アメリカ国務省報道官発言をきっかけに、日本でも北京冬季五輪に参加すべきかどうか議論が起こっている。そこで引き合いに出されるようになったのが41年前モスクワ五輪ボイコットだ。政府、JOCの判断により五輪の舞台に立てなかった選手たちの“その後”とは?(全3回の2回目/#1、#3へ) モスクワ五輪のボイコット問題をめぐっては、のちのちまで語られる場面がある。それは1980年4月21日に、五輪参加を目指す選手やコーチが岸記念体育館で開いた「緊急強化コーチ選手会議」だ。その冒頭、議長役の柔道の佐藤宣践(のぶゆき)コーチが招集した理由を説明し、「モスクワに参加すべし」と提唱した。これを口火に選手・コーチが次々と発言を促され、すでに政府の意向を受けてボイコットに傾きつつあったJOCへの不満を爆発させる。それはまさに決起集会というべき光景であった。 なかでもレスリングの高田裕司(当時、日本体育大学研究員・