タグ

ニッポンコムに関するkanoetatsuのブックマーク (3)

  • 割腹自殺によって“作品”を完成させた三島由紀夫

    三島由紀夫が割腹自殺を遂げてから、今年の11月25日で50年になる。その死は当時の日社会に大きな衝撃を与えるとともに、どうして45歳の若さで自死を選んだのかという疑問を人々に残した。遺作を手掛かりに、その謎に迫る。 1970年11月25日。作家・三島由紀夫(1925〜1970)は、連載中の4部作『豊饒(ほうじょう)の海』最終回の原稿を編集者に渡し、その同じ日に自衛隊に蹶起(けっき)を呼びかけた後、東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監室で切腹し同志の介錯(かいしゃく)によって絶命した。つまり、作品の完成と人生の終結が同時に訪れたのだ。この事件は人々に大きな衝撃を与え、半世紀を経た今なお、世界中でその意味が問われ続けている。しかし、意外なことに、死に至るまでの具体的な経緯はあまり知られていない。いったい三島は、いつ死を決意したのだろうか。自決と文学作品はどのような関係にあるのだろうか。 初期作

    割腹自殺によって“作品”を完成させた三島由紀夫
  • ソ連に幻想抱く日本の中枢に黙殺された和平工作:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(7)

    北欧の中立国でソ連参戦の密約を知った小野寺信(まこと)ストックホルム駐在陸軍武官は、スウェーデン王室を通じた終戦工作を始めた。国王の甥と共に仲介した人物から、「オーソリティー(国王)の手に移った」と聞かされたが、その後、連絡がなかった。ソ連仲介による終戦の幻想を抱いた大営が、小野寺の工作を「邪魔(ノイズ)」として、ヤルタ密約に続き抹殺したのだった。スウェーデン王室から英国王室を介して大戦に幕を引けば、ソ連参戦を防止できた可能性もあっただけに痛恨の極みだ。 小磯内閣崩壊で宙に浮いたバッゲ工作 スウェーデン駐日公使だったウィダー・バッゲは、日を救おうと1945年4月下旬、帰国した。外務省編『終戦史録』などによると、44年9月15日、近衛文麿元総理と知己のある朝日新聞専務の鈴木文史郎から、「戦争を終結させる工作を中立国スウェーデンの斡旋で英国に依頼してほしい。占領地域を全部返還し、満州国も放

    ソ連に幻想抱く日本の中枢に黙殺された和平工作:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(7)
  • パラオ「天皇の島」ペリリューの戦跡から考える「日本の戦争」の姿

    パラオは観光国、環境立国という明るい側面と同時に、太平洋戦争の激戦地という重い歴史も持つ。その戦跡を歩いてみた。 1万人を超える犠牲者が出た戦場あの時代、あの戦争。日人はこんな場所で戦っていたのか。改めて、真っ青に透き通った海を見つめながら考えてしまった。 パラオの中心都市コロールから快速ボートでおよそ1時間半。世界遺産の美しいサンゴ礁の海を疾走してたどり着いたペリリュー島は、かつて日軍が太平洋で米軍を最も苦しめた戦場の一つとは思えない、優しいたたずまいの小さな島だった。 ペリリュー島の波止場の舟寄せ ペリリュー島の戦いは、人員、装備ともに劣勢にあった日軍による必死の抵抗だった。当時、島を守備したのは1万人。満州に駐留していた水戸第2連隊が主力だった。米軍の主力は海兵隊第1師団。日米両軍の精鋭同士がぶつかり、両軍合わせて万を超える死者を出す凄惨(せいさん)な戦いとなった。 両陛下の慰

    パラオ「天皇の島」ペリリューの戦跡から考える「日本の戦争」の姿
  • 1