2009 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 2011 | 01 | 05 | 06 | 07 | 10 | 11 | 2012 | 04 | 05 | 10 | 今日の会社 おなかすいたし焼肉食べたいし外に出てる営業さんがいまから焼肉って恵比寿の高そうな焼肉屋のURL送ってくるし私も…私も行かせて…(積み荷を燃やしてくらいの切迫した感じで読んでください) はてなハイク ほんとに終わってしまうん??? ひとりごと 信号待ちの車の窓が開いて、助手席のひとがポトンと吸い殻を外に捨てた。持って帰ればいいじゃんとおもって車内を見たら、助手席の目の前に禁煙ってシールが貼ってあり、ナンバーを見たらレンタカーだった
どうすればブクマコメントを気にしないでいられるか - novtan別館 id:NOV1975さんが、含蓄深い文章を書いていました。自分自身の脆さや弱さ・相手の凄さや醜さが、一方向的な受信だけでなく、双方向的なやりとりを通して浮き彫りになってくるというのは全くその通りと思いました。相手の発言や文章の一つ一つを吟味したり、双方向的なやりとりを通して、私達はお互いの対話可能性・コミュニケーション可能性も*1吟味しあっているように思います。それも、絶え間なく。 ただ、ともすれば、人は対話やコミュニケーションというものを誤解しがちです。対話というと、「お互いの距離を近づける」「理解しあう」「相手の良い部分に気づく」などとばかり連想する人もありますが、実際のコミュニケーションは、その正反対の効果をも含んでいます。コミュニケーションを万能お姉さんの如く空想している人をみると、僕は無残だなぁと思うほうです
気持ちはわかる、という言い方がある。 誰かが悩みを話していたり、愚痴を言っていたり、なにかに文句を言っていたりするときなどに、使うことがある。 言われた側は、気持ちはわかるって言うけど、本当に私の気持ちなんてわかるもんか、と反発を感じたりすることもある。 それは当たり前で、気持ちはわかる、という言い方は、あなたの感じたことは私も同じように感じますよ、ということではないのである。この「わかる」は「了解できる」であって、つまり、自分が同じような立場に置かれたら、そのような心境になる可能性はあると思う、という意味だ。言う側も、相手の気持ちを丸ごと受容しているわけではなく、あくまで1つの可能性として了解可能だ、というだけのことである。 気持ちはわかる、は、気持ちがわかる、ではない。 気持ちはわかる、と思うことはある。 そういう場合、往々にして、気持ちはわかる、わかる「けど」、とつながる。
suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 こちらを読んで、ふと思ったこと。 子どもはやたらに「なぜ?」「どうして?」と言う。 子どもにとっては、世の中にはどうしてだか、なぜだか分からないことがたくさんあって、それを知りたいと思うからだ。それは他人の心理や行動に対しても同じことで、「どうしてお母さんはこう言ったの?」「どうしてお父さんはそうするの?」ということをあまりタブー感なく言う。 やがて、いろいろなことを学習して、ものごとの仕組みや理由、からくりが分かってくると、「なぜ?」「どうして?」が少なくなる。一つには、分からないこと自体、身近な範囲では少なくなってくるということ。もう一つは、自分がすでに知っていること、分かっていることを材料にして、今分からないことを推察したり考察したりして、自ら「分かる」ことができるようになることがあるのだろう。 と同時に、周囲の
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50497166.html http://wp.fujikake.net/archives/205 上記リンク先で挙げられている放電コミュニケーション、に関する指摘は妥当なものだと思う。自分が傷つくリスクや最小化しつつも、承認体験はゲットしておきたい人が、少なくとも日本のインターネット界隈には沢山存在していると思う。そして勿論、twitterというコミュニケーションツールもまた、これまでのインターネットコミュニケーションツールと同様、そういったローリスクな承認欲求の備給の場として多くの人に愛用されつつあるようにみえる。 しかし、このtwitterには、blogやmixiなどといった従来の多くのコミュニケーションツールと比較して特別に優れた点があると思う。というのも、blogやmixiとは異なり、twitterで
「ありがとう」の代わりに「どうも」と言う人が嫌い、と心の中では思っているのだけど、決して知ってる人に口にしたり、自分の日記で書くことはない。そんな意思表示をできるほどの度胸は無い。 しかし、この不快感は消したい。だから、ちょっと考える。 「どうも」は、「どうもありがとう」という用法が長らくされてきた、と思う。 現在、「ありがとう」を省略して、「どうも」だけで感謝を意を示す人も少なくない、と思う。 (ちなみに、「すみません」で感謝の意を示す人も少なくない、と思う。) 相手が自分に対して「どうも」と言ったとき、感謝の意を示されているというのは、頭で考えればわかる。 でも、直感的には不快で、「ありがとう」と言ってほしいなと思ってる。 やっぱりだめだ。このモヤモヤはどうやって解消すればよいのだろう?
はてブの人たちが偉そうにしている理由 ↑のエントリへの反応を受けて。 肯定的なコメントが多いエントリの場合、自分はあえて批判的な意見を言おうと心がけてますね。 別にシニカルを気取るわけじゃなく、新しい視点を持つ事の訓練としてブクマを使ってる面もあるので。 本当はそうする事で議論が広がっていくと嬉しいんだけど、コメントから話題が広がる事って少ないんだよなぁ。 ↑のエントリに対して、id:YOSIZOさんからこんなコメントをいただきました。 実際に↑のエントリに対するブックマークコメントにも、こういう感じの内容がけっこうあったんですよね。 (ですから、以下の内容は、この方だけを批難しているわけではありません。というか槍玉にあげてしまってすみません。個人的な怨恨はまったくないです。それこそ「新しい視点を持つことの訓練」として利用させていただいております) id:YOSIZOさんが考えておられるこ
雑談最近話題の「店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。」問題ですが、私も例に漏れず「いやいやいやいや、それはいくらなんでも、ありがとうくらい普通に言うだろう!」と思ったクチなんですけど、関西出身の私の「ありがとう」と、関東の「ありがとう」は違うかもしれないと思って朝からtwitterに書きなぐってました。 関西弁でのありがとうはイントーネーションが「ありがとー↑」という感じで、かなり普通に使う。エレベータの扉とかデパートの扉をあけて待ってくれてたり、バスを降りるときとかね。私は散髪したあとで店を出るときとかにも言いますね。そんな感覚なんで、この質問には「えーーーこれどういうこと?? 世界広すぎる!!!」とか思ったんです。 でも冷静になってみると、標準語のイントーネーションで「あり↑がとう」というのと、関西流に「ありがとー↑」と言うのではなんか、受ける印象が違うような気はしてきました。私も東
要望があったので前回エントリのコメントについてさらに深く考えてみたいと思います。 前回のエントリでの匿名者のコメントと、よししさんのコメントは、援護コメントではあるもののその内容は単なる対戦相手をdisったものに過ぎず、言うならば「足手まといのコメント」です。このようなコメントに変な返信をすると足元をすくわれる可能性があります。たとえば単にこのコメントと一緒に相手をdisるぐらいだと、観客に「こんな程度の低いコメンテーターと同レベルか」と思われたりとか。はてなは変に賢しい人が多いですしね。 よくよく考えてみると、このようなコメントにどうすればいいかというのは難しいです。仮に私が同じ立場だった場合、自分を擁護してくれるのは(たとえ間違ったやり方だとしても)うれしい…、とはいえ、余計なお世話…、といった心情です。それで結局「黙って削除」をしてなかったことにするかもしれません。(実際にやったこと
店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。 (中略) 見ててイラッとします。会釈ならいいんです。私もするし、感じいいです。でもなんで声に出す? 知り合いでも何でもないのに、馴れ馴れしくない?と思います。 そういう人に限って、何かあったときにねちねちクレームつけたりする。 私自身、コンビニでバイトしてたときに、「ありがとう」と言われたことあります(関西の発音の人が多かったような。。。) 正直、内心で「友達でもないのに何様?」と思ってました。別にお礼言われるようなことしてないし、と。 「店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。」 また強烈な意見だな、おい。 はてブでもさっそくホットエントリ入りしているけれど、「どうせ釣りだろ」といういつものあれのほかは、否定的な意見が多いみたい。 それはそうだろう。「ありがとう」とひと言添えたくらいで「大嫌い」「何
店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。 さっき別の方が、店員に「ご馳走様」「ありがとう」と言う人を見ると惚れそうになる、と書いていて、 あまりにびっくりしたので質問してしまいました。 私の周りにも何人かそういう人がいて、料理が運ばれてくるたびに「ありがとう」と言ったり、 買い物してお釣りをもらうときに「ありがとう」と言ったりしてました。 見ててイラッとします。会釈ならいいんです。私もするし、感じいいです。でもなんで声に出す? 知り合いでも何でもないのに、馴れ馴れしくない?と思います。 そういう人に限って、何かあったときにねちねちクレームつけたりする。 私自身、コンビニでバイトしてたときに、「ありがとう」と言われたことあります(関西の発音の人が多かったような。。。) 正直、内心で「友達でもないのに何様?」と思ってました。別にお礼言われるようなことしてないし、と。 あ
この発言がそもそもの始まり otsune氏発信のlog⇒ @ryo_grid 「どうやって読むか読まないか決める?」ってのは、あたりまえだけど「オレが面白いと思うかどうか」だな。強いて言えば、タテマエでとりつくろって「俺は頭良いんだぞ・凄いんだぞ」をアピールしたがってるblogは読む必要無いと思ってる。 私からコメント⇒ 今頃失礼な言い方かもだけど、@otsune さんはある年にnominateされたアルファーブロガーだったのね。そゆ先入観を持ってブログを拝見してはいないけど、timelineで発しているような事を公言する辺り、非常に高い位置なのだと認識した次第。伝えたい事じゃないのでは? otsune氏から質問⇒ @godmother ん?「非常に高い位置」ってのがイマイチ分かんないんだけど。もしかして「偉い・偉くない競争」みたいなのが森羅万象すべてに適用されることが前提? 私からの返答
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こうして、ネット上に新たなノイズエントリーが、またひとつ生まれましたとさ。 おれは、はてなーがブクマでクネクネしてるの気にならないけどなあ。そんなクネクネが見れるのも楽しみのひとつでしょ。それをノイズノイズというほど、あなたははてブで一体どんな大事な情報を集めたいと思ってるのですか?と逆に聞きたい。はてブじゃなけりゃ集まらないような情報なの? あなたのお悩みの表層的な解決策を言うとね、 ・そこまで言うなら、自分が定義する清く正しいソーシャルブックマークサービスのひとつも自分で立ち上げ運用して、ユーザー集めたらいいんじゃない?(でも、あなたが作ると、たぶん、潔癖すぎて誰も使いたがらないか、あなたの信者のような人たちが少数で寄り集まるサービスが出来上がると思うけど。) ・それから、クネクネエントリーは、はてブでお気に入りユーザーを登録するとか、閾値を調節するとかすれば、結構はじけると思う。 ・
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