ネット上に満ちあふれる「悪意」に荷担してあげれば、あるいはそこまで行かなくとも目をつぶってあげれば、ネット上で「悪意」を包み隠さず露わにしている人達からは、尊敬される、あるいはそこまで行かなくとも敵視されずに済むのかもしれません。 ただ、彼らからの尊敬を集めることというのは大した意味もないことだし、敵視されると粘着されて鬱陶しいことは鬱陶しいけれども、粘着君を意図的に放置している現在のネット社会において凛として生きていく上では事実上避けられないことと諦めざるを得ません。 でも、そのことと、ネット上の誹謗中傷の被害者に「スルー力」を求めることとは異なるのです。被害者に「スルー力」を求めることでことたれりとしてしまうと、ネットを、「悪意の表明の場」以外に活用されるような環境整備を行うようにISP等に要求していく力が薄れてしまいます。 学校現場において、いじめっ子に「いじめはいけないことだ」とい