防衛省が「存在しない」としてきた陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が初めて公表された。2004~06年の435日分、計1万4929ページ。一見すると膨大な量だが、これでも派遣期間全体の45%にとどまる。メディアでも「残された日報は本当にこれだけか。徹底的な調査が必要だ」という声は出ているが、何が公表されていないかはかなり明確だ。 決定的に欠けているのは自衛隊の先遣隊が2004年1月19日にサマワに到着した後、4月7日に自衛隊宿営地の近くで迫撃弾砲弾が着弾してから治安状況が悪化する同年年末までの9か月間の日報である。2004年分では実際の支援活動を担う「イラク復旧支援群」の日報は「3月1日」「7月14日」「9月22日」の3日分だけで、他にサマワの行政機関や日本の外務省などとの調整を担当する「イラク復興業務支援隊」の日報が2004年1月と2月の計26日分である。状況が悪化した2004年4月ー12月
一体、何を隠そうとしているのか――。 16日、防衛省が公表した陸上自衛隊のイラク派遣の日報。435日分、計1万4929ページに及ぶ膨大な資料で、早速、「戦闘拡大」の記述を巡って議論されているが、ごまかされてはいけない。公開されたのは、派遣期間全体のわずか45%に過ぎない上、宿営地の被弾など、陸自が最も危険にさらされた時期の日報は、ゴッソリ抜け落ちているのだ。そこには、核心が書かれている可能性が高い。 陸自は2004年1月から06年7月にかけてイラクに派遣され、04年4月から05年1月に計9回、宿営地に迫撃砲弾・ロケット弾の着弾を受けている。ところが、防衛省が公開した日報は、肝心の被弾した9日分がすべて抜け落ちているのだ。 自衛隊が危険にさらされた日の日報こそ、国民が最も知りたい情報が詰まっているはずだ。不存在の理由を防衛省に聞くと「現地においては、日々作成され、用済み後、破棄されていたもの
◇「非戦闘地域」 膨らむ疑念 防衛省が16日に公開した陸上自衛隊イラク派遣時の日報は、宿営地への攻撃が相次ぐなど現地の治安情勢が悪化した2004年春~05年初めの大半が欠けていた。理由は不明だが、派遣部隊の活動地域が本当に「非戦闘地域」だったかどうかを検証するには不十分な状態だ。一方、昨年3月に発見された陸自研究本部の日報には「戦闘」などの記載がないことも判明。なぜ、日報の存在が同本部で伏せられていたかという疑問も残ったままだ。 【PDF】防衛省が公開したイラク日報 陸自などで発見された日報は、派遣期間(04年1月~06年9月)のうち435日分にとどまり、特に04年3月~05年3月の約1年分は、ほぼ残っていなかった。一部の日報に掲載されていた統計によると、陸自の宿営地のあったサマワを含むイラク南東部では、04年春から米軍が治安の安定化作戦を始めた同年秋までは武装勢力による攻撃が頻発し、多い
Published 2018/04/17 16:35 (JST) Updated 2019/03/25 19:48 (JST) 存在しないとされた自衛隊のイラク派遣時の活動報告(日報)の一部が16日、明らかになった。共同通信の取材・検証チームの一員として約1万5千ページ、435日分の膨大なデータを読み込んだ。最初に気付いたのは、2004年4月7日に陸自サマワ宿営地が初めて攻撃された日報を含め、約1年分の迫撃弾などの着弾、その際の隊員の対応を記載したはずの日報がすっぽり抜け落ちていることだった。まだ防御態勢も十分でない初期、差し迫る危機に隊員たちがどう向き合ったかが分かる貴重な記録を防衛省が出せなかったことに驚いた。記録作成から公開に至るまでの過程で、だれかが何らかの意図で故意にデータを外した可能性もある。防衛省の隠蔽体質は何ら改まっていないのではないか。(共同通信=柴田友明) ▽制服トップ
迫撃砲らしきものの攻撃を受けて、宿営地のゲートで警備に当たる自衛隊員=イラク・サマワで2004年4月8日午前6時45分、加古信志撮影 イラク南部サマワで活動していた陸上自衛隊の日報が16日に公開された。文書からは次第に治安が悪化し、非戦闘地域とは言い難い緊迫した状況が伝わる。陸自の活動初期に当たる2004年当時、現地サマワで取材したが、治安は急速に悪化し始め、陸自からの情報が遮断されたことを記憶している。自衛隊の海外派遣は今後も行われる可能性があり、今回の日報公開をきっかけに徹底した検証が必要だ。【鵜塚健】 「我々は、戦友みたいですね」。04年4月上旬、サマワの陸自宿営地内の救護所のベッドで聞いた若手自衛官の声が今も耳に残る。
<解説> 今回公表されたイラク派遣部隊の日報は、現地の様子を伝える一次資料として価値は重い。現地の厳しい治安状況などをうかがわせる記述が随所に見られた。ただ、これまで明らかになっている陸自宿営地へのロケット弾の着弾を含む二〇〇四年三月~〇五年三月の一年分の大半が含まれておらず、危険度が高まった時期の日報は抜け落ちていた。 陸自が派遣終了後に日報などを基にまとめた「イラク復興支援活動行動史」などによると、宿営地への初めての着弾は〇四年十月二十二日。同三十一日には、ロケット弾が宿営地内の荷物コンテナを貫通した被害が出たが、この日の日報はなかった。宿営地への計十三回の攻撃のうち、十一回分の日報がない。 自衛隊のイラク派遣は海外での武力行使を禁じた憲法九条との整合性が問われたが、政府は自衛隊が活動する地域は「非戦闘地域」だと説明し、世論の反対を押し切った。本当に「非戦闘地域」だったのか、今回公表さ
2009年~11年に陸上幕僚長を務めた火箱(ひばこ)芳文氏の話 日報は部隊の日々の行動記録であり、陸自が存在を隠蔽(いんぺい)する性質のものではない。だから稲田朋美・元防衛相がイラク日報を「見つけることができなかった」と説明した際に「あれ?」と思っていた。 日報には「戦闘」という表現も含め、現実に起きたことがありのままに記される。当然保管されるべきものだし、将来の派遣に必要な装備や部隊の規模、現地対策など教訓を得る上で極めて重要だ。他国からの提供情報や装備の能力といった機密情報も含まれるため、すべてを公開することはどんな国でもあり得ないが、公開の範囲を慎重に判断すれば、国民に開示することはできる。 自衛隊の活動について国民の理解を得るためにも、防衛省は情報公開のあり方についていま一度見直してほしい。
防衛省が16日に公表した自衛隊イラク派遣の活動報告(日報)には、「戦闘が拡大」「銃撃戦」といった記述が複数あった。自衛隊の活動は非戦闘地域に限り、憲法が禁じる海外での「戦闘」はない、と説明して派遣を決めた小泉政権の当事者たちはいま、何を思うのか。 「最も安全な地域と判断して派遣を決めた。不幸にして、その時はあんな状況になるとは夢にも思っていなかった。米軍も思っていなかった」。小泉純一郎内閣で官房長官だった福田康夫氏は16日の日報開示後、そう振り返った。 「全く関与しないよりは関与した方が日本の存在感を中東において示すことができる。判断の分かれるところかもしれないが、そういう判断をした」と語る。 安全保障・危機管理担当の官房副長官補だった柳沢協二氏は当時、自衛隊が戦闘に巻き込まれる恐れはないと判断したが、「非戦闘地域の概念が、すんなりいかないという認識はあった」と認める。小泉首相も当時秘書官
残りの55%の日報は本当にもう存在しないのだろうか? 読みたかった日の日報が結構欠けている。貴重な一次史料が失われてしまったとしたら非常に残念である。 宿営地サマワ「戦闘拡大」 イラク日報、政府説明と乖離:朝日新聞デジタル https://t.co/e21MRjIMYB
イラク日報。自衛隊が攻撃を受けたり危機にさらされた事案については日報には詳しく書かず、別に詳細な報告書を作成して随時送っている感じだな。
<div class=\"Section videoranking\" id=\"VideosSlide\">\n<div class=\"Title\">\n<h2><a href=\"//www.asahi.com/video/?iref=com_rnavi_video#ranking-list-wrap\">動画ランキング</a></h2>\n<ul class=\"SubLink\"><li class=\"Fst\"><a href=\"//www.asahi.com/video/?iref=com_rnavi_video\">動画一覧</a></li></ul>\n</div>\n<div class=\"VideosSlide cFix\">\n<div class=\"VideosListOuter\">\n<ul class=\"VideosList cFix\">\n<
2004年から06年にかけてイラクに派遣された陸上自衛隊の日報が公表された。「隠す必要のない文書」「なぜ、こんなことになるのか」。隠蔽(いんぺい)問題に発展させた防衛省の対応に、派遣された元隊員たちは複雑な思いを抱えている。 元隊員らによると、日報は、現地の会議で報告された任務や予定、気象状況などを文書係がまとめ、宿営地が攻撃を受けた際は背景の分析も盛り込まれた。普段は電子メールで日本に送り、急を要する場合は衛星電話も使われたという。 「戦闘という言葉も使いましたよ」と話すのは、復興業務を担う本隊として派遣された60代の自衛隊OB。… この記事は有料記事です。 残り659文字(全文929文字)
防衛省が公開した陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報は、同国南部サマワで2004~06年に活動した期間のうち435日分、1万4929ページに上る。膨大な量だが、詳細に見ると、部隊の宿営地に迫撃砲が撃ち込まれたり、群衆に囲まれ投石を受けたりした記述がある。イラク派遣で隊員は「非戦闘地域」で「人道復興支援」に当たるとされたが、戦闘地域と変わらないリスクを負わされ、緊張を強いられた実態が浮かぶ。【井上英介/統合デジタル取材センター】 サマワで05年6月、陸自車両を狙った爆破事件が起きた。6月23日の日報は「0900(午前9時)、復興支援現場に向かう途中の陸自車列が西から東へ走行中、3両目右前方付近で爆発」などと記述。3両目を走っていてフロントガラスにひびが入り、ミラーが割れ落ちた被害車両(高機動車)や、現場で見つかった爆破装置の写真がついている。
4月16日、防衛省は、2004年から06年にイラクへ派遣した陸上自衛隊部隊の日報を公表した。写真は小野寺防衛相、昨年8月撮影(2018年 ロイター/Issei Kato) 防衛省は16日、2004年から06年にイラクへ派遣した陸上自衛隊部隊の日報を公表した。隊員の活動はイラク復興支援特別措置法に基づき「非戦闘地域」に限られていたが、日報には「戦闘」という文言が複数あることが明らかになった。 小野寺五典防衛相は16日午後、記者団に対し、「(戦闘という記述が)何カ所かあったと確認しているが、いずれにしても言葉であるので、それが実際にどのような意味合いを持つかは内容を見て判断してもらいたい」と語った。その上で「イラク復興支援特措法に基づいて自衛隊の活動が実施されたという認識に変わりない」と述べた。 公表された日報は435日分、1万4929ページ。2017年2月に野党が開示を求めたものの、防衛省は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く