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自分と科学に関するNOV1975のブックマーク (3)

  • ニセ科学って言われるのが嫌ならトンデモ科学になればいいのに - novtan別館

    最近読んだ面白かった。 トンデモ科学の見破りかた -もしかしたら当かもしれない9つの奇説 作者: ロバート・アーリック,垂水雄二他出版社/メーカー: 草思社発売日: 2004/02/14メディア: 単行購入: 3人 クリック: 53回この商品を含むブログ (39件) を見るほぼ実証されている科学とトンデモ科学の境目は非常に脆い壁で出来ていて、どちらかに倒れてきてしまうことがよくある。このでは、どれもありえなくは無い(可能性は0%ではない)としつつ、トンデモ度でその信憑性を判定している。科学的な解説というのはそういうものだろう。 しかし。 最近「ニセ科学」と決めつけて、波動やマイナスイオンを批判する学者が目に付きます。学者の知識と経験だけで、将来性が多いに見込める日技術を否定しています。しかも、批判者同士がつるんで仲良しクラブを形成しています。ブログ上での批判も許し難いですが、さ

    ニセ科学って言われるのが嫌ならトンデモ科学になればいいのに - novtan別館
    NOV1975
    NOV1975 2007/09/20
    ↓どんな目をして話しているんですかね…
  • 科学者だって金のためなら本当のことは言わない - novtan別館

    ウソを付くと言う意味ではなくて。例えば企業のヒモ付き研究はもちろん否定的な結果が欲しいわけでもないから「わからない」が「可能性がある」に言い換えられます。そりゃあ白黒はっきりしない類の、すなわち統計的なデータが必要な研究にとっては「有意差が出なかった」はすなわち「明確な効果があることは現時点では否定された」と言うことであって意味の明瞭な日語を使うと「効果はこの実験では否定された」は真に科学的な態度により「効果はないといえるが未来の別の実験で検証される可能性は必ずしも否定できない」になり、肝心な部分を省略して「効果がある可能性はないとは言えない」と化け、スポンサーの都合により「効果がある可能性はある」になるわけです。 悪い例を挙げてしまったような気がするのですが、途中で示したように、真に科学的な態度が「わからないことは100%は否定しない」にあるのであれば、世の中の都合により話はいくらでも

    科学者だって金のためなら本当のことは言わない - novtan別館
    NOV1975
    NOV1975 2007/02/08
    ↓そうですよね。それを批判したいのではなく、(騙された!って騒ぎたくなければ)見るべき側がちゃんと判断するのはいずれにせよ必要ですね、と言いたい訳です。
  • 自分の世界で専門外の物を語ると言うこと - novtan別館

    ちょっと支離滅裂になりそうだが、どうにも書かないと気がすまないので書いてみることとする。 常日頃からネットに対するある種の恐怖を感じていることがある。専門外の人があたかもそれが事実かのようにでたらめを語ることだ。何も言うなとは言わない。疑問を呈することは一己の個人として認められるべきことであるし、硬直化した世界を変える可能性のある第一歩かもしれない。しかし、一つのごく限られた事例−それは時として誤解に基づく事実無根の出来事だったりするのだが−を以って真実として広めようとするのは一体何様なのか。 自分の体験を語るのは構わない。問題はそれを単純に汎化してあたかも真実のように語ることである。無論、自身がそれについての専門家であれば文句は言わない。不誠実な専門家もいるかもしれないから、その人が言うことが必ずしも真実であるとは限らないのは認めよう。しかし、専門家と言うのは、専門じゃない人が思っている

    自分の世界で専門外の物を語ると言うこと - novtan別館
    NOV1975
    NOV1975 2006/12/28
    専門外ではもうちょっと謙虚になろうよって話で。いろいろ考えたり、考えをみんなに伝えたりするのは悪くないと思うんだけど、それが真理・俺が正しい、みたいに言っちゃダメだよね。
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