涼風紫音/Protest the invasion of Russia @sionsuzukaze 一つだけ付け加えておくと、これは「自分事」だからこそそうするのであって「自分事」だからこそ言及するのであって、「善意」だの「他者のため」だのという「綺麗事」を装った自慰だったら、敢えて踏み込まないよ。逆に言えば、前者で動いている人間は信頼できるが後者は信頼できん。どの立場であれ。 2014-10-28 21:08:25 涼風紫音/Protest the invasion of Russia @sionsuzukaze これは「当事者原理主義」ではなく「引き受ける」か「途中で好き勝手に捨てたり拾ったりする程度か」の問題。「だから」パッチワーク的に利用してくるやつは信用せん。 2014-10-28 21:09:43 鐘の音(除夜の鐘)ダイエット-30kg @kanenooto7248 なので、「
長谷川三千子『正義の喪失―反時代的考察』(1999年)第三章「われわれの正義はどこに?」引用 九月十一日の朝、世界貿易センタービルに吸ひ込まれていつた機影は、そんなわれわれにむかつて、かう問ひ残していつた――「われわれはいま、アメリカを処罰する。君たちはどうするのか?」 この問ひかけから、われわれは必死になつて耳をふさがうとする。「彼らは単なる狂信者であり、憎むべきテロリストである」と或る者は言ふ。また或る者は、「いや彼らは気の毒な被圧迫者なのである」と言ふ。しかし、いくらさうやつて耳をふさがうとしても、「居心地の悪い気持ち」はわれわれの心を去らない。「これまで考へたことなど無意味で、実は何も考へなかったのではないか?」という声が、心のどこかから呟きつづけるのである。 もしもわれわれが本当に「思想の力」といふものを信ずるならば、われわれはまづ真正面から、われわれが避けてきた事実に向き合わね
平野耕太 @hiranokohta 初音ミクの般若心経聞いて、いろいろ妄想した。仏教詳しくないからわからないけど、あれか、世の中全部実はログインすると元の記憶消えるネットゲームみたいなもんだって解釈したらしっくり来た。 2010-09-05 22:44:22 平野耕太 @hiranokohta で、悪いことすると、管理人に「お前迷惑掛けすぎ。次のゲームのプレイキャラ、虫とかバクテリアな」とか言われるの。で、プレイ中に「あ、これ意味ねえわ、ネトゲだこれ」って気がつくと管理人に「よく気がついたな、ネトゲ卒業」って言われて、管理人にさせられんの。 2010-09-05 22:47:23 平野耕太 @hiranokohta 人「人生ネトゲじゃ意味ないじゃん、金とか名声ももネトゲ世界でしか通用しないし」 観音菩薩「そうそう、一歩引くと馬鹿みたいだよね、次のキャラで引き継げないし」 人「マジすか」 釈
これは困った…アメリカの極右さんたちが信じる陰謀論トップ10 アメリカを外から見ていてどうしてもわかんないのが、キリスト教原理主義と極右勢力だよね。 まだ原理主義の方は、進化論やアポロの月面着陸を否定したり「ああカルト宗教みたいなもんね」ってなんとなくわかるよ。でも、極右の人は、どうもなじみがないせいか、わかりにくい。日本の極右さんを想像しているとまったく違うんだよ。日本の右翼は皇室を熱愛してるから、アメリカの右翼は大統領に忠誠を誓ってたりするのかな?とか思ってると、正反対だから注意してね。 この記事では、アメリカの極右さんたちが信じ込んでいる陰謀論を通じて、極右さんたちの思考の一端を探ってみることにするよ。 -- 8/29 画像追加 01 飛行機雲は毒ガスだ! 青空にかかる飛行機雲…さわやかな光景だね。でも極右さん達は、飛行機雲を見かけたら、血相を変えて自家製シェルターに逃げ込むよ。そう
◇元記事は削除しました。 ◇15:32 2010/07/24 http://anond.hatelabo.jp/20100723210431 読んだ。 以前嘘話を書いた人間の感想としてこれは嘘話だとは思う。 だけれども、すべてが嘘ではないと思う。 増田で嘘を書いたときの気持ちを振り返ってみる。 私が書いたのは父のやりきれない叫びを 自分の声として語ったものだった。 だから違和感があったけれども、自分なりに 目の前で苦しんでいる父の気持ちを 理解しよう、追体験しようって気持ちもあった。 目の前で苦しんでいる人がいるとき、 何もしないで通り過ぎることは難しい。 せめて少しでも理解したいと思う。 そんな時、こういう理解でええのかなーって本人にも聞きづらくて また、彼の悩みが正しいのかどうかも判断つきかねて、 あるいは何かヒントが欲しくて、 本人じゃないけど誰かに話を聞いてもらいたくなる。 ただ、
臓器移植法案に関して、「脳死は人の死か」、ということに関する意見表明がちらほら見られて、それはそれでいいことだと思うのですが、脳死についてはそれ以前に考えるべきことがあります。 脳死に関する問題は大きく三つに分類されて、 1.どのように『脳の死』を判定し定義するか 2.脳の死が個人の死であるのか 3.個人の臓器をどう扱うべきか と考えることができるわけですが、臓器移植法関連では2以降がよく議論されて1がスルーされがちです。 しかしまず考えるべき、重大なことは1の問題です。 皆さんは脳の死、と言ったとき脳のどのような状態をイメージするでしょうか。 脳波がピーーー、とフラットになった時? それとも脳組織そのものが豆腐のように崩壊してしまった状態? 二つはイコールではありません。 前者のイメージ、脳の機能が外部から測定不能になったときを脳の「機能死」といいます。 後者の状態、脳組織自体が修復不能
「こっそり南京アンケート - 「で、みちアキはどうするの?」」を読んで思ったことなど。 南京大虐殺があった/なかった、みたいな、自己の生活と直接的にかかわりのない*1問題について、真剣に論じる人たちというのは何か、ということをみちアキ氏が問うていたので、自分なりに考えてみると、すなわちそのような問題は、われわれにとって自らの倫理のあり方における賭金としてあるがゆえに真剣に論じられるのだという印象を抱いた。 南京大虐殺があった/なかったを問われるとき、それを「どうでもいい」と回避せず「あった」と主張する人は、そこをフックとする問題意識を抱いている。それは史実性をめぐる正確さやレスポンスビリティ、民族主義やレイシズム、あるいは愛国主義や自由主義史観、「歴史家論争」など多様な分野に広がっていく問いとしてある。そして究極的には「人間とは/自分とはいかなる倫理において生きるべきか」をむき出しにしてし
人権というコトバは、法の枠内におさめることのできるコトバではにゃー。無論、法と無関係に語ることは無理スジだろうけれど、法学が独占して取り扱う対象ではにゃーわけだ。ブンガクからもテツガクからも文化論からも、自由主義思想からもゲーム理論からも人権を語りえるものですにゃ。 僕は今回、だいたい自由主義思想の観点から人権について考えていますにゃ。例によって愚行権ベースにゃんね。法の話をしているわけではない、というのはそういうこと。 これに対し、「法学的にはこうですよ」という意見は歓迎するのだけれど、法学的におかしいからダメという話はナンセンスにゃんなあ。しかも、こちらが根拠をあげているのに対し、無根拠にDISられてもお笑いですにゃ。 いただいたレスやトラバにはなるべくお応えしていきたいとは思うのだけれど、時間がとれないので今日はとりあえず1点。今回は法の範囲内のお話ということで。 「レス」にレス 世
⇒言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊び 仰りたいことはわかりました。趣旨には同意です。「まとめ」の部分にはほぼ異論はありません。率直に言って、NaokiTakahashiさんのブログのコメント欄での応酬を拝見した限りは、もっと突っ込んだ議論を展開されるのかと思っていました。 「女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲーム」の表での流通が「人権侵害と認めるところからはじめ」るというのは、相当に強い議論です。DV等を見るまでもなく、児童虐待を見るまでもなく、そして人身売買を見るまでもなく、私的セクターにおいて、あるいは商行為の名のもとに、侵害されている人権の回復には強制力の執行を伴います。その強制力を市民は国家に付託しています。むろん数多の非営利団体が活動していますが、彼らは強制力もまた強制的な執行の権限も持ち合わせません。そうした社会を、私たちは選択しているし、私は「自
命には軽重がある。これはきっと多くの人が分かっていることだろう。分かっていながら、言葉に出して言ってしまうと身も蓋もなくなるので、あえて口に出さないのだろう。しかしぼくはそれを口に出してしまう。むしろ、今こそそれを口に出して認めることが必要だとも思ったりする。そういうことを分かってない人も多いと思うからだ。これは良くないことだと思う。命に軽重があるというのは、みんなむしろもっと積極的に進んで認めるようになった方が、色々なことが上手く行くようになると思うし、つまらないことであれこれ悩むことも少なくなると思う。 先日、「赤ひげ」という映画を見た。ぼくは昔この映画を見たと思うのだが、あまり印象に残っていなかった。どういう映画だったっけかと、思い出そうとしてもなかなか思い出せなかった。そこへ先日、NHKのBSで黒澤明の没後10年ということで特集が組まれていて、この映画の放映もしていた。それで、久し
⇒本当に文学的想像力があるならば - モジモジ君のブログ。みたいな。 大変丁寧で真摯な応答、ありがとうございます。早速。 文学的想像力について (前略)「自由と自律の剥奪を描くことは、特定の政治的に抑圧された人々を描くことではない」。ええ、そのとおりです。特定の政治的題材を扱うにせよ、フィクションの世界を使うにせよ、なにを題材とするかは、この際、問題ではありません。そして、そこにもたらされるのは、もちろん、自由と自律の剥奪に対する文学的想像力でしょう。ただし。 グローバルに存在するスノッブな文明人は、パレスチナという固有の場所と固有の政治的に抑圧された人々には特段の用ないかもしれないが、個人における自由と自律の剥奪という問題意識には用がある。…… これはチョット待ってくださいよ、と思います。「個人における自由と自律の剥奪という問題意識に用がある」と「パレスチナという固有の場所と固有の政治的
最近のオタク リンク先の記事にある通り、最近は、オタク的薀蓄をひけらかして威張ってまわるようなオタクがめっきり少なくなった。数年前までは、アニメやゲームや漫画の知識を披瀝することで「俺様は、お前らよりも偉いんダゾ」と確認したがる人に頻繁に遭遇したものだが、オフラインでそういう風景をみかけることが減ってきた。それに伴い、いわゆる“布教活動”に勤しむ人も、少数派になってきているようにみえる。 この変化の要因については、「オタクがヌルくなってきたから」「ライトなオタクが増えたから」という説明をみかけることが多いし、それは多分当たっているのだろう。コアなオタクだけがライトノベルや萌え系コンテンツを独占している時代は既に遠い。若い世代を中心に、幾つかのhobbyのひとつとしてライトノベルや萌え系コンテンツを屈託無く*1楽しむ層が増加すれば、旧来からの、知識蓄積に拘るタイプのオタクや、オタク分野という
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
東浩紀の発言から始まった年末南京事件騒ぎだけれども、このパターンほとんど年始のフロムダ氏の南京論争とそっくりで、わたしとしては以下の一年前の記事を再掲するだけで終わらせても良いくらいだ(この騒ぎでにわかにリバイバルしてアクセス数が増えている)。 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 南京事件否定論は基本的にトンデモ - Close to the Wall 論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close to the Wall ただ、東のいっていることは単純に歴史修正主義容認論とみなしていいのかどうかはやや判断に迷うところなのでさておくが、ゼロアカ門下生藤田直哉id:naoya_fujitaの発言はひどいのを通り越してもはや犯罪的だと
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081128#p1 南京大虐殺については あったという奴、なかったという奴、 それを併せ持つ形で設計されなければならない 僕はあったと思う、と何回も言ってるけどみんな聞いてくれない なかったという人の意見も尊重しなければならない という帰結が生じるという話をしている 2ちゃんにいけばふつうに(東スレでも!)修正主義者が跋扈している。Willや正論など、修正主義者の文章をお金を払って買ってくれる媒体もある。産経新聞など修正主義に寛容な全国紙もある。修正主義者の国会議員もいる。これ以上何を尊重しろというのか。修正主義者が発言することを尊重すべきと言うならば、それは十分すぎるくらいに尊重されている。修正主義者の発言の中身を尊重すべきというなら、それはご冗談をと言うしかない*1。 歴史修正主義者が登場するのは「絶対的真実」が無いからではな
なるほど、「アサヒる」って、そういう意味だったんだ。おじさん、てっきり時間の区切りのことかと思ってたよ。 「アサヒる」=「執拗に責め立てること」…日テレが「アサヒる」の意味をアサヒる http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1055832.html ところで関係ないんだが、これからする話は大切なのでよく聞いて欲しいんだ。 皆、サヨクは嫌いだろ? サヨクを叩きたいだろ? で、ここだけの話、俺らサヨクって、叩かれるのが好きなんだよ。 いや、厳密に言うと「叩かれること」一般が好きなんじゃなくて、意見が違う相手から叩かれるのが大好きなんだ。逆に、右翼から褒められたりしたら それはもうスゴイ不名誉で、他のサヨクからボコボコにされるんだぜ。 サヨクは、ネット右翼の皆と仲良くしたいとは思わない。「立場は違うけど、少なくとも〜ということは同意できる」みたいな共有点
以下のエントリを読んで,猛烈に自分語りをしたくなった。 ちょっとした昔話 - 自由帳で数学とか物理とか ぼくは「気がついたら〜になっていた」という事の多い人間だ。気がついたらオタクになっていた。気がついたらユーゴに嵌っていた。そして気がついたら歴史修正主義者になっていた。 ぼくにとっての「始まり」は,『戦争論』だったと思う。無論クラウゼヴィッツの方ではなく今ぼくが批判している小林よしのりの方だ。井沢元彦あたりを読んで,中学に入るか入らないかの頃には改憲論者になっていた,という事は憶えているのだけれど,いつ小林を読んだのかはよく憶えていない。 高校三年の時。今は疎遠になったある友人から『嫌韓流』という本が面白いと勧められた。ぼくはそれを近所の諸点で立ち読みし,すっかり感化された。ぼくはその友人からも疎ましがられるような立派な嫌韓派になり(ネットに触れる事でますます急進化していった),今まで「
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