タグ

アイヌに関するD_Amonのブックマーク (16)

  • 記者の目:アイヌであることを悩む若者たち=中川紗矢子 - 毎日jp(毎日新聞)

    北海道に赴任して1年。先住民であるアイヌ民族への取材を通して、彼らが受けてきた差別を初めて目の当たりにした。1月には政府のアイヌ政策推進会議(座長・平野博文官房長官)が発足し、アイヌを取り巻く環境は歴史的転換期を迎えようとしている。これを機に、アイヌ差別について改めて考えてみたい。 アイヌ差別の深刻さは、私自身も経験した。アイヌの男性から「アイヌは日人の底辺層と似ているから、一緒に底上げしなくては。それが共生社会だから」と聞き、地域面のコラムに書いたところ、アイヌを「土人」と差別的表現で書いた攻撃的なはがきが届いた。海外の少数民族問題に関心が高い学識経験者が、アイヌがいまだ貧困に苦しんでいるのは自己責任だと非難したのを聞いたこともある。 推進会議設置の根拠となった「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」は昨夏、政府に提出した報告書で「同化政策が進められる中で、アイヌの人々は差別や偏見に

  • 「アイヌ差別には反対だけど」「過去の事を蒸し返すな」 - Danas je lep dan.

    時機を逸した感があるけれど,まずは,以下のまとめブログを読んで欲しい。 【毎日新聞】 「お前アイヌだろ。気持ち悪い」「あそこの家はアイヌなんだよ」…今なお消えぬ格差、「血」隠す苦悩…北海道 - 痛いニュース(ノ∀`) そのブクマコメと,それを纏めたエントリも。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html アイヌ差別についてのブクマを全力でまとめてみた - E.L.H. Electric Lover Hinagiku アイヌに関する問題,つまるところアイヌに対しどのように向き合うのかという和人*1の問題については,ぼくも過去に何度か言及した。 母語を取り戻そうという渇望 - Danas je lep dan. 小林よしのりが今更ながらおバカすぎる件(1) - Danas j

  • 「アイヌ絵」を〈読む〉 - 我が九条

    我々が「アイヌ」で連想するのは、概ね「アイヌ絵」に描かれたイメージである。「アイヌ絵」とは18世紀から19世紀に和人によって描かれたものである。従って当該期の和人にステロタイプや表象が反映されていることに注意する必要がある(「http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/nm07_rks05.html」参考として佐々木利和氏の説明。この文章のネタ元でもある)。 ステロタイプとは『大辞林』には「ものの見方・態度や文章などが型にはまって固定的であること」とある。要するに固定観念・先入観で、「○○は××だ」という思い込みのことであろう。一例を挙げれば、昔私が宿直のバイトをしていた時に、事をつくる担当の人が「関西人だったら薄味だね」と言って、実際に薄味の事を作ったが、実際には私は濃い味付けが好みなのだ。もっとも関西が「薄味」と言っても、味が薄いわけではないのだが。 次

    「アイヌ絵」を〈読む〉 - 我が九条
  • 違星北斗 - 我が九条

    あゝアイヌはやつぱり恥しい民族だ酒にうつつをぬかすその態 この短歌を見て何を思うだろうか。アイヌに対する蔑視。しかしこの歌を詠んだのもまたアイヌである。この歌を詠んだアイヌ青年違星北斗は余市町生まれのアイヌ。小学校卒業後様々な職業を経て1925年、23歳の時に上京し、東京市場協会事務員に就職する。アイヌ語研究者の金田一京助と出会った北斗は、金田一の依頼で第二回東京アイヌ学会で講話をする。差別に耐えながら母に励まされ、ようやく小学校を卒業し、漁業に携わるも、良い漁場はすでに和人の押さえる所となっており、生活の安定は得られず、和人を恨み、日を恨む日々であった。どうしたらよいかを考えるために労働の合間に読書し、勉強した。アイヌというのが来「善い人間」という意味だったのに、今や侮蔑の意味を押し付けられていることを悲しみ、来意味を取り戻そうと考え、さらに水平社運動への共感を主張した内容であった

    違星北斗 - 我が九条
  • アイヌ「蜂起」の意義 - 我が九条

    江戸時代に起きたアイヌの大規模な蜂起はシャクシャイン戦争とクナシリ・メナシの戦いであろう。 これらに共通するのは、極論すれば「商売の上手な和人が,商売の下手なアイヌ人に怨まれた、それだけの話」である点である。その証拠に松前藩の武力介入がある以前にはアイヌの犠牲者はほとんどおらず、和人がもっぱら襲撃されている。松前藩の武力介入もいきなり武力介入するのではなく、アイヌ側と交渉して切り崩しを計っている。やみくもな弾圧は行っていない。その背景には一つには松前藩の武力があまりにも貧弱な点が挙げられるだろう。もう一つは松前藩はそれではアイヌとの関係が自己の存在意義であることを熟知しており、アイヌから見放されれば、松前藩もまた存在しえないことを意識していたからであろう。 シャクシャイン戦争においては江戸幕府も松前藩も、アイヌの「暴動」の背景にあるアイヌの不満を意識していた。「商売の上手な和人が,商売の下

    アイヌ「蜂起」の意義 - 我が九条
  • 蠣崎からマトゥマイへ、そして松前へ - 我が九条

    松前藩の祖先がマトゥマイの当て字松前を名乗るのは慶広の代である。それまでは蠣崎氏を名乗っていた。蠣崎からマトゥマイへ、何があったのだろうか。 蠣崎氏が歴史の表舞台に姿を現すのは蠣崎季繁の時である。どこから来たのかは全く不明で、下北半島に「蠣崎」という地名があるので、そこを名字の地としている可能性はある。蠣崎季繁が活躍した15世紀には下北半島は南部氏の支配下にあった。蠣崎季繁は南部氏の配下にあった、と思われるが、「季繁」という名前からは安藤氏との縁も考えられる。そのころ下北半島の田名部には潮潟安藤氏の政季がいたので、その関係も考えられよう。潮潟政季は下国氏滅亡の時に南部氏の捕虜となり、南部氏から田名部を知行地として与えられていた。後に南部氏から脱出して下国氏を名乗るようになる、と考えられている。政季と行動を共にしたと考えると、季繁の北海道との関わりは1550年代ということになる。政季は自分の

    蠣崎からマトゥマイへ、そして松前へ - 我が九条
  • 成立期の「アイヌ」 - 我が九条

    アイヌ文化がいつ成立したのかは謎に包まれている。そもそもアイヌ文化がどこに淵源を持つのかすら明白ではない。現時点では擦文文化を母体にオホーツク文化の影響を受容しながら13世紀前後に成立した、と考えられている。 この時期に元の史料に「クイ」と呼ばれる人間集団が登場する。クイは資料上では「骨嵬」「苦夷」「苦兀」などと表記されるが、クイというのはアイヌの北アジア交易ネットワークでの他称である。少なくとも13世紀にはアイヌにつながる文化集団が成立していたことが資料上からもうかがえる。 1260年ごろ、クイがカラフト中部に居住していた亦里于とともにカラフト北部に進出してきたとサハリン北部の吉烈迷からフビライのもとに訴えがあった。1264年にクイを攻撃した。1273年には征東招討使タヒラは間宮海峡を渡ろうとしたが風浪が激しく渡れなかったことについて、ウデヘのイムシェからの報告として、もしクイを攻撃した

    成立期の「アイヌ」 - 我が九条
  • アイヌとは何か - 我が九条

    ここまで「アイヌ」という言葉をずいぶん蕪雑に使ってきた。しかし「アイヌ」とは何か、という問題が閑却に付されてはいけない。 同級生「知里君、北海道ならアイヌを見たかい」 知里真志保「アイヌが見たかったら、このおれがアイヌだよ」 知里「なんで遠い北海道まできたの?」 少年「アイヌが見たかったから」 知里「ナニィッ、アイヌがみたくって!そんならここに立っているこの俺をよくみろ。それで十分だろッ」 この同級生は後に運輸事務次官を経て新東京国際空港公団総裁に就任する。エリートであったこの同級生にとって、第一高等学校の同級生にアイヌがいるとは夢にも思わなかったであろう。また少年にとってはまさか目の前の北海道大学教授がアイヌだとは思いもしなかったことだろう。おそらく彼らの頭の中にはアイヌに関する固定観念が存在していたのであろう。それは彼らだけではなく、今の我々にも存在している。アイヌを「原日人」ととら

    アイヌとは何か - 我が九条
  • 知里真志保『アイヌ語入門ーとくに地名研究者のためにー』 - 我が九条

    知里真志保は『アイヌ語入門』において痛烈なアイヌ学批判を展開している。それは多岐にわたり、非常に激越でもあるが、アイヌ学の方法論に対する次の言葉に注目したい。 アイヌの語原や語法というような学説的なことにまで、アイヌの古老のいったことだからといって、それに権威を認め、そのまま鵜呑みにしようとする非学問的な態度である。そのようなことが許されるならば、大学の講壇に高い(?)給料を払って学者を雇ってくる必要はない。英語学は英国の田舎から百姓爺を雇ってきて講義させればいいわけであり、国語学は日田舎から桶屋の爺さんでも雇ってくればいいのだし、アイヌ語学はトカチの老人でもビホロの老人でもいいわけである。 この批判は知里の面目躍如というところである。言語学的な方法論を使ってアイヌ語を分析していた知里にとって、言語学の基をわきまえていなかった当時のアイヌ学の主流を批判するのはたやすいことであっただろ

    知里真志保『アイヌ語入門ーとくに地名研究者のためにー』 - 我が九条
  • 知里真志保のアイヌ学批判 - 我が九条

    大江健三郎氏は知里真志保に関して次のように述べる。 知里博士が戦いをいどみ、そして絶対に全滅させる敵は、一般的にはよきアイヌ理解者と目されている学者たちである。博士はそうしたアイヌ理解者の精神の奥底にアイヌへの見くびりや、安易な手をぬいた研究態度を見つけだしてそれを叩きつける。しかもその怒りの声の背後からは切実な悲しみの声も聞こえてきて、それはわれわれをうたずにはいられない。 知里真志保はアイヌ民族ではじめて国立大学の教授に就任したアイヌ学の研究者である。東京帝国大学で金田一京助に師事し、北海道大学教授に就任した。姉は『アイヌ神謡集』で有名な知里幸恵、伯母はユーカラの伝承者であった金成マツである。知里真志保の最大の特徴は彼がアイヌ語を母語としていなかった、という点であろう。彼の父知里高吉と母ナミはクリスチャンで早くから日語や英語を学び、アイヌ語を全く話さなかった。幸恵は伯母の金成マツのと

    知里真志保のアイヌ学批判 - 我が九条
  • アイヌ学の誕生 - 我が九条

    におけるアイヌ学の権威と言えば金田一京助がまず思い浮かぶだろう。金田一によるアイヌ学について少し考えてみたい。 金田一とその弟子に当たる知里幸恵・知里真志保については丸山隆司氏の『〈アイヌ〉学の誕生ー金田一と知里と』(彩流社、2002年)に多くを拠っている。 金田一京助はアイヌ研究に入るきっかけを次のように述べている。 普通に行つてゐたら国語の研究者とでもなつてゐた所だつたらうと思ふ。が国文学に行かず、国史に行かず、国語から滑つてアイヌ語の専攻へ這入つたのは、やはり一には自分の性分からであらうが、又一には不思議な縁が自分を此の方向へたぐつてゐた事が、今に至つてはつきりとたどられる。 夢多き青年時代をわけもなく酔はした「天才」というような語のひびきが、いつしか我々を酔はしめなくなった時、英雄時代の夢から醒めて平凡な全体性、「民衆」といふものの力がより多く我々の注意を惹き我々の心をうつやう

    アイヌ学の誕生 - 我が九条
  • 北海道旧土人保護法成立の経緯 - 我が九条

    エスノサイドは何も武力のみで成立するのではない。一番効果的なエスノサイドは同化政策である。言語を奪い、文化を抹殺する。その時に完全に同化するのではなく、その文化に「未開」という劣等性を刻印したうえであたかも博物館か何かに残すような形で「保存」し「保護」する。チベット問題で中国の愛国ブロガーが書き残す「行儀良くしていれば、文化と恩恵を守ってやるのに」「お行儀が悪くても、それでも文化は面倒を見てやる。博物館に収めてね」というような言葉は、その典型例である。あくまでも「保護」される対象として少数民族を見なす。これがもっとも効果的な文化的虐殺である。我々がなさねばならないのはこのような文化的虐殺を否定することである。少数民族の文化を「劣等性の刻印」から解放することである。 アイヌ問題を象徴する法律の代表的なものである北海道旧土人保護法に関してmuffdiving氏が非常に当を得たまとめをしてくださ

    北海道旧土人保護法成立の経緯 - 我が九条
  • アイヌモシリの「日本」への併合 - 我が九条

    エスノサイドは大量虐殺のみによって遂行されるのではない。まず先住民族の居住しているところに大量の人口を流入させ、先住民族を少数民族にする。これだけで先住民族のアイデンティティは危機に陥る。多数派になった段階で経済活動における規制緩和を行い、多数派による経済掌握を行い、少数民族を多数民族に従属させる。そして究極には文化的に同化させ、民族のアイデンティティを消滅させる。これがエスノサイドの基である。その中で危機を感じた少数民族による「暴動」があり、それを「武力制圧」する、という局面は存在するが、それはあくまでも突出した側面に過ぎない。そこに目を奪われてはいけない。 現在チベットにおける「武力弾圧」が問題になっている。しかしそれはある意味チベット過激派が暴発した、という側面は確かにあるだろう。突出した武力衝突のみに目を奪われていては質が見失われる。アイヌの歴史を検討する際にも同じことが言える

    アイヌモシリの「日本」への併合 - 我が九条
  • 2008-03-26 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! - 俺のツンデレブクマタグにお前が泣いた!

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    2008-03-26 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! - 俺のツンデレブクマタグにお前が泣いた!
  • 犬の世界観 - UGS 日記のこもれ火

    下記の文章は、年代や固有名詞などを確かめる際にネットでググった程度で、基的な部分は自分の記憶に基づいて書いています。まあつまり、高校を卒業してから特に歴史の勉強をしてない人の文章と言う事です。そういう訳で、間違ってる部分も多くあるかと思いますので、良かったら指摘して下さいませ。 痛いニュース(ノ∀`)さんが取り上げた、アイヌ民族による署名活動についての記事。11 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/03/24(月) 16:18:30 ID: gKs+BEMjO日の先住民族? ( ゚д゚)・・・12 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/03/24(月) 16:19:34 ID: TMauwq9c0× 日の先住民族○ 北海道の先住民族二番目と三番目に選んだレスがこれで、ほとんどフォローもしていない*1ってのは、ちょっと酷いんじゃないかなぁ、とか。この「アイヌ民族は

  • 自分で耳をふさぎながら「沈黙してる」と騒ぐ人 - 法華狼の日記

    チベット問題に対して平和団体が「沈黙」しているというコピペが流布されている。現在「チベット 平和団体」等の単語を使うと、google検索で上位に来る。 チベット暴動で住民多数死亡! 平和団体の皆さ〜ん、今こそ行動ですよー | Nereide Design Blog*1 チベット大虐殺での反戦団体・人権団体の動き http://homepage3.nifty.com/peace_walk/Welcome.html 9条ピースウォーク → 無視 http://pwkyoto.com/ ピースウォーク → 無視 http://www.jca.apc.org/~husen/index.htm 不戦のネットワーク → 無視 http://ameblo.jp/yes-peace/ ピースウォーク金沢 → 無視 http://peacetea.hp.infoseek.co.jp/ 平和を望む東大生の会 

    自分で耳をふさぎながら「沈黙してる」と騒ぐ人 - 法華狼の日記
  • 1