タグ

ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (2)

  • 戦争倫理学への補注 - shinichiroinaba's blog

    今日びの動向を見ながら近刊予告 - shinichiroinaba's blogへの補足を試みる。 ==================== 『社会倫理学講義』で戦争倫理学についても少しだけ論じたが、そこではあまりはっきりと立場を打ち出せなかったので、このウクライナ戦争を前にもう少しはっきりさせようと思う。 そこで我々はリベラリズムの政治哲学と矛盾しないリベラル戦争観とでも言うべきものをおずおずとながら提示した。その要点は結局のところ「戦争と平和の区別をはっきりつける」とでも言うべきものだったかと思う。戦争そのものを悪として否定し、なくすべきだという議論は提示しなかった。実際問題としてときに暴力は噴出し、暴力を用いた紛争は現実に起きてしまうものなので、いかにそれを抑え込み、管理するかという方向で議論を進めた。戦争を絶対に否定すると、実際に起きてしまった戦争を前にそれをあたかも絶対悪である

    戦争倫理学への補注 - shinichiroinaba's blog
    cinefuk
    cinefuk 2022/03/26
    "リベラルな国家は原則として国家目標というものをもってはならない。目的はあくまでも国民の権利と利益の保護であり、それを離れた固有の目的をもってはならない。しかし現在ロシアや中国はこうした考え方をとらず"
  • ■ - shinichiroinaba's blog

    大塚英志『サブカルチャー文学論』を一応読了、『「おたく」の精神史 1980年代論』(講談社現代新書)[bk1 amazon] にとりかかる。個人的に、いろいろと痛い指摘が多い。たとえば湾岸戦争時の文学者の「声明」について論じたあたりでこう書かれている: あの文学者の声明は、80年代にすっかりボーダーレス化してしまった「知」とサブカルチャーの境界の一種の仕切り直しとしての側面があった(中略)。蓮實重彦が業界系少女まんが家とカフェバーか何かで同席してしまっている自分に困惑したエッセイを書いたのが80年代半ばだったが、そういった自体に「知」の側の人たちがいいかげん耐え難くなっていたという印象がその時点であった。 もっともぼくに言わせればサブカルチャーの方に足を踏み入れてきたのが「ニューアカ」や「ポストモダン」といった類の「知」やら「文学」の側であり、その結果としてぼくのようなおたく系のライターと

    ■ - shinichiroinaba's blog
    cinefuk
    cinefuk 2020/06/30
    『彼の書き物の質は、学術的著作であろうと売文であろうと、実は彼が給料と研究費を保障されていたがゆえにこそ保たれえていたのだ。そして大学の給料を失ったとたん、彼はもはや知的な貯金を積み上げる余裕を失い』
  • 1