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ブックマーク / hyoshiok.hatenablog.com (3)

  • 9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日ディジタルイクイップメント(DEC

    9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    ykfksm
    ykfksm 2018/10/01
    退職翌月に院生に。スムーズ過ぎる。出会った時の吉岡さんはMiracle立ち上げ直後で今の私と年齢一緒ぐらいだったのだなぁ。研究室一緒になる院生さんたちはラッキーだけど、教授は逆にプレッシャーでは、という…笑
  • Netscapeがすごい会社だった頃の話(1996年前後)。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    夏休みなので、たまたま読んでいたCoders at Work プログラミングの技をめぐる探求というの中にJamie Zawinskiのインタビューが載っていた。このは著名なプロラグマを集めたインタビュー集で、Unixを創ったKen ThompsonやらDonald Knuthやらすごい人たちが登場している。 その中でJamie Zawinskiはそれほど著名でもなければ誰もが使っているすごいシステムを開発したというわけでもない。私が彼の名前を知ったのはNetscapeのソースコード公開時にMozilla.orgを仕切っていた頃なので、20年近く前である。 彼はxemacsの開発者としても著名で、当時GNU Emacsではなくてxemacsを日常的に使っていたので馴染みにある名前だった。xemacsとGNU Emacsはのちにマージされるのだけど前者が今で言う所のバザール型開発で、後者が

    Netscapeがすごい会社だった頃の話(1996年前後)。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • かつてオープンソースが当たり前じゃないころがあった - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    先日文明塾の修了生のみなさまとお話したときのこと(コミュニティとしての大学 - 未来のいつか/hyoshiokの日記参照)。ハッカー文化とかオープンソースのことをあれやこれやお話したのだけど、その中で現役の学生さんから「ゼミでIT係を担ってからよくソースコードを何気なく閲覧してしいました。しかし、自由にソースコードが見れる環境が衝撃的で素晴らしいことであることに吉岡さんのお話を聞いて学ばせていただきました。」という感想をいただいた。 そうだ。すっかり忘れていた。オープンソースが当たり前じゃない時代があった。とてつもない衝撃を受けた自分がいたことをすっかり忘れていた。 1998年1月。Netscapeが自社のブラウザのソースコードを公開するということを発表した。当時のシリコンバレー日記にそのことを書いている。http://web.archive.org/web/19990423102903/

    かつてオープンソースが当たり前じゃないころがあった - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    ykfksm
    ykfksm 2014/04/28
    「すっかり忘れていた。オープンソースが当たり前じゃない時代があった。とてつもない衝撃を受けた自分がいたことをすっかり忘れていた」1998年1月。開発畑じゃない私もビックリしたもん。
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