もし僕が歴史教科書の巻頭言を書くなら「我が国は、建国から2671年の歴史を持つ、現存する国家の中で世界最古の国家である。しかも、民間人が戦争の攻撃対象になったことはなく、悠久の平和のなかで比類なき文化を築いてきた。君たちには、夢と志を持つ日本の歴史を学んでもらおう」
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「弱者を甘やかす」ことと、「弱者を成長させる」ことは違う。 「弱者を甘やかすな」と言うと、「弱者を見捨てるのか」と反論する人がいる。 こういう人は、「弱者を甘やかす」ことと、「弱者を成長させる」ことの区別がついていない。 「弱者を甘やかすな」という意見は、大抵の場合、「弱者は見捨ててしまえ」という意味ではないと思う。 むしろ、「弱者を甘やかす」ことは、「弱者を成長させる」ことにならず、かえってその反対になってしまう、ということを危惧していると思う。 「弱者を成長させる」ために必要なことは何か。それは「チャレンジ」だ。 いまの自分を超えようとする「チャレンジ」によって、人間は成長していく。 これは弱者に限らず、強者であっても同じだろう。 それぞれの人に、その人なりの「チャレンジ」がある。その「チャレンジ」の繰り返しで、人間は成長する。 「弱者を成長させる」とは、その「チャレンジ」の機会を弱者
釣り無し、マジ話です。 こないだ、俺の恋人に会ってくれって、弟から電話があって、それじゃあ、お会いしましょうかって、休日に連れ立って家に来ることになったんですよ。 うちの家族スペックをざっと説明しておくと、 父、今年定年退職、鉄道会社勤務。 母、父と同年齢、専業主婦。 姉、バツイチ。息子と娘を抱えてシングルマザーとして奮闘中(実家近くのマンション在住)。 俺、既婚者、子無し、電力会社勤務。実家の近くのマンション在住。 弟、今年、大学を卒業して県庁勤務。実家に親と同居。 こう書くとごくふつうの家族みたいだが、俺と弟は年齢は12歳離れている。そこはちょっと珍しいかも(ちなみに同じ両親から生まれた100%の兄弟姉妹です)。 弟からそういう連絡があったとき、ちょっと嫌な予感はしていた。だって、彼女を紹介するなら、普通、まず実家に連れて行くじゃん。別世帯の兄に最初に会わせようとはしないでしょ。 「で
歴史的修正主義は今世紀最大の知的冒険である 歴史的修正主義研究会 フォーリソンが求めたのは、殺人ガス室が存在する『一つの証拠・・・たった一つの証拠』であった。「伝統的な」歴史家は、彼に「膨大な証拠」を提供したが、それは実質的にすべてが、SS隊員、生き残った囚人、特別労務班員からの証言、すなわち人間の証言にもとづいていた。しかし、人間の証言は脆弱であり、信用しがたい。フォーリソンが求めたのは、具体的な歴史的証拠、議論の余地のない、反駁の余地のない資料にもとづく証拠であった。(プレサック、『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』、429頁) <新規収録> 仮想講義:ホロコースト(G. ルドルフ)――2007年11月15日 修正主義者との対話(仮想インタビュー)――2007年11月3日 試訳:マイダネク裁判(J. グラーフ)――2007年10月16日 試訳:民族社会主義ドイツの強制収容所の実像と
町村官房長官が強圧的実力行使をしないように求めたいとか馬鹿なことを言ってますが、率直な意見を言うと、デモ隊の制圧は当然のことだと思いますね。 デモ隊に発砲、数人死亡=市民は投石、100人以上拘束-ミャンマー http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070927-00000204-jij-int アメリカ憲法の表現権理論ですが、一口で言うと、表現内容に着目した規制は厳格司法審査。しかし表現内容に中立的な時・場所・態様の規制は、合理的な理由により政府の規制は容認されるというものですね。前者で言えば、例えば星条旗焼却という政治的表現は政府が規制できないことが、1989年の最高裁判決で確立してますね。超保守派のスカリア判事も違憲判断ですよ。しかしいかに表現の自由といっても、表現内容に中立的な時・場所・態様の合理的な規制は認められるのですよ。自由な社会だからといって行
これは、ネタじゃないです。 ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました。 明後日、あのテレビで映っていた田舎に帰省するそうです。 あの特集では、見慣れた近所の風景がたくさん写されたそうです。 また、知り合いがたくさんテレビに映ったそうです。 で、典型的ワーキングプアとして紹介された田舎でテイラーをやってるおじいちゃんですが、もともと、田舎の人は、あんな店では、あまりお金を使わないそうです。 なんでも、あそこらへんは、田沢湖あたりの観光地の商売で、観光地としての田沢湖から、客足が遠のいたので、店が苦しくなったんだそうです。 田沢湖は、周辺のスキー場なんかも客足が遠のいており、観光地全体の集客力が落ちていますが、それは、単に一つの観光地の商品的魅力がなくなったり、バブルがはじけたりという話であって、「田舎が貧乏になった」ということとは、別の話だろ、とい
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