*** 鎌倉時代に成立した歴史書「吾妻鏡」は、鎌倉幕 府3代将軍の源実朝を「予言者」として描いている。国文学者の藪本勝治氏が指摘するように、「吾妻鏡」における実朝は、夢のお告げや祭祀(さいし)を通じて神仏と交信できる神がかった人物として、一貫して 造形されているのだ(「『吾妻鏡』の文脈と和田合 戦記事」『軍記と語り物』56号、2020年)。源実朝が「源氏将軍家は私の代で断絶する」と“予言”したことは良く知られているが、他にもいくつか例を挙げよう。 和田合戦を予言した実朝 承元4年(1210)11月24日、駿河国建穂寺(たきょうじ)(現在の静岡県静岡市葵区建穂に所在)からの使者が将軍御所に到着した。21日に同寺の鎮守である馬鳴大明神が「酉の年に合戦があるだろう」とお告げを行ったというのだ。 そこで大江広元は「本当かどうか占いで確かめてみましょうか」と提案した。すると実朝は「21日の暁に自分も