三島由紀夫が割腹自殺を遂げてから、今年の11月25日で50年になる。その死は当時の日本社会に大きな衝撃を与えるとともに、どうして45歳の若さで自死を選んだのかという疑問を人々に残した。遺作を手掛かりに、その謎に迫る。 1970年11月25日。作家・三島由紀夫(1925〜1970)は、連載中の4部作『豊饒(ほうじょう)の海』最終回の原稿を編集者に渡し、その同じ日に自衛隊に蹶起(けっき)を呼びかけた後、東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監室で切腹し同志の介錯(かいしゃく)によって絶命した。つまり、作品の完成と人生の終結が同時に訪れたのだ。この事件は人々に大きな衝撃を与え、半世紀を経た今なお、世界中でその意味が問われ続けている。しかし、意外なことに、死に至るまでの具体的な経緯はあまり知られていない。いったい三島は、いつ死を決意したのだろうか。自決と文学作品はどのような関係にあるのだろうか。 初期作