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軍紀に関するD_Amonのブックマーク (2)

  • 第十軍法務部陣中日誌から推定する、中支那方面軍の「犯罪率」 - Apeman’s diary

    南京事件否定論者はしばしば、なんの根拠もなく(あるいは日露戦争当時のエピソードを根拠に)日軍の軍紀は極めて厳正だった、と主張する。実のところ、日中戦争当時、軍の上層部が軍紀の弛緩を問題視していたことを示す資料は枚挙にいとまがなく、また一般将兵の私記、回想録などからも軍紀の弛緩ぶりは明らかなのであるが、そうした史料を提示しても満足のゆく返答が返ってきたためしがない。ここでは、第十軍法務部の陣中日誌(37年10月12日から翌2月23日まで分)を参考に、中支那方面軍の軍紀について推定してみよう。とりあげるのは殺人、および強姦である。 『続 現代史資料 6 軍事警察』(みすず書房)の112ページから117頁に掲載された、「被告事件既決/未決一覧表」のうちの既決部分のみを数えると、殺人では29人が、強姦では21人が処分を受けている(2名は罪名が強姦殺人で重複、また同一の事件で複数名が処分を受けてい

    第十軍法務部陣中日誌から推定する、中支那方面軍の「犯罪率」 - Apeman’s diary
  • 「史上最大の殺人事件」は氷山の一角? - Apeman’s diary

    (実際にアップロードしたのは8月30日です) 「少年犯罪データベースドア」さんが、「史上最大の殺人事件」として戦艦陸奥の爆沈事件を紹介しておられる。 昭和18年6.8、瀬戸内の連合艦隊基地である柱島泊地にて、停泊中の戦艦陸奥が爆発して一瞬のうちに沈没、乗員1474人のうち1121人が死亡しました。 戦時中の出来事ですが、敵の攻撃による爆沈ではありません。戦争とは関係がなく、これは明らかに殺人です。 事件を詳細に調べ上げた吉村昭『陸奥爆沈』を読むと、艦内で窃盗を繰り返していた二等兵曹が、捜査の手が伸びてきたことを察知して火薬庫に忍び込んで火を放ったことは間違いないと思われます。 こうした事例は陸奥だけではなかった。大江志乃夫の『天皇の軍隊』(「昭和の歴史3」、小学館)によれば、「日の主力艦は太平洋戦争までは、戦争で沈んだものより、爆沈の方が多い」という。例えば日露戦争時の連合艦隊旗艦三笠は

    「史上最大の殺人事件」は氷山の一角? - Apeman’s diary
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