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anonymousdiaryとcriticに関するmugi-yamaのブックマーク (9)

  • Twitterに適応できなかったオタクの行く末

    オタクにとってTwitterはヲタ活動の必需品である。Twitterは凄い。クリエイターに直に感想を送れるし、同志が良いツイートを回してきてくれる。凄い。時間が無限に欲しくなる。 でも、俺はTwitterを使いこなせなかった。FF外から失礼できなかった。FFでもふぁぼするだけの関係になってしまった。どうでもいい呟きが並び続けるノイジーなタイムラインを眺められなかった。絵や漫画に付くリツイートとふぁぼを同時押しするイラストにイライラした。そのくせ自分から発信できるコンテンツも無かった。 なんだこれ、Twitterやらなくていいじゃん、俺… 結局俺は気になる人のツイートとか、追ってる作品のハッシュタグとmin_faves:100とか付けた検索結果を他ツールに通知させてるだけで満足してしまった。俺にとってTwitter二次創作や作品を収集するだけの検索エンジンとなり、そこに会話は無かった。 T

    Twitterに適応できなかったオタクの行く末
    mugi-yama
    mugi-yama 2019/10/11
    「<私が>書く必要はない。誰かが書いていればよいのだ」という言葉があって、逆に、もしまだ誰も書いていない何かがあるのなら、下手だろうがまとまっていなかろうがどこかに書き残しておくべきなのです。
  • 映画評、音楽評ほどあてにならないものはない

    映画は感覚と自分の引き出しのすべてを使って判断し、音楽は言葉ではなく共感でその価値を判断する。 論評が必要でそれに値するのは文学とマンガぐらい。 映画評読んで映画見たり、音楽評読んで音楽買っている人間はほぼすべて、自分の価値判断が存在しないような幼稚な人間なのであって、あなた達はコンテンツの消費に必要のない人間なのである事を自覚して欲しい。

    映画評、音楽評ほどあてにならないものはない
    mugi-yama
    mugi-yama 2016/03/14
    あてにならないっつーか、増田本人の「小説やマンガはあるていど言語化できるけど映画や音楽はそれが苦手」っていう告白でしかないんでないのコレ
  • どうでもいい批評は聞くな

    小説サイトに投稿していた時に一番嫌な気分になったのがこれだ。登場人物がシナリオに必要ないから削れ、という話を聴いて修正すれば翌日にその人物は必要だと他の人物から批評が飛んで来る。心理描写を優先させていたらその隣で展開が遅いのでさっさと展開しろと言い始める奴もいる。そんなことを理解してか返信が「ありがとうございます」しか言わない奴まで出てくる。そういう奴は殆ど批評を数として捉えていて、一応見ているが8割採用しない。と言うより経験からして批評を8割り採用している奴なんて見たことがない。ところが評者というのは厄介な連中で、自分の評を絶対視しているので是が非でも受け入れさせようと必死になってくる。一見正しいことを言っているが、決して面白くなる指摘でもなければ大枠の意図を汲みとって指導しているわけではない。殆どのケースを取るに足らない重箱の隅が占める。重箱の隅を直すと今度は他のやつがダブスタ重箱をか

    mugi-yama
    mugi-yama 2015/11/06
    えっそんなん当り前やん…
  • 「創作物と作者を切り離せるか」系の記事を読み回ってて思ったんだが

    「創作物と企業を切り離せるか」「創作物と国を切り離せるか」までいくとどうなるんだろう? 切り離せない人が多数派に回るんかな。 自分自身、企業がブラックだったり酷いコンテンツを出したり、自国や他国がネガティブな事をしでかしてると、 何かしら色眼鏡をもってしまう。「いや、割り切れよ」と言われればそれまでなんだけど。

    「創作物と作者を切り離せるか」系の記事を読み回ってて思ったんだが
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/08/23
    すいませんが「創作物と作者を切り離す」ってどういうことなのかどなたか説明plz
  • 作家にエスパーマミでいうおこる権利なんか現状与えられていない

    公に作品を公表している作家は、どんなに罵られても反論してはならない、罵られるのが嫌なら公表するな、SNSをするな、みたいなことがまかり通っているのが何となくこわい。 あんまりにも罵られると心が折れてしまう繊細な作家は山ほどいるし、そういう繊細な人でないと生み出せないものがたくさんあるからだ。どんなに罵られても全然平気!っていう精神的マッチョばかりが作品を発表されるようになったら、どういう作品が溢れるようになるか想像できないんだろうか。 そして、どんな人だって傷つけられずにSNSする権利ぐらいある。これだけたくさんの人がSNSをやっている時代に、作家だけやらせない道理がない。おまえはいじめられる可能性があるから、傷つくのがいやなら学校に登校するな、みたいなもんだ。おまえの作品、おまえの発言、おまえの顔がムカつくから家にこもってろ?どんな世界なんだそれは。 じゃあ、有名なエスパーマミの画像のよ

    作家にエスパーマミでいうおこる権利なんか現状与えられていない
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/06/19
    仮に作者が反論する権利を行使してバカな批判を論破したとしても、作品や作者の得るものなんてないからなあ。そんなもんハナから見ないのが何よりだと思うけど。
  • 作者論は作者に会わずして語れない

    作者論を語る時、作者と会うというのは必須過程だと俺は思う。 作者と会うのは義務というわけではなくて、 ある作品が好きなら、それを作った作者がどういった人物なのか気になるものだと思う。 最初は表紙裏のプロフィール欄やツイッターのつぶやきや ブログの書き込みを見て満足するけども、 やっぱり気になる人物がいたら、 実際にお会いしてお話ししてみたくなるのが普通の反応だと思う。 でも一方で、みんな作者のことをそれ以上知るつもりがないのではないかとも思うんだ。 作者がその作品をどう考え、どうやって作ったか。それをみんなは知りたがっているように思う。 それは作者論ではなく、作品論だと思う。大事なのはその先なんだ。 その人がどんな趣味をもち、どんなものをべていて、好きなテレビ番組は何で、 よく見るネットの記事は何で、よく遊ぶのはどんな人で、家の掃除をしているかとか、寝るときは布団なのかベッドなのかとか。

    作者論は作者に会わずして語れない
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/05/10
    普通こういうの「作家論」っていうと思うんですが、なにか特殊な分野の話?(会いに行けることが前提になってるし…)
  • 「もの叩き」はやっぱり至上の娯楽なんだよね

    人でも物でも作品でもさ、褒める事ってそれを守る側に追い込まれるって事なんだよね。 褒めた物への愛という満足だけを持って一緒に打たれて疲弊して心をすり減らされる標的になるということだから当然なんだけどさ。 だからこそみんな何かを叩く事に流れるわけ、やっぱり何かを責めるのって凄く気持ち良いんだよ。 もうね、叩くことが正しく楽しいって考えは浸透してるからね、責める我らは批判する正義で守る彼らはヘイトしてくる信者で悪なの。 そもそも無駄に利口であろうとしてもどうせ苦しむんだから「素直に憎める頭」を持たないとストレスたまるだけ、もう嫌でも見えちゃう世の中だからね。 どの作品を標的に定めてどう叩くか、あの出来事をどう標的への叩きに繋げるか、叩けることをどう喜びに繋げるか 上手く時代に適応してもの叩きを楽しめるようにしていかないといけないね。 叩ければ何でも良い、忘れずに。

    「もの叩き」はやっぱり至上の娯楽なんだよね
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/01/17
    気持ちいいというか楽だとは思う。だから単に貶してるものより擁護してる批評のほうが、内容のあるものは多いような気がしてます。
  • 海燕は超越について考える前に校閲をおぼえてほしい

    http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar659973あまりに意味不明だったもんで、日語に翻訳してみた。以下訳文。もっといい訳ができる増田を求む。 数年前、僕は『戦場感覚』という同人誌で、現代は「すべての人がその人なりの戦場を生きている」時代だと論じ、その超克として「ポラリスの銀河ステーション」=ひとの戦いの根源である「愛=差別」が消失した世界を想定しました。参照したのは「よだかの星」などの宮沢賢治作品でしたが、これは文学のみならず人類に普遍的なイメージです。「超越的な世界」、つまりあの世や天国ですね。 Wikipediaによると「宗教的行為の信頼できる証拠は中期旧石器時代(5-30万年前)から見つかっている」そうです。宗教、つまり神や魂、死後といった「超越的な世界」を考えることは、歴史の始まりから人類にとって欠かせない営みでした。なぜヒト

    mugi-yama
    mugi-yama 2014/11/08
    面白そうなのに消えてる―/言及先の記事にkawangoの人が「本質的」とブコメつけてて笑った
  • 今から思うとリアリティなどなどが酷いと思う作品でも楽しめてた時があったよね

    というより、マンガなんてだいたいそんなもんでしょう。キャプテンつば…うっ頭が!この話で思い出したんだけどリアリティという意味ではほんと駄目駄目な作品だと思うんだけど、「セイレムの魔女たち」ってのがあって、私これ好きだったんだよね。魔女狩りで有名なセイレムの街を舞台にした作品で、魔女裁判から10年後の話「という設定」。んで主人公は牧師としてセイレム村にやってきて、魔女裁判後の不信と敵意に満ちたセイレムのはずれのなんとか村に赴任する。エロゲーだから可愛い女の子とかも出てくるけど、その女の子たちは村の人から魔女扱いされて迫害されてるのね。んで、その女の子たちとうちとけつつ、村を良くしようとか思ってたら、当然だけど、魔女騒ぎを起こした村そのものがそのほかのシティの人たちから差別されてて夢も希望もない。さらに、権力争いの道具として再び仲良くなった女の子たちを魔女にしたてることで村ごと滅ぼそうとする思

    mugi-yama
    mugi-yama 2014/10/21
    「ルパンの人」ってナニ?
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