タグ

社会と災害と熊本に関するcinefukのブックマーク (3)

  • 川辺川ダムがあったら球磨川は氾濫しなかったか?

    川辺川ダムがあれば、2020年7月4日の球磨川の氾濫が防げたかどうか検証してみます。 川辺川ダムがあれば、川辺川起因の洪水は防げた? 以下をもとに、計算しています。 ・川辺川ダムを計画していた場所に近い場所には、四浦(ようら)水位観測所がある。 ・川辺川と球磨川が合流した下流に人吉水位観測所がある。 ・四浦水位観測所と人吉水位観測所の距離は約20kmある。 ⇒水流は10kmと仮定すると、川辺川ダムで堰き止めた影響は2時間後に人吉観測所に現れる。 ・2020/07/04 07:30(水位5.07m) の後に人吉観測所は、欠測となっているので、 四浦では、2時間前の 05:30(水位8.26m)の水位を維持できれば、川辺川が原因で氾濫することは無いと言える。 ・四浦は、2020/07/04 10:20に8.26m以下(8.19m)の水位となっている。 ⇒05:30~10:20で、水位8.26m

    川辺川ダムがあったら球磨川は氾濫しなかったか?
    cinefuk
    cinefuk 2020/07/08
    ダムが不要だとは思わないが、本籍地がダムの底に沈んでいる(まだ移してない)ぼくは「ダム建設に反対する奴は国益を考えない害悪」的な言論に傷付いている。建設中止の経緯にも、さまざまな「思い」がある事と思う
  • 川辺川ダム中止表明10年 水没免れた熊本・五木村、集落存続に力 - 産経ニュース

    県で国が高度経済成長期から進めた川辺川ダム建設計画は、民主党政権が中止を表明してから、9月で10年になる。水没を免れた同県五木村は、人口減少や高齢化にあえぎながらも、地場産業を立て直して集落の存続を図っている。 ◆林業を軸に振興 「ここまで急激に人が減るとは…。村内で経済が回らなくなってしまった」 在任12年になる和田拓也村長(72)は、地域活性化策への思いを巡らせながら、ため息をつく。 昭和30年代に6千人超が暮らした五木村は、国がダム計画を発表した41年以降、水没予定地で離村する人々が目立った。人口は今年7月末時点で、1080人にまで減った。65歳以上の割合を示す高齢化率は、県の平成29年10月時点の集計で49%。県内45市町村の中で最も高い。 かつて立ち並んでいた商店は衰退し、今は村外へ買い出しに行く住民が多い。 代替の住宅地や道路整備と引き換えにダム建設に同意した村は今、林業を

    川辺川ダム中止表明10年 水没免れた熊本・五木村、集落存続に力 - 産経ニュース
    cinefuk
    cinefuk 2020/07/06
    『昭和30年代に6千人超が暮らした五木村は、国がダム計画を発表した41年以降、水没予定地で離村する人々が目立った。人口は2019年時点で1080人にまで減少。代替住宅地や道路整備と引き換えにダム建設に同意した村は今』
  • 蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 | 毎日新聞

    災害対策部会議の後、2008年の川辺川ダム計画反対表明について取材に応じる蒲島郁夫・熊県知事=熊市中央区の熊県庁で2020年7月5日午後4時52分、清水晃平撮影 熊県南部の記録的豪雨で1級河川・球磨川が氾濫し、甚大な被害が出ている状況について蒲島郁夫知事は5日、報道陣に「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と語った。球磨川水系では1966年から治水など多目的の国営川辺川ダム計画が進められたが、反対する流域市町村の意向をくんだ蒲島知事は2008年9月に計画反対を表明。国も中止を表明し、09年から国と県、流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが、抜策を打ち出せずにいた。知事との主なやり取りは次の通り。【清水晃平】 ――知事は川辺川ダム計画に反対し、ダムによらない治水をすると言ってきたが、ダムを作っておくべきだったという思いは?

    蒲島知事「『ダムなし治水』できず悔やまれる」 熊本豪雨・球磨川氾濫 | 毎日新聞
    cinefuk
    cinefuk 2020/07/06
    『住み慣れた故郷の土地を強制的に没収してでも、国益(これの定義がない)に沿う土木開発を急ぐべき』という主張が目立つ。「北京政府のする事だからウィグル強制移住反対」でも「東京政府のする事には賛成」か?
  • 1