タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

エロゲとGameに関するLianのブックマーク (4)

  • ダンジョン防衛系ゲームの歴史的展望(仮)

    1996年以前にも、防衛戦SLG/ActGが存在した可能性はある。当時のデジタルゲームの表現技術としても、多対多ゲームは構成可能だったろうし、ゲームシステムのアイデアとしても発想容易だろうから。例えば、最も原始的には、侵略的エイリアンを撃退するSTG『スペースインベーダー』(1978年)や、一画面マップの防衛戦ゲーム『平安京エイリアン』(1979年)も、この流れに含めてよいかもしれない。とはいえ、ここまで遡ると、システム上の連続性を見出してよいかどうかは疑問がある。『インベーダー』は防衛ゲームというよりは「原始的なSTG」という方が適切なように思うし、『平安京エイリアン』も、都市防衛はあくまでゲーム外部のストーリー設定であって、動画で見るかぎりはファミコン時代にもあったような固定画面ACTGに分類されそうだ。海外の『ダンジョンマスター(Dungeon Master)』(1987年)も、ダン

    ダンジョン防衛系ゲームの歴史的展望(仮)
  • さやわか × 村上裕一 対談:『僕たちのゲーム史(星海社新書)』をめぐって【後編】 - WEBスナイパー

    昨年、星海社新書より上梓された『僕たちのゲーム史』。膨大な史料と明快な論旨からゲーム歴史を読み解く書をめぐり、著者であるさやわかさんと批評家の村上裕一さんによって行なわれた対談を前後編でお届けいたします。執筆にあたり著者として臨んだ態度、ゲーム史におけるパチンコの位置づけ、拡大していくゲームの枠組みなど話題は多岐にわたります。大変ボリュームのある対談となっていますので、どうぞゆっくりお楽しみください。 ■拡大するゲーム/メタフィクションから目的外使用へ 村 今まではゲームには多様な要素があるんだよっていう話をしてきましたが、ちょっとちゃぶ台をひっくり返すようなことを言いますね。ゲームって最初っからそうだったのかという感じもしたんですね。というのは「ゲームって最初からメタゲームだったんだ」ということです。書にも書いてあったと思うんですが、当時まだインターネットがあまり発達してなかったの

  • ゲーム批評を論じてみた

    oyomot @oyomot 恋愛ゲーム論集の中の一文。「ノベルゲームは『ゲーム』ではない。」続けて「狭義のゲームが成立するためにはいくつかの形式が必要だ」と続く。あと一歩、「一人で遊ぶというコンピューターゲームの様式は『ゲーム』ではない」という領域まで踏み込めるものを、一歩手前で踏みとどまってる。 2011-11-03 22:33:37 oyomot @oyomot 「コンピューターゲームは狭義のゲームとは言えない」ぐらいのことは、割と容易に言える。ゲーム史でおそらく外せないゲームクリエイターである桝田省治がコンピューターゲームなんぞ、電子音と光の刺激でピコピコピカピカやってる刺激とゆー意味でパチスロのそれと変わらない、と述べてるわけで 2011-11-03 22:37:07

    ゲーム批評を論じてみた
  • 【鈴木謙介】「〈ゲーム〉にエンディングは必要か」

    【鈴木謙介】「〈ゲーム〉にエンディングは必要か」 ライター:鈴木謙介 鈴木謙介 / 社会学者 鈴木謙介の「そこ見るんですか?」ブログ:http://blog.szk.cc/ 映画を超えたエンディング ゲームをクリアして,エンディングを眺めているときの気持ちというのは,いつも複雑です。 ラスボスとの戦いを終えた疲労感と達成感,これでこのゲームも終わりなんだという寂しい気持ち,あるいは,ストーリーの結末を見ることができた感動など,いろいろな感情が胸に去来するものです。 こう言うと,「どこの厨だよ」とおしかりを受けるかもしれませんが,僕は「ファイナルファンタジーVIII」と「ファイナルファンタジーX-2」のエンディングに,「ほうっ……」というため息を漏らすくらい感動したクチです。 ただ,最近はマルチエンディングのゲームも増えていて,一度エンディングを見たら終わりというわけではないことも多くなりま

  • 1