東西冷戦の崩壊と同時期に幕を開けた平成。日本が初めて臨んだ本格的な国際貢献の舞台はカンボジアだった。政権時代に約200万人を虐殺したとされる武装勢力ポル・ポト派が和平に合意し、選挙の実施を目指して国連平和維持活動(PKO)が始まった。 「自衛隊の海外派遣は憲法違反だ」との反対論が高まる中で、自衛隊の第1陣約600人と文民警察官75人が1992(平成4)年秋、相次いで海を渡った。 日本では、現地は既に安全だと考えられていた。しかし、10年以上カンボジアに関わり、ポト派幹部とも人脈を築いていた大使の今川幸雄(いまがわ・ゆきお)(85)の耳には、派遣直後から「ポト派が和平合意に反発しPKOを妨害しようとしている」と不穏な情報が入っていた。 現地では「選挙をすればポト派は負ける」とささやかれ、各地でポト派とみられる攻撃が頻発。今川は「国内で危険論が広まると、PKO要員や邦人ボランティアの撤収論議が