アッツ島守備隊の玉砕について、伝書鳩により最後の様子が伝えられたというデマを流したとして7人が逮捕されたことを、一つ前の記事で触れましたが、では、張本人の軍は、どんな情報を流していたのか。大本営はどんな発表をしていたのかと問えば、遥かにそちらの方が悪質だったといえるでしょう。 1942(昭和17)年8月以来のガダルカナル島を巡る戦いでは、数度に渡るソロモン海戦の大本営発表のほか、実は熾烈を極めていた陸戦の内容は全く発表されてきませんでした。ガダルカナルからの撤退を終えた直後の1943(昭和18)年2月9日、大本営は唐突にニューギニア方面の戦闘として「目的を達成せるに至り、2月上旬同島を撤し他に転進せしめられたり」と発表。そして表題写真の1943年3月10日の毎日新聞に中澤挺身隊が取り上げられているように、誇張された話題が戦意高揚で出されるばかりでした。「転進」が敗北による「撤退」だったこと