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去年3月に請求していた陸上自衛隊のイラク派遣の日報の開示決定がようやく出た。それにしても手数料が半端ない(カンパ大歓迎です!)。それと、こんな文書も付いてきた。公式には今のところ全イラク日報の半分弱しか見つかっていないということだ… https://t.co/ZP91tShZN5
そんなに軽くていいものか 実力組織である自衛隊で、防衛大臣の指示が下まで伝わらなかったということを、こんなに軽く扱っていいのだろうか――。 陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報問題で、防衛省は5月23日、「組織的隠蔽はなかった」とする調査結果を公表した。 これまで「保存されていない」としていた日報が見つかりながら、探索を指示していた防衛大臣に報告されていなかったのは、職員間の意思疎通が不十分だったことが原因で、意図的な隠蔽ではなかったと結論付けた。 これを受けて、小野寺五典防衛大臣も「シビリアンコントロールに反するような問題はなかったと考えている」と話した。 これが真実であれば、あまりにもお粗末な話である。民間企業でも「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」は基本中の基本である。まして、国防を担う実力組織の自衛隊では、「ほうれんそう」の一つひとつに自衛隊員の命はもちろん、国民の命がかかっていると言っ
防衛省は23日、陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽問題の調査結果を公表し、当時の稲田朋美防衛相による再捜索の指示が伝わらなかったことを要因に挙げ、組織的隠蔽はなかったと結論付けた。防衛省は最初に指示した稲田氏を調査せず「現場の認識不足」で幕引きを図るが、野党が稲田氏らへの調査は不十分だと追及するとともに、シビリアンコントロール(文民統制)の在り方に批判を強めるのは必至だ。
これにはたまげた。陸自研究本部教訓課の情報公開担当者が前任者から「イラク関連の資料はない」と申し送りを受けていたことにまず驚いたし、探索もしないで「ない」と回答していたことにも驚愕する。つまり端から開示しないことが大前提になってい… https://t.co/6u7i2C4bQm
問題は、何が戦闘行為で何が戦闘行為じゃないかが時の政権の判断に委ねられていること。イラクでも南スーダンでも戦闘行為は発生していないという解釈だと、内戦や非正規戦であれば、自衛隊はどこにでも派遣できることになってしまう。 https://t.co/BD6xeN63tv
政府は27日、自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)に記載があった「戦闘」の言葉について、自衛隊法で定義される「戦闘行為」の意味で用いられた表現ではないとする答弁書を閣議決定した。立憲民主党の逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。 日報の記述については、昨年7月の衆院予算委員会でも、安倍晋三首相が「(憲法の要請との関係で)定義を決めている戦闘行為とは違う意味で、一般的、いわば国語辞典的な意味での戦闘という言葉を使う、これはあり得る」と答弁していた。 今回の答弁書は、「国語辞典的な意味での戦闘」について、自衛隊法などで「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」と定義する「戦闘行為」とは異なるものとした。
イラク日報については、「戦闘」という言葉が分かりやすいからマスコミもそこばかり注目するけど、個人的には随所に多国籍軍との一体化を示す記述があることの方が重要だと思っている。たとえば「統合作戦」とか。多国籍軍と一体化しないことが自衛隊派遣の要件でしたから。
「至近距離で対峙」「武器携行者」=イラク群衆事件の報告書公表-防衛省 陸上自衛隊 陸上自衛隊のイラク派遣の日報問題で公表された、2005年12月にサマワ郊外ルメイサで陸自派遣部隊がイスラム教シーア派反米指導者サドル師派の群衆と遭遇した事件の報告書=23日、防衛省 陸上自衛隊のイラク派遣日報問題で、防衛省は23日、2005年12月にサマワ郊外ルメイサで陸自派遣部隊がイスラム教シーア派反米指導者サドル師派の群衆と遭遇した「ルメイサ事件」について、当時の派遣部隊が作成した報告書を公表した。「警備隊員と至近距離で対峙(たいじ)」「遠巻きに見ていた者2~3名が武器を携行していた」などと記述され、隊員の安全を守るために武器を使用する事態に発展しかねない緊迫した状況がつづられている。 〔写真特集〕世界の狙撃銃~レミントン、SVD、韓国K14、陸自の対人狙撃銃も~ ルメイサ事件は現地時間の05年12月4日
防衛省が「存在しない」としてきた陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が初めて公表された。2004~06年の435日分、計1万4929ページ。一見すると膨大な量だが、これでも派遣期間全体の45%にとどまる。メディアでも「残された日報は本当にこれだけか。徹底的な調査が必要だ」という声は出ているが、何が公表されていないかはかなり明確だ。 決定的に欠けているのは自衛隊の先遣隊が2004年1月19日にサマワに到着した後、4月7日に自衛隊宿営地の近くで迫撃弾砲弾が着弾してから治安状況が悪化する同年年末までの9か月間の日報である。2004年分では実際の支援活動を担う「イラク復旧支援群」の日報は「3月1日」「7月14日」「9月22日」の3日分だけで、他にサマワの行政機関や日本の外務省などとの調整を担当する「イラク復興業務支援隊」の日報が2004年1月と2月の計26日分である。状況が悪化した2004年4月ー12月
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