タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

映画と心に関するD_Amonのブックマーク (3)

  • 想像力の自由 - 電氣アジール日録 - 球児の墓にユニフォームで参拝するのは異常か?

    ここしばらく仕事が詰まっていたので今さらになったが、映画『靖国 YASUKUNI』を観に行ってきた感想。 まず冒頭、軍服を着て靖国神社に参拝し、金切り声を上げる老いた元軍人の一群が登場する。作品ではこの手の実録映像が結構あり、「街宣右翼は愛国者のイメージ悪化を狙った反日勢力の自作自演」という説を信じたがっているような手合いは、こういう実録映像が流されることを侮辱的に受け止め、逆に、そういうネトウヨを嘲笑する人間は、コスプレ右翼の珍妙さがよく描かれていると喜ぶようである。 しかし、これが愛国者を愚弄する映像であるかは、解釈と想像力の持ち方次第だろう。 わたしは、モナーやギコの描かれたTシャツを着て靖国神社に参拝する若人はイタい奴にしか見えないが、物の元軍人が軍服を着て元戦友の墓に参ったりそこで軍隊ラッパを吹き鳴らすことがとくに異常な行為とは思えない。たとえばの話、元高校球児の墓に、元チ

    想像力の自由 - 電氣アジール日録 - 球児の墓にユニフォームで参拝するのは異常か?
  • たったひとつのさえたやりかた- 絶叫機械+絶望中止

    生きていると、自分の罪を思い出して耐えかねるときがある。それは他人から見れば小さなものかもしれない。誰かを言葉で傷つけた、誰かの損になることをした、誰かの失敗を嘲笑った、誰かに嘘をついた。反省も後悔もいつまでも続いている、でも、罪を犯した自分の心はうす汚れてしまって、もうもとには戻らない。 ねえ旦那、おれは救われますか?祈れば救われますか?死んだあとで救われる?じゃあ祈らねえ。いまこの心にさかさ棘みたいに突き刺さっているのが消えないなら、祈る意味はねえんだ。ああ、生きることが罪なんですか、じゃあ旦那はなんで生きてなさるんで? 罪を犯すというのは、そういうことだ。では、罰とはなんだろう。 罪と罰 乱暴な書き方をすれば、罰というのは、人間の価値を量って、そこから犯した罪の分だけ引く、というものだ。 だから、与えられる罰と、罪を犯すことでかぶるかもしれないリスクを比べたとき、与えられる罰の方が重

    たったひとつのさえたやりかた- 絶叫機械+絶望中止
  • 映画「靖国 YASUKUNI」動的な場所で静的なカメラがみつめたものとは - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    知っている人は知っていると思うが、私は8/15に靖国神社へ行くことを常としている。また、これは余談だが、生れ落ちてから靖国神社へ行かなかった年はおそらく数えるほどだろう。もちろんこれは地理的な意味、単純に近くで生まれ育ったからというが、もちろん大きいけれど。靖国神社のみたままつりは今でも大好きで、毎年行くようにしている。見世物小屋を初めて見たのもここでだった。桜が降るように散る姿をはじめて目の当たりにしたのも、ここだった。英霊とはなんであるかを知ったのは、それから後のことだったけれども。 はじめに断っておくが、私は靖国神社に対しある相反する感情を抱いている。現在の靖国神社の「体制」には納得できない部分が多々ある。だが私がそれでも「そこ」へ何度も足を運んでしまうのは、英霊への哀悼の意、そして素朴な感情を元にお参りに来る人々に対し、あたたかな親近感を感じるからだろう。そしてその人たちを「いつ

    映画「靖国 YASUKUNI」動的な場所で静的なカメラがみつめたものとは - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
  • 1