私が1981年から82年にハーバード大学のケネディ行政大学院に所属していたとき、取ったクラスがあります。それは「日米産業政策比較論」で、エズラ・ボーゲル教授とロバート・ライシュ教授の共同授業でした。同じクラスを取っていた日本人学生に自民党の塩崎議員などがいました。日本に帰国後も、ライシュ教授が来日するたびに、同窓生が集まって食事などをしていたものです。彼は、その後、クリントン政権の労働長官に就任します。クリントンとライシュはローズ奨学金で一緒にロンドンに留学した仲間でした。ライシュ教授は小柄で、腰を痛めており、何本もボルトで骨を支えている状況でしたが、クリントン政権の中でそれなりの存在感をしめしていました。彼はクリントン政権を去った後、ハーバード大学に戻らず、ブライダイス大学で教職に就いています。彼は情報経済に関する興味深い本を何冊も書いています。今でも伝統的なリベラル派の人物です。彼が、
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