行為と意識を結びつける難しさ ゼミ論や卒論用に本を読んだり文を書いていてよく思うのは、「アイデンティティ」というのはかなりパンドラの箱に近い言葉だ。これほど現代の社会を表すのに多用され、かつその意味が統一的でない用語もない。もちろんそれなりに学者による定義はあるが、人によってかなり異なる。 先月22日に東工大で行われたシンポジウムに関し、東浩紀は事前のブログでのエントリでも当日の発言でも、「アイデンティティとかの話はしないでいいよ」という趣旨を述べていたが、そう言わせるほど「アイデンティティ」という言葉の持つ磁力はコントロールしがたいものがある。 アイデンティティとは何かをここで議論しているとおそらく本一冊が書けるし既に無数の書籍がそのために出版されているので、その話はしない。ただ自分が所属している都市社会学のゼミでは、よく個人があるコミュニティに所属する際の意識として、アイデンティティと