人間を理解し、人工知能をさらに先へ。 情報処理学で多大な功績を残した長尾真氏と 「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトで人間の能力に注目するようになった 国立情報学研究所の新井紀子教授が、 AI技術の発展にはこれから何が必要になるのか、徹底討論しました。 人間の知能を支えるもの新井 私が「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクト(※1)を始めたときに人工知能学、特に言語処理の方面から「何でこんな役に立たないことをするのか」という批判的なご意見を受けました。そんな中、長尾先生が「それは今やるのはなかなか面白かろう」と、言語処理学会の記念大会などに私を講師として呼んでくださったのが印象に残っています。 長尾 でも、それから4~5年のうちに東ロボをおやめになった。「もうちょっとやったら面白いところまで展開するのでは」と思っていたので、それが残念です。 新井 いえ、まだプロジェクトはやめてい
傑作と話題の韓国映画『タクシー運転手~約束は海を越えて~』をようやく観てきたのだが、確かにすごい作品だった。娯楽映画としても一級品であり、歴史の証言として語り継ぐべきものを描いているし、今日性も高い。韓国国内の政治運動を題材にしているが、韓国だけに留まらない、民主主義の普遍的問題を扱っているので、世界的に通用する作品になっている。 本作が描く光州事件は、1980年5月に光州市を中心にして起きた民衆蜂起だ。1963年から79年まで大統領に鎮座し、独裁者として君臨した朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺され、その後に実権を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)も相次ぐ戒厳令の発令と民主化運動の弾圧を行い、各地で衝突が起きていた。光州でも学生を中心に大規模なデモが実施され、それに対して非常戒厳令が発令され、軍と民衆との大規模な衝突に発展した。
記念すべき第一回では、「メタルギア」シリーズを扱う。 「メタルギア」シリーズは、SFというジャンルにおいて、ゲームにおける表現が最も優れたものになってしまったという事態を決定的に示す作品である。ゲームというメディアの固有の性質が、SFの主題、展開、表現方法、映像、体験……などなどと複雑に絡み合って非常に高度な達成を行った記念碑的作品であり、ゲームという芸術の最高峰に位置する作品であると断言して構わない。 本論が重視するのは、そのメディア自身の科学的・技術的な進歩と、形式と内容が相互関係を持つ類のSFゲームである。SFというジャンルが、ミステリやホラーなどの他のジャンルと決定的に違う部分はそこにある。日本SF大賞を設立した小松左京や筒井康隆はそれを明確に意識していた。ここではそれを、「メディア技術との随伴性」と呼ぶことにする。 その観点からすれば、「メタルギア」は、日本SFの、近年における最
2017年12月8日と9日、中京大学と名古屋市科学館の共同企画により名古屋市科学館プラネタリウムにて「The Edge of Infinity」と題するイベントが開催された。企画者の一人でもあるカール・ストーン氏に招いていただき、彼の演奏とともに世界最大級のプラネタリウムへ投影する映像を作成することになった。また、イベントと同時に内々のものではあったが参加アーティストによるシンポジウムを持つことになった。以下に記すのは、その際私が話した内容に若干加筆修正したものである。 まず、最近の私の興味の中心をお話したいと思います。 コンピュータの普及によって、デジタルメディアは身近になりました。もはや、身の回りの物で、コンピュータが関与していない物を探すほうが難しいくらいでしょう。そのような状況の中で、デジタル性、デジタルネスという特性を、どう定義できるか。特に、目で見るもの、ビジュアルとして、言い
人が巨乳に惹かれるのは本能ではなく文化である。 その大きさから歴史の重みを感じ取ってもらいたい。 犬山あおいに蹂躙されたオタク 『ゆるキャン△』の犬山あおいが強い。 『ゆるキャン△』2話 一時期、Twitterを見ていると彼女のイラストが頻繁に流れてきた。今期アニメで一番注目を集めているキャラと言っていいだろう。 しかし、最初から人気があったのではない。アニメの放送がスタートしたのは2018年1月4日からであり、彼女が本格的に登場したのは2話からだ。4話までの彼女は、メインキャラなので登場シーンは多かったが、注目を集めていたのは主人公である志摩リンと各務原なでしこの両名だった。 情況が一変したのは2月に入って5話が放映されてからである。 『ゆるキャン△』5話 乳に打たれたオタクは「エッッッ」と言って倒れた。 これ以降、pixivの閲覧数はうなぎ登りとなる。 「犬山あおい」タグがついたpix
住所 〒606-0823 京都市左京区下鴨半木町1-29 企画総務課電話番号 075-723-4831 資料課電話番号 075-723-4833(図書・雑誌) 075-723-4834(古文書) 075-723-4836(行政文書) 京都学推進課電話番号 075-723-4835 URL http://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/ E-Mail [email protected] Fax 075-791-9466 開館状況および閲覧室の利用、資料閲覧の事前連絡などについて、京都学・歴彩館のウェブページでご案内しています。 https://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/ 来館、資料閲覧などご希望の方はあらかじめご確認ください。 ご不便をおかけして申しわけありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
今年の4月に大学で研究室を構えてから、久しぶりに大量の本を日常的に購入する生活に戻った。そして、気づいたら新刊よりも昔の本のほうにのめり込んでいる。たとえば、直近で深く読み解いた本は、1928年にパリで刊行された九鬼周造の『Propos sur le Temps』だ。長い時間を経て、多くの論者のフィードバックを受けることで、古い本は発酵していく。九鬼の本にしても、同時代のベルクソンやハイデッガーの考えに触発されながら、東洋的時間の深度にダイブしている。 私もまた、直観に従って好奇心を走らせてみたら、いつのまにか比較言語学から20世紀中葉のインタフェース研究まで、長い時間の尺度を行き来するようになった。去年よりJST/RISTEXの「人と情報のエコシステム」領域で、「日本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」プロジェクトに参加し、日本の社会文化となじみの良い
スナップ写真などと違い、建築写真は水平や垂直がビシッと補整されることが多い。言い換えると、網膜上に投影される像とはずいぶん異なる「理想状態」が示されていることが多い。もちろん、良し悪しや好き嫌いの話ではない。人為的に構築された環境がどのように認識されて伝えられるかという、理解の仕方やコミュニケーションの方法の話だ。そして、その根底には空間理解の共通言語たる「図面」の呪縛があるんだと思う。 近現代のものづくりの大半は、図面というコミュニケーションツールを媒介しながらやりとりが行われていると考えられる。図面の知識や技術を身につけるフェーズは、教育においても重要な位置付けにあるだろう。当然と言えばそうなんだけど、思考が言語に影響されるのも必然なわけで、ものの見方は当然と感じた時点ですでに限定されているんじゃないだろうか。 もっと言えば、図面という二次元を経由するがゆえに、三次元には図面特有の事情
LOLWUT!? @LOL_W_U_T かつてDS版「おいでよどうぶつの森」を8年間一日も休まずプレイしつづけた次男がAndroid版どう森キャンプに帰還してしまった。 2017-11-22 18:17:55
<社会的、政治的な選択ではなく正統派の作家イシグロがノーベル文学賞を受賞したことには、大きな意味がある> 10月5日、長崎生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。本人にとっても意外だったらしく、英ガーディアン紙によると、最初は今はやりの「偽ニュース」ではないかと疑ったくらいだという。 イシグロは、1982年に27歳で作家デビューしてから62歳の現在まで長編小説は7作しか刊行していない。専業の小説家としては寡作なほうだ。 しかし、『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)と『忘れられた巨人』(The Buried Giant)以外の長編小説はすべて著名な文学賞の最終候補になっており、1989年刊の『日の名残り』(The Remains of the Day)は世界的に権威があるブッカー賞を受賞した。 イギリス貴族の主人への忠誠心と義務を優先して
1.タイトル: 「日本人は集団主義的」という通説は誤り 2.発表概要: 日本人論では、長らく「日本人は集団主義的だ」と言われてきた。現在では、「集団主義」は、「日本人」の基本的なイメージになっている。 ところが、この通説が事実なのかどうかを確認するために、心理学、言語学、経済学、教育学などにおける実証的な研究を調べたところ、日本人は、欧米人より集団主義的だとは言えないことが明らかになった。また、「日本人は集団主義的だ」と広く信じられているという現状は、人間の思考を歪める心理的なバイアスによって作りだされたものであることも明らかになった。 3.発表内容: 日本人論(あるいは、日本文化論)では、「個人主義的な欧米人と比べると、日本人は集団主義的だ」と言われてきた。「集団主義的な日本人」は、日本人自身にとっての最もポピュラーな自画像であるだけでなく、現在では、外国人にとっても「日本人」の基本的な
荏開津広『東京/ブロンクス/HIPHOP』第7回:M・マクラーレンを魅了した、“スペクタクル社会”という概念 ブロック・パーティやクラブで生まれ発達したヒップホップ/ラップの重要な要素として、ダンスとスタイル(ファッション)が、1980年代始めのニューヨーク・ダウンタウンのアップタウンにそれぞれいたパンクとヒップホップというふたつの異なったグループを近づけた。しかし、そこに何が起こったかをもう少し近くから見ると、実はその10年前の1960年代の終わりに何が起こっていたのかを振り返る必要がある。この連載で取り上げている東京、ニューヨーク、に加えて、ここではロンドン、それにパリにも関連してくる。 1968年、つまり、ロンドンはキングス・ロードのショップ 、パラダイス・ガレージ の一部を借りて、古着やロックンロールのメモラビリアを売り始める3年前、もしくは名高いSex Pistolsのマネージメ
「映画はシナリオ5割、キャスティング4割、演出1割」という言葉があります。 筆者は、個人的に「演出」の割合はジャンルと監督の作家性によってはもっと大きくなるのではないかと思うんですが、それだけ演技は重要なものと見なされているのでしょう。 映画は、撮影、編集、録音、視覚効果などの技術はもちろんのこと、シナリオも演出も時代とともに進歩してきました。演技も、もちろんそうです。ただし、演技の場合は「洗練された」とか「単純に技術的に進歩した」というよりも、「スタイルが多様化した」というべきではないかと思います。 今回は、いわゆるクラシック映画の時代から演技がどのように多様化していったかを綴っていきたいと思います。なお本記事では、いわゆる「古い映画」の特徴が濃厚にみられると思われる、1960年代半ば以前のアメリカ映画を「クラシック映画」として独断と偏見で定義づけることとします。 往年のハリウッドの演技
ファッションの哲学の論文集Philosophical Perspectives on Fashionが届いた。目次と書評は以下。 Philosophical Perspectives on Fashion: Giovanni Matteucci: Bloomsbury Academic Philosophical Perspectives on Fashion — The Fashion Studies Journal とりあえず収録論文のLars Svendsen, "On Fashion Criticism"を読んだ。ファッション批評とは何か、それはなぜあるべきか、どうあるべきか、といった内容。Noël CarrollのOn Criticism(近々邦訳がでるといううわさ)を参照しているせいもあると思うが、ザ・美学というかんじの批評観で、ごくまっとうなことが書いてあった。 まとめます(
1960年代~1970年代前半は、日本人が本格的に世界を意識し始めた時代です。特にメイクアップに関しては、白・黒・赤の伝統的な3原色から脱却し、口紅に淡いシャーベットトーンが登場し、メイクアップの幅が格段に広がりました。女性のファッションアイコンは映画女優から、コーマーシャルで活躍するモデルへと移行します。それに伴い、上瞼に二重ラインを描き、大げさなつけまつ毛を付け、立体的な眼の大きな西洋人モデルのようなアイメイクアップが流行します。肌に関しては、西洋志向のピンク系の明るい肌が主流ではあるものの、日本史上初めて日焼け色の肌が大流行した時代でもあります。1970年代に入ると、ベトナム戦争、反戦運動、ヒッピーの登場、石油ショック、急激な工業化による公害問題など、戦後急成長する日本に暗い影を落とします。それに伴いメイクアップは、60年代に元気につり上がっていた目もとが、目の下にシャドーの入ったタ
ゴールデン・グローブ賞3ノミネートの犯罪サスペンス「The Night Of(ナイト・オブ・キリング 失われた記憶)」はフレーミングを利用して視聴者に視覚的なアプローチを行っています。そこで、フリーランスで映像制作を行うZackery Ramos-Taylor氏はドラマ画面に三分割法のグリッドを入れ、映像がどのような構図になっているのかをわかりやすくしたムービーを公開。写真とは違い「動き」が入るムービーで、どのように構図を取ればいいのかがよくわかるようになっています。 The Night Of - Framing a Crime Drama on Vimeo 例えば以下のシーン。障害物越しに撮影することで左側から徐々に光景がわかるようになっていきますが、縦3分割の一番左の列内に男性が位置する構図になっています。 手前に車があるものの、これも縦3分割の一番右に人物。 以下も同様 これは格子越
ファッション雑誌『ヴォーグ』(USA版)3月号に載ったアメリカの白人スーパーモデル、カーリー・クロスの芸者風ファッションが大炎上し、カーリーが謝罪する騒ぎとなった。この件は日本でもいち早く取り上げられ、各記事に「人種差別」「日本をバカにしている?」などといった見出しが踊ったが、多くはアメリカの人種と文化の歴史と現状を説明し切れていなかった。そのせいか日本人読者からは「何がいけないのか分からない」の声が上がっている。 問題となった写真は、日本の伊勢志摩で撮影されたもので、本来は金髪のカーリーが黒髪のゲイシャ風ウィッグと着物風デザインのドレスを着ているというものだ。一流雑誌だけあって写真自体の質は高い。しかし近年のアメリカ文化シーンは”cultural appropriation”(文化の盗用)に厳しく、今回の写真は多くのアメリカ人の眉をひそめさせることになった。 “文化の盗用”とは端的には、
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