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戦争責任に関するD_Amonのブックマーク (3)

  • 「輔弼親裁構造」 - Apeman’s diary

    もう半月ばかりも前のコメントへのレスポンスで恐縮ですが。 ただ、そうは言っても「現に存在した旧憲法」のもとで、必ずしも天皇の信頼のおける閣僚ばかりが 選任される状況でないなかで、いかように振舞っても後世の我々から非難されるような状況における、 天皇の「総攬者としての態度」というのは実に難しいものだと思います。 それは、そのような態度を強い、「責任者として不可避の責任」を取らせることになる旧憲法の 致命的なエラーではあるのでしょうが、そこで済ませていいのかなというところに、まだ割り切れなさを 感じています。 (http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100404/p1#c1271660987) 「そこで済ませ」るとはどのようなこと(どのような論者のどのような主張)を指しているのかが判然としないので BigHopeClasic さんの感じておられる「割り切れなさ」の内実も

    「輔弼親裁構造」 - Apeman’s diary
    D_Amon
    D_Amon 2010/05/05
    永井和先生のコメント。
  • 戦争責任を不問とする和平合意がもたらす高い代償

    (ニューヨーク) 武力紛争の和平交渉の際、競合する別の目的を達成するために、残虐行為を犯した戦争指導者の戦争責任の追及を放棄すれば、将来大きな代償を支払うことになるという実態があまりに過小評価されている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは日公表した報告書で述べた。 報告書「軽んじられる法の正義:平和の実現に、戦争責任の追及が必要な理由」(131ページ)は、ヒューマン・ライツ・ウォッチが、過去20年にわたり、約20カ国で行なった調査結果を再度分析してまとめた報告書。この報告書は、紛争中に行なわれた残虐行為に対する責任追及を放棄すると、将来の人権侵害を促す不処罰の文化の蔓延につながっているという実態を明らかにしている。法の正義の実現は、交渉や平和への移行の妨げとなるというよりも、むしろ、短期的にも長期的にも前向きな成果をもたらす。紛争指導者の責任を追及することによって引き起こされうるマイナス

  • 第19回「戦争責任とメディア その2」~小泉から安倍へ、それにいかに擦り寄るか~ MouRa│直言、キツネ目の男│宮崎学「異議疑義物議」

    前回に続き、メディアに風穴を空ける可能性について記す。  その前に、小泉から安倍へと続く現在の状況とメディアの関係は、どのようなものかをまずは考えてみたい。そこで参考になるのが、辺見庸の新刊『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社刊)である。  この中で辺見は、いわゆる小泉の劇場型政治について、「政治権力とメディアが合作したこの劇場の空気とは何だろうか。第一に、わかりやすいイメージや情緒が、迂遠ではあるけれど大切な論理を排除し、現在の出来事が記憶すべき過去(歴史)を塗りかえてしまうこと。第二に、あざとい政治劇を観る群衆から分析的思考を奪い、歓呼の声や嘲笑を伝染させて、劇を喜ばない者たちにはシニシズムを蔓延させたことであろう」と分析している。実に的確な指摘ではないか。 ところで、かつての戦争とメディアの関係についての検証は、この国では全く部分的にしか行われなかった。  且つその検証も、「評論家

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