世間では吾妻ひでおを所謂「オタクカルチャー」、または「萌え」の始祖とする向きがあるようだが、どうだろう。吾妻ひでおが「萌え」に与えた影響は認めるにやぶさかでないにしても、吾妻ひでおを萌えの「始祖」とまでするにはよほど慎重にならないといけないような気がする。 吾妻ひでおがコミックマーケット11にて同人誌「シベール」を販売したのは1979年。手塚治虫的な漫画キャラクターによるエロ表現は、この「シベール」を以って嚆矢とする、というのは教科書的な知識の確認である。なるほど確かに吾妻ひでおが「シベール」によって果たした意義は大きいし、「シベール」や吾妻作品には後年の萌えカルチャーの要素が既に含まれていることも確認できるだろう。しかし、そのような現在の萌えカルチャーの位置に立って、80年代の吾妻ひでおの仕事を遡及的に眺める姿勢には、単なる「萌えの始祖」というレッテルに還元できないような吾妻本来の固有性