳腐化する半導体製造ラインは、減価償却による減税がなければ設備投資できない。それをやれたのが台湾や他の新興国(一年償却制度)で、できなかったのがソ連や日本(1980年代の五年償却)」
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