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責任に関するNOV1975のブックマーク (3)

  • 続・「Creative Commons」の捉え方:IT's my business:オルタナティブ・ブログ

    はてブにて「「Creative Commons」の捉え方」、または「津田氏との電子メールの履歴」にコメントくださった皆様、ありがとうございます。今朝、見た時は個別にコメントできるかと考えていたのですが、多数のコメントをいただきましたので、内容別にまとめます。 →「「Creative Commons」の捉え方」への「はてブ」コメント →「津田氏との電子メールの履歴」への「はてブ」コメント 全体的に、私の意見に否定的なものがほとんどですね(メール全文を公開しているのですから、ちゃんと読んで欲しいというものもありますが)。Creative Commons のライセンスが「共有」を目的としているという考えを改めるつもりはありませんが、この反応については、素直に考えの甘さを認めねばならないと思っています。 ・「CC宣言」と「デジタルコピー」は別。デジタルデータ公開の義務はない。 この指摘はそのとおり

    続・「Creative Commons」の捉え方:IT's my business:オルタナティブ・ブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/09/12
    メールでのやりとりを読む限り、空気読めてない感じなんだけど…。ここまで騒動にしておいて「やる気が失せている」と言う発言をしてしまえることにも違和感。
  • REVの日記 @はてな-心のマスターキー

    心のマスターキー http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070516/p1 「カウンセラー」という言葉には、権威が発生し、カウンセリングを求める人は、つい、心のAdmin権限を渡してしまう。「患者」は、医者だから手術台に上り、飲店だから他人の飯をべる。まあ、ろくでもない医者も、ろくでもない店長もいる今日この頃だけど。カウンセリングを行うときには、責任を要求されるという話で、いろいろ首肯できる話ではある。間接的殺人者とか、合法的詐欺とか、主婦は○○な○○○とか、自己再定義による意味の改変で責任を放り出してもいいのかもしれないけど。

    REVの日記 @はてな-心のマスターキー
    NOV1975
    NOV1975 2007/05/17
    端的な説明。そうなんですよね。肩書き。
  • 道徳的詐術とは何か、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先のエントリでは「x0000000000さんの主張が道徳的詐術である、という論証はどこにもなかった」とだけ述べ、uumin3さんの記事そのものは引用さえしないですませた。むしろ、x0000000000さんの議論を上書きする形で、僕自身の立ち位置を書いた。いわば、構築的に議論を進めたということだ。今回は、uumin3さんの批判記事を具体的に引用しつつ検討し、そちら側から見えるものを明らかにしていこうと思う。今回も、「道徳的詐術」@uumin3の日記を取り上げる。 あらゆる責任に先行する応答責任 私がコンビニに持っていった「その200円」がなかったばかりに一家四人が死んだという仮定。これがまずあり得ないことを言っています。もしそこをアクロバティックに結びつけ得たとしても、そこで私が「その200円」をアフガニスタンのその家庭に贈ったために足りなくなった200円で、パキスタンの子供が飢えて死んでし

    道徳的詐術とは何か、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    NOV1975
    NOV1975 2007/05/08
    責任の存在を認めるかどうかがスタート地点で、そこで違う方向に向かうと一生交わらないよって話かなあ。議論じゃなくて単に主張なのかな。かみ合わない前提を大前提にして切って捨てるのであれば。
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