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エッセイに関するkanoetatsuのブックマーク (12)

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  • [五郎ワールド]亀鳴く声に耳澄ます…特別編集委員 橋本五郎

    【読売新聞】

    [五郎ワールド]亀鳴く声に耳澄ます…特別編集委員 橋本五郎
  • 6月5日 気流 日曜の広場「傘」

    【読売新聞】

  • 【直球&曲球】野口健 平賀カメラマン遭難…残った手のぬくもり

    この4月、2年半ぶりにヒマラヤへ入った。4度目のマナスル峰に向けた調整だった。2019年秋、マナスル峰へ3度目の挑戦をするも、山頂まで標高500メートル手前で撤退。登頂して無事に生還する姿をイメージできなかったのだ。ヒマラヤで20年来ともに挑戦してきた平賀淳(ひらが・じゅん)カメラマンに「大変申し訳ないが、ここで下りよう」と告げた。雪が降る中、ベースキャンプに到着した際、平賀さんは「登頂はできなかったですが、僕たちが生きて戻るという約束は果たせましたね」と僕の手を握ってくれた。 野口健氏(春名中撮影)彼が突然、僕のところに現れたのは02年。「これからカメラマンをやります。僕をヒマラヤに連れて行ってください」。「カメラはあるの?」に「いや、カメラは持っていません。野口さんのカメラをお借りしたいです」に驚かされた。「なんてずうずうしい男だ。しかし、雰囲気を持っているな」と。気がつけばエベレスト

    【直球&曲球】野口健 平賀カメラマン遭難…残った手のぬくもり
  • 【東京特派員】湯浅博 ウクライナ人、神官の祈り

    3月のカレンダーをめくるころ、隅田川沿いの人々は、挨拶(あいさつ)代わりに季節の言葉を交わすそうだ。 「隅田川の水面もぬるくなったね」 戦後の浅草界隈(かいわい)を描いた西舘好子さんの著書『「かもじや」のよしこちゃん』の書き出しは、そんな会話で始まる。今はまだ寒風が頰(ほお)をなでるし、雪が舞うことがあるかもしれない。コートだって離せないのに、浅草っ子はもう「桜のつぼみも、ほれ、膨らんだようね」と気が早い。 まだ、梅が咲き出したばかりだから、春の足音は行きつ戻りつしながら近づいてくるだろう。 「10ある境内の梅は、まだ1しか咲いていませんね」 埼玉県児玉郡の上里菅原神社の宮司、梅林正樹さん(49)は、その名前の通りの梅談義をしてくれた。神社の由緒をたどると、九州・大宰府で没した菅原道真公の「御意」を陰陽博士(おんようはかせ)が延喜3(903)年、全国に広めるべく当地に立ち寄ったことに始

    【東京特派員】湯浅博 ウクライナ人、神官の祈り
  • 【朝晴れエッセー】バス停・2月24日

    通勤の人々がいなくなった遅い朝、店の前のバス停では、お年寄りたちがバスを待っている。 その中の何人かは昔からのおなじみさんで、二代目の私を子供の頃のように、ちゃん付けで呼ぶ。呼ばれた私も、「おばちゃん今日は何にする」と答える。 そんなおなじみさんの1人が亡くなられたと、茶飲み仲間のおばちゃんから聞いた。居間で倒れているのを、ヘルパーさんが見つけたらしい。 体調がよくないのは知っていた。いつも注文するワンタン麺を残すようになり、少なめにしようかと出した麺もべきれず、「のこしてごめんね」と言って帰っていくことが多くなっていた。 93歳の1人暮らしは大変だろうと思っていたが、2人いる娘の世話にはならず、1人を通していた。 手押し車をたよりにバスを乗り継ぎ病院にかよい、手術後、退院して間もないのに玄関の掃除をしていたおばちゃん。「皆がお茶を飲みにくるからね」と、笑っていたおばちゃん。 私はよく聞

    【朝晴れエッセー】バス停・2月24日
    kanoetatsu
    kanoetatsu 2022/02/24
    名誉の戦死。
  • 28年ぶりの表彰台 日本複合陣「団体メダルの喜びはひとしお」 悲願叶える

    ノルディックスキーの複合男子団体で銅メダルを獲得し、日の丸を掲げて喜ぶ(左から)渡部善斗、永井秀昭、渡部暁斗、山涼太=張家口(共同) 28年ぶりのメダルに、思いが募る-。ノルディックスキー複合男子団体で日がようやくメダルを手にした。銅メダル。団体で金メダルに輝いた2009年世界選手権を現役で唯一経験している渡部暁は「個人で取るよりも何倍もうれしさがある」と笑みを浮かべ、「日の複合チームの未来に対して、当にいいメダル」と喜びをかみしめた。 長い間、日の定位置は4位だった。ドイツ、ノルウェー、オーストリアが五輪は2大会連続、世界選手権は3大会連続で表彰台を独占して君臨。どうしても3強の壁を突き破ることができなかった。1992年アルベールビル五輪団体を制した日複合陣としては、再び表彰台に立つことが悲願。この間、個人種目でメダルを獲得し、〝複合の火〟を灯し続けてきた第一人者、暁斗にとっ

    28年ぶりの表彰台 日本複合陣「団体メダルの喜びはひとしお」 悲願叶える
  • 【直球&曲球】野口健 奇想天外だった石原慎太郎さん

    石原慎太郎さんとの奇想天外なエピソードは数え切れない。いきなり電話で「今どこにいる、大至急、都庁に来てくれないか!」と。とっさに「地方にいますので難しいです」。「だったらヘリをチャーターしてこい」。ジョークなのか、気なのか。翌日、駆けつけると「平沼赳夫(元経産相)と作った党から出てくれないか。この国のために一緒にやろう」。出馬要請であった。石原さんのオーラに圧倒されながらも「NOと言える日」のタイトルを思い出し、勇気を振り絞って断った。帰り際、「野暮(やぼ)な事(こと)を言っちまったな。この国のためにもエベレストで死なれたら困る」との言葉に目頭が熱くなった。 あるときは「君は日の最高峰を清掃していると言っているが、やっていないじゃないか!」。会話が全くかみ合わない。「(かつての)日の最高峰は新高山(にいたかやま)(台湾の玉山)じゃないか。直(す)ぐにでも台湾に行くことだ!」と石原さ

    【直球&曲球】野口健 奇想天外だった石原慎太郎さん
  • 【池江流子育て どんな人から生まれても】役立つことが自然にできる ご褒美としてのお手伝い

    6歳の誕生日に、ケーキのろうそくに火をつける池江璃花子選手。この頃には、毎日のお手伝いが当たり前だった北京五輪が開催されています。選手にとって五輪は特別な大会です。幼い頃からスポーツの楽しさを知ると、いつかは五輪選手になりたいと夢を持ちます。選手は純粋に五輪での栄光を勝ち取るために練習を重ね、情熱を傾け、したいことも我慢しています。そんな選手たちを心から応援したいと思います。 昔、あるスポーツ選手が圧倒的な強さを見せ、五輪でも連続で金メダルを取っていました。そのような素晴らしい功績の源をその選手は「子供の頃、欠かさず家の手伝いをしていたから」と答えたそうです。わが家でも子供たちにはお手伝いをさせていたので、とてもうれしく思いました。 わが家のお手伝いは9つありました。子供が3人だったので、1人3つずつ、定期的に担当を代えていました。お風呂掃除、洗濯物たたみ、お皿洗い、玄関の掃除、トイレの掃

    【池江流子育て どんな人から生まれても】役立つことが自然にできる ご褒美としてのお手伝い
  • 【サクラと星条旗】追悼・石原慎太郎氏 週刊誌コラムでは「悪魔」だと書いたが…気づくと彼に魅了されていた 本音を語ることを恐れない男(1/5ページ)

    今年2月1日、偉大な作家で政治家の石原慎太郎氏が89歳で亡くなった。 私は作家として昔から石原氏のキャリアに関心を抱いていた。その華々しい経歴の始まりを飾った23歳での芥川賞受賞作「太陽の季節」を読んだが、鎌倉を舞台に戦後の非道徳的な若者を鮮烈に描いた作品であった。小説映画化され、出演した弟の裕次郎氏は「日のジェームズ・ディーン」と呼ばれるほどの大スターになった。石原慎太郎、裕次郎兄弟は、日の若者文化の中心となっていった。 彼の歯に衣着せぬウルトラナショナリスト(超国家主義者)的発言は、いつもトラブルを引き寄せた。1963年大相撲秋場所の千秋楽。白系ロシア人の父を持つ大鵬と柏戸の横綱全勝対決を柏戸が制して優勝した。すると翌日の日刊スポーツ紙の論説で石原氏がこの取組を「八百長」だと批判。当時大鵬は過去12場所中11場所で優勝という圧倒的強さを見せており、世間の大相撲への関心は薄れていた

    【サクラと星条旗】追悼・石原慎太郎氏 週刊誌コラムでは「悪魔」だと書いたが…気づくと彼に魅了されていた 本音を語ることを恐れない男(1/5ページ)
  • 石 : 武田邦彦 (中部大学)

    それは60年の歳月を経た女の皮膚であったが、それでも縁側からさし込む夏の太陽の光に白く透き通っていた。脳裏の遠くに映るその光景は妙に眩しかった。 その日は朝から準備やら、なんとなく落ち着かないまま、すぐ昼になり、こんな事でもなければ集まらない顔ぶれが庭に整列していた。まもなくボリュームを一杯にしたラジオから陛下の玉音放送が響いた。 あるいは泣き崩れ、あるいは座り込む大人の中を、私は所在無く歩き回っていたように覚えている。祝詞のように流れ出す陛下の放送、そよぐ葉の間から聞こえてくる蝉の声、そして押し殺したようなすすり泣きが交錯して灼熱の砂埃の中に消えていった。 祖母が白木の箱を前に縁側にへたり込んだのはそれからしばらくしてからだった。無条件降伏を告げる玉音放送、そして目の前にある戦死した息子の骨を収める白木の箱、その二つが祖母ばかりではなく、お葬式の参列者にはどうしても理解できなかったのだ。

    石 : 武田邦彦 (中部大学)
  • 【朝晴れエッセー】事件・2月11日

    終戦直後の日糧難でヤミ屋さんが荷物を背負って行き来していた。 幼かった私が家の奥にあるトイレから出ようとすると、大きな足音をたてて両親と荷物を背負った女の人が廊下に駆け込んできて、女の人が力まかせに私を押しのけてトイレに閉じ籠もった。 次の瞬間、土間から追ってきた刑事さんが両親に向かって「どこへ逃げた?」と詰問した。父も母も「わかりません」と答えたので私は驚いた。 刑事さんの目がトイレの前に立ちすくんでいる私をとらえた。私はその眼差しから逃れることができず、追いつめられて、小さな心でそのときを覚悟した。 「どこへ逃げた?」。そう問われると思っていた。けれども、重苦しい沈黙のときを破るように、老刑事の顔が突然泣きそうになり、サッと顔を伏せた。少ししてそのまま静かに去って行った。 両親は刑事さんが帰ったことを知らせたが、外の出来事を知らない女の人は、その後ずっと閉じ籠もり続けていた。よう

    【朝晴れエッセー】事件・2月11日
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