これが「観光する国」から「観光される国」になることを目指した観光立国の住み心地のリアルです(拙著1冊目、2冊目参照)。ただ、たとえば数百年そうやって見物され続けてきた京都人が「私たちは常に見られているんだから下手な格好で街を歩くわけにはいかない」というプライドで「着倒れ」と美観の街になったように、このストレスが新たな文化や社会変革を生むだろうと思います。もちろん反観光・排外主義が煽られるというリスクも指摘されます(拙著1冊目)。あとは今度自分が海外を旅した時の気持ちも変わりますよね。「見る」だけでなく「自分もまた見られている」ことをつよく意識しながら旅をする観光客の時代です。っていうか新しい研究テーマをなんで僕は質問箱で開陳してるんだ。