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meaningoflifeに関するmugi-yamaのブックマーク (7)

  • ねえみんなは何を楽しみに生きてるの?

    俺には趣味がない。好きなことを聞かれると困ってしまう。 楽しいことがなにも無いってわけじゃない。ゲームおもしろいと思うしツイッターも見ててニヤニヤしたりするし、スポーツやるも気持ちいいと思う。 でもそのために生きてるかというとそうじゃない。好きは好きだけどそこまでの熱量は無い。休日にゲームして「明日からもがんばれる」とか思わない。これらが明日からできませんと言われてもそこまでショックを受けないと思う。休みの日でもなにもせずぼーっとしてたら一日が終わるのも珍しくないくらいだし。まあこれは疲れが抜けにくい体だってのもあるけど。 仕事上、人と雑談することが多いんだけど、趣味の話とかになるとおれはゴルフとパチンコをよくやるってことにしてる。実際ほとんどやったことないけど好きなおっさん多いから話がひろがりやすい。 でも今日、俺なんでこんな嘘ついてんだろうって思ってしまった。やっぱりみんな好きなこと

    ねえみんなは何を楽しみに生きてるの?
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/12/18
    『人間失格』が出てなくて意外
  • どうにも出来ない矛盾

    最近自分自身について悩む事が増えた。 他人から色々と自分自身のことについて言われる。 あまり気にしないでいたいとは考えるけども、どうしたって頭に残るからくよくよ考えてしまい、結構なストレスを溜め込んでしまう。 私は私なりにしか行動するしかない。 謙虚な気持ちを持とうと思っても、その謙虚さは私がこれが謙虚なのだろうと考えるものでしかない。 他人に学ぼうと思っても、それはこの私自身が学んでいるという事実は変わらない。 だからこう言われる、お前は謙虚さが分かっていないし、ちっとも人から学んでいない、と。 なにかにつけ、こうである。 そう他人から見られるだろう事も分かっているし、だからこそ多少なりともその事を頭において、反省しつつ行動しても、結局その反省しつつ行動するのは私自身であり、この私自身からは逃げられない。 何なんだろうか?この矛盾は。 もう生きたくない。 他人が手を差し伸べる事は出来ない

    どうにも出来ない矛盾
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/12/06
    なんだか「逃げられない私自身」というのを不変で強固なものと捉えすぎてるような気がするし、そもそも人に「わかってない」と言われたら「じゃあ教えてくれ」って聞いてみればいいような気がするけど(単純すぎ?)
  • 障害者は生まれてくるべきではない

    自分は障害者として生まれてきた。自分を産んだ時、自分の親は、まだ次の子を作れる年齢だった。 自分はほっとけば数歳で死んだのに、親は自分に手術を受けさせ、助けた。手術がよほど大変だったのか、親は次の子を作らなかった。 自分の障害は遺伝性ではない。親が手術を受けさせずに自分が死んでいれば、親は次の子を作ったはずで、その子は健常者だったはずだ。 社会全体で考えれば、自分が生まれてきたために、社会は健常者を一人失い、障害者が一人増えた事になる。 社会に迷惑をかけるべきではない、というのは、小学校で教わる道徳の基だ。自分は生まれてきた事によって、健常者を一人奪い、障害者を一人増やし、社会に損害を与えた。社会に迷惑をかけた。自分は、生まれてきた事自体が罪だった。罪を一生かけて償わなければならない。 障害者は生まれてくるべきではない。 補足2: 「すごいデタラメな論理で清々しい程に突っ込みどころしか無

    障害者は生まれてくるべきではない
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/07/05
    所謂ロングフルライフ/バースという考え方には容易に反論を許さない厳しさがあると思うけど、この人の場合根拠のひとつが「小学校で教わる道徳」というのがいかにも浅薄。真面目にやれー!
  • 誰がなんと言おうと、社会は私の死を望んでいるんだ

    私が自殺すれば、皆が喜ぶんだ。 そうじゃないと、私が気持ちよく自殺できないじゃないか。 だから、誰がなんと言おうと、私は悪人で、罪人で、私の死を大勢が望んでいなければならない。 だから、これを読んでいるあなたも、私が死ねば喜ぶのだ。とにかく、喜ぶのだ。 あっ、今、「ウザいやつだな」って思っただろ?それだ、そう思ったということは、あなたは私に死んで欲しいはずなのだ!

    誰がなんと言おうと、社会は私の死を望んでいるんだ
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/06/11
    思い上がるな。誰もあんたのことなんか気にしちゃいない。
  • キリスト教の人に聞いてみたい:私の生存は神への反逆か

    追記2: 結局、私には、「私が助かったのは医師の努力の結果である」と「私が助かったのは神の意志である」は両立しないようにしか思えません。 医師の努力の結果であったのなら、努力次第で結果が変わっていた、ということですので、神の意志ではないはずです。 神の意志であるとするなら、医師が努力しようがしまいが、神の意志によって手術の結果が決まっていたということですので、医師の努力は関係ないはずです。 私には、後者の見解は、医師の努力や、医師の技術を向上させるために実験台になって死んでいった子らへの冒涜に聞こえます。受け入れられません。 とすると、私の取れる見解は、前者しかないのです。つまり、私の手術が成功したのは医師の努力ではあったが、神の意志ではなかった、と、考えるしかないのです。 追記: 私が手術で助かったのが神の意志であるなら、我々が参加した実験的手術には何の意味があったのでしょう。 私が手術

    キリスト教の人に聞いてみたい:私の生存は神への反逆か
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/06/10
    「答えてくれなかった」って書いてるけど、どう答えても聞く耳持たなそう。宗教的な回答を望んでいるはずなのに、専門家との対話を拒否してこんなところで愚痴ったりするのはあまり真面目な態度には見えません。
  • 生む事と殺す事は似たような行為だ

    と思うのだが、どうだろうか。 生むことは、無の状態を存在する人間に変えてしまうこと。 殺すことは、存在する人間を無の状態に変えてしまうこと。 両方とも、存在と無の間の移行の方向性が違うだけで、’絶対に取り返しがつかない’という点においては全く同じじゃないだろうか。人を殺すのは取り返しがつかないと言われるのと同じように、人を生むことだって取り返しがつかなくて、とても怖い事だと私は思う。 だって、結婚して、子どもが欲しいかどうか迷ってる段階で、うっかり子供ができたら殺せるか?好きな人との間にできた子供を殺せるか?殺せないだろ。妊娠してしまったら、子供が存在してしまったら、もう取り返しはつかない。存在の取り返しはつかない。生まれてきた子供は、生きなきゃいけない。 生まれてしまえば、最初はウゴウゴもがく位しかできない小さい生き物が、這って立って喋りだして、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学なりに行

    生む事と殺す事は似たような行為だ
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/04/19
    とりあえずこの書き方じゃあ説得されんわ
  • 生まれてきたことは自分の責任ではない - よもちかブログ

    2015-04-04 生まれてきたことは自分の責任ではない 生活・考えごと 親子関係 「生まれてきたことを後悔」ってよく考えてみると変なことで、なぜならそもそも自分で選んでいないのだから、後悔する余地なんてどこにもないよねって思うのです。生まれてきた不運を嘆くとか、生み出した親を恨むのは整合性が取れていますが、生まれてきたこと自体を「生まれなきゃ良かった」と自分の責任みたいに考えるのは、誰かに殴られたことに対して「殴られなきゃよかった」と後悔するみたいなもので、なんかちょっとそれって変だよね?と思うのです。 人は望んで生まれてくるわけじゃないです。出産のときに赤ん坊が産道を這い出てくるのだって、あれは赤ん坊の意思というより生理現象だと思ってます。梅干を見たら唾液が出るとか、たまねぎ刻んだら涙が出てくるみたいなもんです。意思とか言われても困ります。少なくとも私は、生まれたいから生まれたのでは

    生まれてきたことは自分の責任ではない - よもちかブログ
    mugi-yama
    mugi-yama 2015/04/04
    「ロングフル・バース/ロングフル・ライフ訴訟」というのがあって、ちゃんと考え始めると頭がこんがらかる。
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