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思想と政治に関するD_Amonのブックマーク (15)

  • 民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    東浩紀の「民主主義2.0」の議論は、実は朝生を見たぐらいであとは断片的にしか追いかけてないのだけれど、情報をある程度総合するに、彼はルソーの直接民主主義を引用しながらこの新しい「民主主義」のあり方を説明しているらしい。しかし、ぼくにはもう一人、彼の議論には隠された登場人物がいるような気がしてならない。それは、カール・シュミットである。東浩紀がシュミットを読んでいることはすでに明らかになっている。そして、シュミットもルソーを引用して「民主主義」を説明するのだ。 1923年に出された『現代議会主義の精神史的地位』において、シュミットはルソーの「一般意志」について次のように述べている。「人民は元来決して具体的な内容に協賛を与えるのではなく、抽象的に、投票の結果現れる一般意志に、協賛を与えるのである。・・・この結果が個々人の投票の内容と誤っているならば、評決に敗れた者は、彼が一般意志の内容について

    民主主義2.0とカール・シュミットの「民主主義」 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • なぜ日本では欧州のように極右勢力の支持が拡大しないのか。 - Munchener Brucke

    で極右勢力の支持が伸びないのは、その主張と生活が結び付かないからである。つまり左派勢力の支持が伸びないのと同じ。左派が平和や護憲といったところで、それで我々の生活はどうよくなるの?ということで支持を伸ばせないのと同様だ。 欧州で極右の支持が拡大しているのは、移民の存在が大きい。労働者にとって安い賃金で働く移民は脅威であり、その排斥を訴えることでナショナリズムと生活が符合するからである。労働者階級が、リベラルで移民受け入れに寛容な左派に愛想を尽かし右傾化しているのである。極右政党も、貧困層を明確なオルグのターゲットとし、経済政策では貧困層の受けのいい社民主義的な政策を取り入れている。 ところが日の右派には冷戦構造を引きずっている人が多く、弱者に厳しいのが保守だ。社会主義的な政策は許せないという空気がまだまだ強い。確かに55年体制というのは社会主義に対抗するために、伝統的価値を守りたいと

    なぜ日本では欧州のように極右勢力の支持が拡大しないのか。 - Munchener Brucke
  • 幾つかの思想の収斂点とか - Living, Loving, Thinking, Again

    伊藤剛「もうだめかもしらんね 」http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20091118/1258497943 所謂「事業仕分け」について、仙谷由人行政刷新担当相 が「政治文化大革命が始まった」と言ったとか。曰く、 この政権のコンセプトをつきつめると、知的な達成に向けてがんばることや、人生の向上心みたいなものが排除され、ただ生きているだけの人が賞揚される社会が待っているような気がします。 先端研究はいらない、文化的な啓蒙もいらない、ただただまんべんなく均等に子供手当てを支給することが求められている、というわけですから。 科学も、文化も、芸術も、よく考えられたもの、洗練されたもの、先端的なもの、つまり受容できる人の人数が必然的に少なくなるものはいらない、という社会です。 だって「文化大革命」ですよ。 比喩として言っているとして、ではこちらも比喩で返せば、この

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  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去

    3週間ほど前、ネトウヨの気が限りなく強いと個人的には思っている、ミスター・イースト元門下生としておなじみの某F氏とチャットで一晩話したのだが、彼は自分はネトウヨだと思っていないという。なぜかと問うと、「自分は日を憎んでいる」という。「アイヌを虐殺した*1日が憎い。(北海道出身である自分は)そう(日を憎めと)教育された」と。ぼくも北海道出身ではあるのだが、もちろんそんな教育は受けていないし、そんな教育をする教師など聞いたことがない。まあともあれ、彼の言っていることが事実であるとして、「アイヌを虐殺した日を憎む」ことを、すんなりと受け入れることができる彼の心性がぼくは不思議でならなかったのだった。 つまり、ぼくも恐らく彼も「血統的には」3代続いた日人の家系であるし、いやそれ以前にわれわれが今この時点で「日国民」であるのだから、いやおうなしに(それはパスポートを見るだけでわかる)「日

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  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病

    さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病
    D_Amon
    D_Amon 2008/12/18
    衝撃!ポストモダニズムとはぬるい現状追認主義だったのだ。そうなの?さすがにそれは東氏の独自解釈と思いたい。/「はてなサヨク的、ブログ論壇的粗雑さで言ったらデリダは歴史修正主義 」とか本当に粗雑で乱暴。
  • 「聖者」ガーンディーと真実

    一、はじめに  わが国でもっともよく知られているインド人の一人であるガーンディー(モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー)は、一八六九年、西インドはグジャラート州の小藩王国ポールバンダルに生まれた。父はその大臣であった。ガーンディーはイギリスに留学して弁護士の資格を取り、帰国後南アフリカに渡り、厳しい人種差別政策にあえぐインド人年季契約労働者たちの権利を擁護する闘争を展開した。そのときにかれは、有名な非暴力・不服従をその手段とするサッティヤーグラハ運動なるものを展開し、大きな成果を収めた。  その後かれは、インド土のビハール州における藍生産の小作争議、グジャラート州はアフマダーバードにおける紡績工場のストライキを指導してさらに名を高め、ついには、反英独立運動の中核を担うインド国民会議派の指導者に迎えられた。インド独立闘争はさまざまな曲折を経たのち、一九四七年、インドとパキスタンとの

  • 「〜だけ」は政治的意図を排除しない - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ただ歩いていただけ」と言う言葉から、こいつらは政治的意図を隠そうとしている!ギマンだ!って思っちゃうのは、自称一般人な自称中立がよく「〜だけ」論法を自分には政治的意図が無いよという言い訳に使っているからな気がした。「自分は単に事実が知りたかっただけです」「自分は単に平穏な生活を乱されたくないだけです」とか。 「ただ歩いているだけ」はギマンか?「ただ歩いているだけ」=「政治的意図はない」と言う結びつけが勝手な連想。「政治的意図がある」とはっきり言わないことは非難される筋合いは無い。 ひとつめ、「デモ」だろうが「ただ歩いていただけ」だろうが、その二つはそも未分化であって、それによって政治的意図の真剣さを判断しようとするのが間違い。それは前回書いた。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20081027/p1 ふたつめ、この社会においては、「政治的意図があった」は常に非

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  • この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081012/1223753840へのコメントに「「日の独裁者である「世間様」は」と言ってますが、日は民主主義国家なので、世間こそが独裁者なのは当然です」というのがあった。こういうのは正確には「民主主義」というよりも、暴民支配(ochlocracy/mob rule)というべきなのかも知れない。また、選挙などの制度としての「民主主義」が不足している体制の方が政治(国策)が「世間様」に影響される可能性は高いということも指摘しておかなければならないだろう。しかし、多数者支配としての「民主主義」にはそもそもこうした問題を孕んでいるというべきだろう。ポピュリズムの危険*1というのはその極限なのだろう。「民主主義」がベタで貫徹されてしまえば、多数ならざるマイノリティはひとたまりもない。さらに、文字通りの「独裁者」はサ

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  • 球根栽培法:『現代思想』1月号 - livedoor Blog(ブログ)

    2006年01月17日 『現代思想』1月号 今回は「災害」特集。先だってのインド洋大津波やアメリカ南部を襲った巨大台風、パキスタンの大地震、そして国内的には1995年の阪神大震災や現在進行中の大雪(既に死者が百人を超えたそうだ)と、世に地震や異常気象による災害は尽きないわけであるが、その渦中において、あるいはそうでないときでも「防災」や災害に対する「安全・安心」、あるいは「危機管理」の名において何が進行しているのかに焦点を当てているといった趣。 一般的に言うと、災害というのは――戦争と並んで――インフラから何から崩壊する究極の例外状態であるわけだが、そこにおいては逆に既存の社会問題が一挙に噴出することが往々にしてある。例えば昨年アメリカ南部を襲った巨大台風「カトリーナ」は白人と黒人の間の人種問題を改めて露呈させたし、阪神大震災は神戸という都市に存在する昔ながらの差別問題を改めて露呈させた。

  • 「観客席」への補注 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ※ 末尾に追記あり+idトラックバックを忘れていたところを追加。(2008/04/06 09:40) 「観客席なんかありません」の記事について、いくつかの注意と、ブクマコメントへのレスなどを書き留めておく。 こういう話をしていると、いつも「自分のことで手いっぱい」という人のことが指摘され(これは分かる)、そういう人は「観客席」にいるしかないではないか、というような意味のことで反論されたりする(これは分からない)。「自分が生きることで手いっぱい」という人については、そのように手いっぱいであること自体が「抑圧と侵害」であり、であるなら、その人は自分が生き延びるためにいっぱいいっぱいの努力をしている(せざるをえない)ということが、つまりは「観客席にはいられない当事者」ということであり、その人自身が生き延びるということ、それ自体が、大事な戦いだと、僕は考えるのだが。それは、チベットで弾圧される誰か

    「観客席」への補注 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 鈴木邦男をぶっとばせ!

    映画「靖国」の上映を新宿の映画館が中止した。「右翼の妨害が恐いから」という理由だ。「反日映画を潰した! 我々右翼の勝利だ」と言う人もいる。そんなことはない。日教組問題と同じで、右翼の敗北だ。「ほらみろ、右翼はだ騒いで妨害してるだけだ」と思われる。これでは誰も思想団体だとは思わない。 映画「靖国」は4月12日(土)から都内の4館で上映される。いや、その予定だった。新宿バルト9、銀座シネパトス、渋谷Q-AXシネマ、シネマート六木だ。ところが、新宿バルト9は上映を中止した。新宿3町目にあり、映画館が一杯入っているし、他にファッション事の店が多数入っている。若いカップルに人気のスポットだ。そこに右翼の黒い街宣車が何十台も押しかけ、大音量で、「反日映画をやめろ!」「それでも日人か!」「非国民め!」と怒鳴られたら大変だ。そう思った。このビルは「新宿バルト9」だけではない。この映画のためにビル全

  • ネグリ来日拒否への抗議に抗議する - (元)登校拒否系

    ネグリ氏:初来日中止 過去の政治運動に絡む有罪判決で http://mainichi.jp/enta/art/news/20080321k0000m040043000c.html?inb=rs 資主義というのは寛大なシステムで、反資主義思想までも商品にしてしまいます。ただし反資主義者であれば売れるというわけではもちろんなくて、「勝ち組」「負け組」に別れるのはどの世界でも一緒です。そのうち前者に属している一人がイタリアのアントニオ・ネグリです。彼の過激な共産主義は世界中で大ブレークしています。日でも著作は翻訳されていて、多くの大学サヨクに癒しを与えました。一冊はなんと天下のNHK出版から出ています。 その彼を、日の国際文化会館というブルジョア団体が招聘しようとしていました。関係者のブログには「ネグリさんを歓待しよう」というような呼びかけがあったりしてキモイなと思ってましたが、予定は

    ネグリ来日拒否への抗議に抗議する - (元)登校拒否系
  • 左翼問題の再調査が必要だ。 - 想像力はベッドルームと路上から

    http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a82e0465c89ec49f7b01a51a9273e375 うーん… 前提となる認識がズレ過ぎてて、ちょっとお話にならない気がする。 まず、ブクマコメントでも突っ込まれてたけど、「左翼の最後の砦」が「歴史認識と地球環境」なわけないよね。日の左翼を対象としてるのか、それとも世界的な傾向の話をしているのかは分からないけど、「左翼の最後の砦」は「弱者の存在」であり「格差の問題」であって、「歴史認識」や「地球環境」なんて話は使い古されたロジックのひとつに過ぎない。戦線は既に移動しています。 それにさ、『「日は遅れている」「欧米では**だ」というのが、戦後の左翼(および近代主義者)のマントラだった。』とあるけれど、では池田氏の語る「市場万能論」は「欧米(というかアメリカ)追随」でなくて何なの?出所もそれを肯定するロジック

    左翼問題の再調査が必要だ。 - 想像力はベッドルームと路上から
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