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自称中道に関するD_Amonのブックマーク (17)

  • ええ、サヨク『も』嫌いですよ。 - HALTANの日記

    しかし改めて考えていると、現代社会で「記憶」することが課題とされるような出来事というのは誰かの加害性に関わるようなものであることが多いので、「人が過去を記憶しようとする営みそれ自体」への憎悪というより「誰かの(直接自分の、でなくても)加害行為を記憶しようとする営み」への憎悪、と考えればよいのかもしれませんね。その場合HALTANが麻生の「ナチスドイツ」発言や福耳先生の「トリアージ」についてのおしゃべりはスルーしておいて toledさんや hokusyuさんの語る「ホロコースト」(私はHALTANが「分からない」とゴネだしてから言及しただけですから)にのみ憎悪を向ける理由もよりハッキリするような。Apeman 2008/08/07 23:25 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080807/p2#c1218119115そんな仰り様はないでしょ? 加害行為がどうこう

    D_Amon
    D_Amon 2008/08/08
    右も左も嫌いという中立病。そうやって右も左も見下して得られる優越感の虜。それゆえ自らの偏りを認められない。私はこういう「あたまがわるい」人が嫌いだなー。「あたまがいい」人は思想に関係なく好きですけど。
  • 日々カタログ。 : 相対化していることは別に中立でも,ましてや頭が良いわけでもない。

    pokoponのお兄さんが,最近ネットでちょっと話題の「水からの伝言」騒動でいろいろな方と対話している。もはや,争点は「水からの伝言」そのものじゃないんだけど。「水からの伝言」という話を知らない方に少し説明しておくと,水に「ありがとう」などの「よい言葉」をかけると美しい結晶ができるんだけど,「ばかやろう」などの「悪い言葉」をかけると汚い結晶ができるというものだ。それだけならちょっとした笑い話なんだけど,「だから人にもいい言葉をかけましょうね」という道徳の教材に使われたことで話題になった。 こんな話をまともに批判してもしょうがないと思うんだけど,この話は科学的に妥当な事実ではないし,科学的に妥当な理論も存在しないし,まして,「美しい結晶ができる→だから人にも」という論理展開もイミフメである。しかし,このような話を真に受ける人をここで長々と批判する気はない。ネット上でも書籍でも批判は出尽くさ

  • 「自称中道の一般庶民代表」という人間の知的怠慢 - toremokoの日記

    id:toroneiという人からトラックバックが来た。この方、なにやら「市民感情」を代表しているつもりみたいだけど、こうやって無邪気に「庶民」を代表した発言をする人ってなんでこんなに多いのだろうか。市民運動をしている人間またはそれを支持する人間は「浮世に着地していない*1」らしい。こういった人たちも「市民」の一員だとは思わないんでしょう。権力の暴走に対抗する上での市民運動の重要性っていうのが全くわかっていないんだろうね。例えば、現在の核兵器への否定的な評価が広まったのも杉並の主婦がはじめた「市民運動」がきっかけだったんですが。 市民運動を否定する人は、北朝鮮のような体制の下でも同じことを言うのだろうか。お上のやることに反対する人間は一般庶民じゃないと判断して、「一般常識が通用しない」などと平気で言える人間は、北朝鮮では「将軍様万歳!」と率先して叫んでいるタイプなんだろうか。 こんなことを言

    「自称中道の一般庶民代表」という人間の知的怠慢 - toremokoの日記
  • 逃げたマンガ右翼に未練はないが……(笑)。マンガ右翼・小林よしのりは、何故、逃げたのか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ■お知らせ■ 「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「 ●休刊中のメールマガジンを再開しました。購読希望の方は、以下から登録してくださ い。すでに登録済みの方も、新装版のため、申し訳ありませんが再登録をお願いします。 早くも登録者数100名を突破!!!(笑)→ ★山崎行太郎メールマガジン登録★ 」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」 小生が「月刊日」に発表した「沖縄集団自決裁判」論文に対して、「ゴーマニズム宣言」で、「おりをみて大反撃する……」とかっこよく宣戦布告をしたものの、よく調べてみたら、「こりゃー、かなわん」というわけで、次の週にはあっけなく逃走宣言……という恥ずかしい大

    逃げたマンガ右翼に未練はないが……(笑)。マンガ右翼・小林よしのりは、何故、逃げたのか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    D_Amon
    D_Amon 2008/04/11
    トンデモ保守ほど自称中立ぶるのはいかんともしがたいものです。
  • 「暴行した米兵が悪いのは当然だが...」という譲歩レトリックから思い知る「ことばの力(笑)」 - 女教師ブログ

    言語, メディア(誤読注意!)記事の意図は「自分を中立だと思ってる人って譲歩使うよねー」ではありません。「譲歩使うと、自分が中立だと思いこんじゃいがちだよねー」という話です。つまり思考が言語(表現)を規定するんではなくて、言語が思考を規定するってことです(思想界隈では別に大したアイディアではありませんが) 面倒くさいのでいちいち引用しないが、例の沖縄少女暴行事件に関して、・暴行した犯人が悪いのは間違いないが、ついていった少女も不用心であり問題があった(大意)・米兵の犯罪は決して許されることではないが、この事件を政争の具にする反基地・反米勢力はいかがわしい(大意)とコメントする人がいる。例えば、花岡信昭とか。 id:yuki_1989が、「『米兵が悪いのは当然として』これ言っておけばいいだろう的自称中立厨はほんとうに多い。」*1ということを言っていて、私も以前はその通りだと思っていた(これ

    D_Amon
    D_Amon 2008/02/15
    無意味な譲歩表現を頭につける自称中道は非常に浅薄で幼稚で頭の悪いことを書いているのに本人は自分の意見をバランスの取れた賢明なものと思い込んでいるように見えるところが非常に寒い。無知の知ならぬ無知の無知
  • ブログ「旗旗」 : 「普通の人」というレトリックの本質について by 草加耕助 - 旗旗

    よくネトウヨさんが使うレトリックで「自分は右翼じゃない、普通の人だ」って常套句がありますよね。 左派にはこれを即時的に嘲笑して「どう見たって右翼じゃんw」という人が多いのですが、私は少し違う考えを持っています。 だって、それじゃあ、右翼的な考えをもっている市民は「普通の人」じゃないとでも言うのでしょうか?右翼だって左翼だって、みんな普通の人ですよ。普通の人々がいろんな考えを持って、それが自由で対等にごちゃまぜになって市民社会を構成し、その最大公約数として「普通」が生まれるのです。つまり「いろんな考えを持つ一人一人の人間」を超越したところで、「普通なるもの」が市民社会の外に超然と存在しているわけではありません。 つまりこういう自称「普通の人」の問題点というのは、徹頭徹尾、自分を基準にし、自分と同じ考えや行動をしない人間を「普通ではない」とレッテル貼りして、その考えを考慮する必要は無い、排除

  • どこまで本気なんだろ - good2nd

    南京事件の話題がたくさん出てたころ、増田にもいろいろ書き込みがあったようですね。「どっちもどっち」と評価したくなる気持ちは多少は想像できなくもないけど、以前から理解できないなーと思うのが、「工作員」とかその手の妄想。 組織的な動きがあるのかどうかは知らんけど、 北京オリンピックの年が始まったのと、福田首相の中国訪問と 何か関係があるのかも知れないね。 こいつら、何をたくらんでるのかね。 fromdusktildawn氏に必死に噛み付いてる「はてなサヨク」の中に真性工作員がいるかどうかは気になる。 「たくらんでる」とか「真性工作員」とかさ…。ネタなの?それならそれでいいんだけど、よく見かけるからなぁ。ひょっとして南京事件否定論とか歴史修正主義を批判してる人が当に工作員とか何かだと思ってるとすると、結構ヤバイというか、滑稽を通り越してむしろかわいそうというか…。単に罵倒のつもりで使ってるだけ

    どこまで本気なんだろ - good2nd
  • イデオロギーフリーな人たち - 素通りできなかった時のために

    南京事件の話題もApemanさんの所のコメント欄を除けばほぼ収束気味。 おもに自分自身のために今回のことで感じたことをメモしておく。 ・否定派の人には演繹的な論理を重視する人が多い 戦争になればある程度の虐殺は当たり前⇒南京でもそのくらいはあって当然というだけでしょ 大量に殺すには大量に殺す兵器が必要⇒日軍は持っていなかったので無理 そんな大虐殺があればもっと報道されていたはず⇒あまり報道されていないのでナシ この手のもので究極は、 日には虐殺の文化はない⇒南京でもありえない だろうか。 ・虐殺を認めざるを得なくなると、他の虐殺にも言及しろ、という人がまだいる。 これはいわゆる相対化論で、どこでもやってることだから殊更日が悪いわけではないよの方向に持っていきたいのだろう。典型はチベット侵略と韓国のベトナム戦争。 他にも原因として被害妄想的な心理が働いてるきらいがある。南京を認めてしま

    イデオロギーフリーな人たち - 素通りできなかった時のために
  • 「中立」を装うのは裁定者を標榜するため - 妄想科學倶樂部

    彼らはなぜか自分を右でも左でもないと主張したがるという傾向がある。右でも左でもないなら、極度に政治的な話題には立ち入らなければいいのに、それでもあえて踏み込んでなおかつ左右どちらでもないと強調する。 どうも、右や左という政治傾向を露わにすることが、知的にスマート(重複表現だなこれ)ではないみなされると思っているようだ。政治的に偏りがあることは、すぐさま自分のイメージに傷が付くと考えているのでないか。イメージを傷つけずに政治的話題に介入するには、どっちもどっちとしてまず機械的に両者を等距離においてそのあいだに自分が収まる必要がある。同時に、両者の主張を知らないということを強調することが重要になる。どちらかの主張をよく知っているということは政治的な偏りの証拠に他ならないからだ。 その一例として今回の件での中立者は、自分は右でも左でもないので、左がかった学者による事件の入門書などを読みたくないと

    「中立」を装うのは裁定者を標榜するため - 妄想科學倶樂部
    D_Amon
    D_Amon 2008/01/08
    「そうして中立を裝って、自分のイデオロギに従った判定を行なうわけだが。」
  • 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall

    いくつかの記事で、歴史修正主義についての議論が行われているのを見て、ちょっと考えをまとめてみることにした。タイトルはこの記事から。 なにが歴史修正主義の問題なのかが未だに知られてない件 - 喚いて叫ばざれば ちなみに、私は南京事件や慰安婦問題についての事実関係についての議論には応えられないし、応えない。私は専門家ではないし、個々の史料や多数の書籍にアクセスできるわけでもない。私は、歴史学の通説に信を置き、反歴史修正主義の方々の議論の方が客観的かつ妥当な学問的方法に基づいて事実を判断していると信ずる。なお、その時々の歴史学の成果を一般に普及する役割をもつ、各社の「日歴史」の太平洋戦争を扱った巻(中公版とか小学館のとか講談社のとか、または岩波新書の「近現代史」や半藤一利「昭和史」とか)を目につく限り拾い読みしてみても、南京事件否定論を支持する書籍はひとつもなかったことを付言しておく。素人が

    「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall
  • 歴史の記述と政治的中立 | 薫のハムニダ日記

    歴史の記述と政治的中立/高橋哲哉 太平洋戦争末期の沖縄戦で発生した住民の”集団自決”問題を4月のコラムで扱った。文部科学省が検定によって、日軍が集団自決を強制したという教科書の記述を削除し、物議をかもしてきた。今回はその後日談からはじめよう。 沖縄では、学会の通説や生存者のさまざまな証言を無視した政府の”歴史改悪”に対して、強い抗議の波が起こった。沖縄県のすべての市・町議会が、検定結果の撤回と、日軍の関与を示す記述の復活を要求する決議案を採択した。県議会でも、与野党の違いを超えて超党派で撤回要求決議が2回にわたって行われた。それでも政府が強硬な姿勢を変えなかったため、沖縄で9月29日に県民総決起集会が開かれた。大会は11万6千人が参加し、大成功を収めた。 韓国では大規模な市民集会が少なくないのかも知れないが、日で10万人を超える市民集会はなかなか見ることができない。沖縄でも1995年

    歴史の記述と政治的中立 | 薫のハムニダ日記
  • 思いつき - 美徳の不幸 part 2

    D_Amonさんのエントリを見て、思わずブックマークしてしまったのだけど(後半が急に「やらないか」になっていて笑った)、大体「自称中道(中立)」の人って、偏っているよね。ブックマークにも書いたけど、自分の偏りを自覚しているからこそ「自分は中道である」と言明して自分の意見を呑んでもらおうとしているわけだ。まあ、戦略としてはありだろうけど。 「僕(私)は普通ですから」という奴は変わっていて「僕(私)って変わってるって良く言われて」とか言っている奴が大体面白くないことを思い出しますよね(自称変わり者は、その「世間からちょっとずれた感じ」が、その他の「自称変わり者」とお互いそっくりなところが笑えるわけだが)。 と言うわけで、学者でも「僕は中立です」とか「僕は別に偏見を持っていない」とか「論理的な思考実験として考えているだけです」とかいう奴は信用しない方が良いですよ。ロクなのがいないから。

    思いつき - 美徳の不幸 part 2
  • Gazing at the Celestial Blue 歴史修正主義者とか「右でも左でもない」人とか

    demianさんの「Demilogはてな」の8/25付日記『mixiである人が「ネット右翼」について考えるコミュニティを立ち上げたと告知したところ』がとても面白かった。なんでも、告知の後『「自称中立」の人がやってきたり、しまいには歴史修正主義の人がやってきて宣伝をはじめていた』のだとか。 そこから、demianさんの考察は歴史修正主義におよび『Wikipediaの「歴史修正主義」の項目は面白い』との紹介があった。早速訪問してみると、当に面白かった。 特に、この項目; 「科学的証明と裁判的証明のダブルスタンダード」 一つの主張の中に科学的証明法と裁判的証明法を混在させ、より有利になるようにその都度証明法を選択すること。 * 通常科学的証明においては、一定期間内に必ず結論を出さなければならない制約を課すものではないため、研究者がデータを研究しその結果「あるものはある・ないものはない・わから

  • mixiである人が「ネット右翼」について考えるコミュニティを立ち上げたと告知したところ - Demilog

    「自称中立」の人がやってきたり、しまいには歴史修正主義の人がやってきて宣伝をはじめていたのを見てずっこけますた。(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17591667&comm_id=8396) 思うに「自称中立」とか「自称右でも左でもない」というイデオロギーとは何かを考える、とか、歴史修正主義について考えるというコミュニティもあってもいいのかもしれませんね(^_^; 特に歴史修正主義は大きな問題だと思うので、「サイゾー」なんかで取り上げたらいいのに、と思っていたらサイゾー自身が歴史修正主義にコミットしてしまったというあまりにトホホな事態になっているのでした。ああ情けなや。 タブーに挑むというのなら「間違いだらけの歴史修正主義者!」とか「THE FACTSといいながら嘘ばかり!」とかやったほうが遥かに勇気ある、マスメディアでのタブーに挑む、誠実な行動だと思うのだけど

  • 国際ネトウヨ展示場

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  • 中立・中道を疑う - 非国民通信

    このブログは極左的な視点から書かれたものであり、政治的な中立性を意図したものではありません。 ・・・っと、まぁ、公平な視点で書かれている、バランスがとれていると評していただけるのであれば、ありがたく頂戴する次第ですが、とりあえずこのブログは左端から書かれたものであることを宣言いたします。何をわざわざそんなことを、と思われるかもしれませんね。敢えてこんなことを明言したのは、中立とか中道、特に自ら中道を称する人々、中立の立場を装う人々に不信感を感じたからでもあります。真ん中でバランスがとれていれば、それは良いことのように見えるわけですが、実はその実態はかなり怪しいものではないかな、と。 右にしろ左にしろ、どっちもあまりイメージの良いものではありません。堂々と右翼、左翼を自称する人はあまりいないのではないでしょうか。いるとしたら「悔い改めた」元左翼ぐらいでしょうかね。分類上便利なので右と左という

  • 1985年のガチなチュウ - 猿゛虎゛日記

    http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070313/1173810219で紹介した過去恥部なのだが、やっぱりもうちょっと他の部分ものせることにする。ところで、左翼と右翼には、サヨ、ウヨという蔑称(愛称?)があるが、中道(のつもりの人)に、それに対応する呼称がないのは不公平ではないか(と中道的立場から提案)。というわけで、私の周りにいっぱいいたような気がするガチなチュウの一人であった友人Nとの20年前(1985年)の会話である*1。 「おれはね、アパルトヘイトというのも、一面ではしかたないと思うよ。まそりゃ人種差別はいけないとは思うよ。でも、実際現地で暴動とかおこるとさ、何の関係もない人に迷惑がかかるわけだろ。そりゃまずいと思うな。どうしてもっと冷静にできないの?」 こんな話がはじまったのは、夜中の3時ごろだったかね。場所は西武新宿線沿線の○○にあるやつの下宿。

    1985年のガチなチュウ - 猿゛虎゛日記
    D_Amon
    D_Amon 2007/03/14
    命名チュウ。迷惑の概念や共同体意識の利用などで正論を装う感化技術のオンパレードでうへーな感じ。もっともらしい理屈で権利の要求に関する運動を否定することで奴隷化促進。奴隷の安全と自由を求める危険の選択。
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