「朝鮮人だ!!」で炎上した『1945ひろしまタイムライン』企画の背景には何があったのか。アニメ評論家・藤津亮太が考察を進めていくと、さまざまなフィクションの苦闘の歴史の果てに、『この世界の片隅に』の傑作たるゆえんが見えてきた。 「戦時下の生の声を伝える」という発想 NHK広島放送局がツイッター上で展開をしている『1945ひろしまタイムライン』という企画が、先日強い批判を浴びた。 この企画は「もし75年前にツイッターがあったら」という想定で、実在する人物の日記をもとにアカウントを運営していくというものだ。その中のひとつ、中学1年生のシュンというアカウントが8月20日、朝鮮半島出身者が戦勝国民として列車で横暴に振る舞う様子を記し、「あまりのやるせなさに、涙が止まらない」と悔しさをにじませるツイートをしたのだ。 NHKは批判を受けて、8月24日に『1945ひろしまタイムラインブログ』に、お詫びを
第二次世界大戦における旧日本軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。かつて陸軍航空本部映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。 インパールを知らぬ世代、必読! シリーズ第3弾『全滅・憤死 インパール3』より、インパール盆地の湿地帯に投入された戦車支隊の悲劇を描く「全滅」の冒頭を一部紹介する。 (全3回の1回目。#2、#3を読む) ◆ ◆ ◆ 早々に過半の兵力を失う状況下で流れた噂 それまで勇将として畏敬されていた将軍が、暴将とか狂将といった評価に急変した。 ビルマ方面の日本軍を指揮した、第15軍司令官・牟田口廉也中将である。 昭和19年3月、多くの反対を押し切って、牟田口軍司令官がインパール作戦を強行した時は、一部で
「お前たちの志願である」 太平洋戦争時、神風特別攻撃隊の志願者を募るとき、玉井浅一中佐はこう言った。 「お前たちは誰より可愛い。だから一番可愛いお前たちを日本の歴史に其の名を載せて、悠久の神として祭ってやりたいのだ。この気持ちをわかって欲しい。ただし、これは命令ではない。あくまでもお前たちの志願である」(神立尚紀、大島隆之『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』講談社) すべては「志願」だった。命令は存在しない。志願である。だから、上官の責任は存在しない。特攻隊員は志願し、死んでいった、とされる。 実際のところ特攻が志願だったのか命令だったのかという論争は脇に置くが、少なくとも当時の軍隊に置いてそれが「志願」と扱われていたことは事実だろう。 この構図を現代に当てはめるとどうなるか。 新型コロナウイルスでは「自粛要請」が行われているが、残念ながら多くの識者が指摘する通り、十分な補償が行われて
敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者 1946年の食糧危機 朕はたらふく食っていた 敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者 意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1] 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による
ニュージーランドは、3月26日から4週間の「ロックダウン」に入った。 2020年3月23日。NZ政府は、COVID-19警戒レベルを「3」に引き上げ、さらに、48時間以内に最高レベル「4」に引き上げると発表した。これを発表するジャシンダ・アーダーン首相の演説は、まるでどこかに宣戦布告したみたいな雰囲気だった。 悪意のない厄災今どき、先進国間で侵略戦争は起こりえない。なぜなら、武力で土地を占領するより、平和的に経済を発展させた方が、何倍も効率よく市場を手に入れることができるからだ。 ところが「戦争」は予想もしない形でやってきた。国が「戦争状態」になるのに、敵国や、敵性集団が必要ない。攻めてくる集団から、物理的な軍隊と侵略の悪意を抜き去り、厄災という性質だけが抽出されて世界中に降りかかっている。結果、世界中の国々が、同時多発的に生き残りをかけた「戦い」の遂行を迫られている。 戦争が、進化論的な
中国の武漢を中心に発生したコロナウイルスは、いまや世界を覆いつくしている。リーマンショックを超える景気減速を伴うこの複合的危機に対して、世界各国は独自の対策を強化している。 隔離、移動制限を基本とする感染抑止については、これまで中国が、都市封鎖等の市民的自由を大幅に制限する対策を講じてきた。こうした政策は中国のような権威主義的な国家だけの対策と思われていた。ところが、自由・民主主義体制をとる欧米諸国でも、次々と市民的自由を制限する強力な社会統制策が実行に移され、もはや日本だけが「自粛」という緩やかな対策にとどまっている。この違いなぜ生じたのだろうか。 緊急事態宣言の発令準備へ わが国では2月初頭に、横浜大黒埠頭に係留された英国船籍「ダイヤモンド・プリンセス号」における大量感染者の発生以後、政府主導の対策がなされてきた。2月29日には安倍総理が記者会見で「この一、二週間が瀬戸際」と宣言、さら
日本で育った大多数の人々にとって、「美術」「彫刻」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、古風な衣服をまとった西洋人の石膏像と並び、駅前や公園など、屋外の公共空間にある記念碑的な人物銅像(その多くが裸体を晒している)ではないだろうか。しかし(「美術」「彫刻」という言葉と同じく)国内でそうしたイメージが定着したのはそれほど古いことではない。その過程に何があったのだろうか? 最近のartscapeでも、 3月1日号村田真レビューでは「小沢剛 不完全─パラレルな美術史」展、また同じく4月1日号の星野太レビューで荒木慎也『石膏デッサンの100年──石膏像から学ぶ美術教育史』がピックアップされている。今号では、彫刻家で彫刻・銅像・記念碑研究者の小田原のどかが、公共空間での「女性」裸体像の起源に迫る。なお本稿に関連し、昨年4月15日号高嶋慈レビューによる小田原の個展「STATUMANIA 彫像建立癖」評も参照
人気マンガ『僕のヒーローアカデミア』で、作中人物に「丸太」という名前を使ったことが問題になった。「丸太」というのは有名な731部隊で毒ガスの人体実験に使われた中国人捕虜を指すコードネーム。それを不用意に使ったのはけしからんというのだ。 僕は作者にとって少しは同情的だった。今となっては、さすがに日中戦争のエピソードのすべてを覚えていることなんて、無理な話だろう。担当編集者にしても同様で、戦後生まれで、まさか「丸太」という言葉にそんな暗い意味があるとは知らなかったのだろう。いったい戦後何十年過ぎているのか。 ただ、「丸太」の件で中国人が抗議してきたのは、当然のことだと思うし、それに対して『少年ジャンプ』の編集者が対応したのも無理のないことだと思う。 ただ、この件では、デマが乱れ飛んでるのが僕は気になっている。 それは「七三一部隊は中国人が考えたデマ」というデマである。 アホらしいデマなんだけど
第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通…
2020年1月5日に日本を発って、10日に戻るまでごく短い間ポーランド(クラクフとワルシャワ)に滞在した旅行記です。 目的はアウシュヴィッツ=ビルケナウ見学。 1月7日に向かいました。 「オシフィエンチム」行きのバス。 〝アウシュヴィッツ〟も〝ビルケナウ〟も、ドイツが侵略していた時代に名付けた名称で、ポーランド語の本当の名前はオシフィエンチム、ブジェジンカという。 ひとりで見学するのはなかなか難しいし、博物館内は専属のガイドを予約する必要もある。できれば、著名な日本語ガイドで唯一の外国人ガイドである中谷剛さん(御著書の『ホロコーストを次世代に伝える』は図面などもとても参考になる)にお願いできたらとは思ったけれど、旅行を決めてから当日まで二ヶ月を切っていたし、個人のアドレスを存じ上げなかったので、通常のルートを選びました。今回は大手のHISを使ってガイドと見学の予約をし、ホテルのロビーでポー
戦争アニメを見ても責任感のかけらも示さない天皇家の人々 天皇一家(徳仁ナルヒト、雅子、愛子)は18日、前作にシーンを追加してリニューアルしたアニメ『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を鑑賞した。 記事によると、試写会終了後、一家は片渕監督やすず役の俳優のんと懇談し、「圧倒されました」とか「感動しました」などと感想を述べたらしい。 www.asahi.com 「感動しました」。愛子さまは、さまざまな思いを込めたように、のんさんにそう伝えたという。 18日夜、長編アニメ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(20日公開)のチャリティー試写会での出来事だ。愛子さまは天皇、皇后両陛下とともに出席。主人公の女性・すずの声を演じた俳優のんさん、監督の片渕須直さんと並んで映画を鑑賞した。(略) (略)作品は、戦時下の広島市や呉市を舞台に、主人公すずをはじめとする人々の営みを描き、いつの時代も変わら
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2010年4月) 中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2007年3月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2010年4月) 正確性に疑問が呈されています。(2010年4月) 出典検索?: "昭和天皇の戦争責任論" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 昭和天皇 昭和天皇の戦争責任論(しょうわてんのうのせんそうせきにんろん)は、1931年(昭和6年)9月18日の満州事変勃発から1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書調印による日本の降伏までの十五年戦争(満州事変・支那事変/日中戦争・大東亜戦争/太平洋戦争)に対する昭
強制ではないということですが、果たしてボランティアといえるのでしょうか。 来年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京都は、ボランティア体験を希望する中学生と高校生を募集していますが、実際は具体的な人数が学校ごとに割りふられ、学校によっては半ば強制的に参加を求められていることがわかりました。専門家は「ボランティアに大事なのは、自発性だ」と批判しています。 東京オリンピック・パラリンピックの期間中は「大会ボランティア」や、「都市ボランティア」として、合わせて10万人を超えるボランティアが活動します。 こうした中、東京都は町なかで観光案内などをするボランティア体験として、都内の中学2年生から高校3年生を、およそ6000人募集する計画を立てています。 これについて都の教育委員会は、あくまで任意の参加と説明していますが、実際は中学校の場合、5人の生徒と引率する教員1人が割りふられていて、学
1931年の満州事変後、中国東北部を占領し、満州国を建国した日本政府。「100万戸移住計画」を閣議決定、村に補助金を出すなどして積極的に推し進めた。結果、全国各地から800以上の開拓団、およそ27万人が入植した。しかし“開拓“とは名ばかりで、多くは中国人が開墾した土地を安い値段で立ち退かせていた。そして岐阜県・旧黒川村から渡った600人余りが暮らしたのが、満州国の首都・新京とハルビンの間にある陶頼昭だった。 しかし日本の敗戦間際、ソ連軍が満州に侵攻。敗走する関東軍に置き去りにされた開拓団は、ソ連兵や現地住民の略奪に遭った。 小学6年まで現地にいた安江菊美さん(85、当時7)の記憶に焼き付いているのは、当時の緊迫した状況だ。「終戦で国が無くなっちゃったから、守ってくれる人は一人もいませんよ。ましてや関東軍はみな逃げちゃってるから」。 戦況の悪化で、開拓団の働き手の男性は関東軍に根こそぎ召集さ
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