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五輪と歴史に関するanimistのブックマーク (2)

  • 「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後”(近藤正高)

    アメリカ国務省報道官発言をきっかけに、日でも北京冬季五輪に参加すべきかどうか議論が起こっている。そこで引き合いに出されるようになったのが41年前モスクワ五輪ボイコットだ。政府、JOCの判断により五輪の舞台に立てなかった選手たちの“その後”とは?(全3回の2回目/#1、#3へ) モスクワ五輪のボイコット問題をめぐっては、のちのちまで語られる場面がある。それは1980年4月21日に、五輪参加を目指す選手やコーチが岸記念体育館で開いた「緊急強化コーチ選手会議」だ。その冒頭、議長役の柔道の佐藤宣践(のぶゆき)コーチが招集した理由を説明し、「モスクワに参加すべし」と提唱した。これを口火に選手・コーチが次々と発言を促され、すでに政府の意向を受けてボイコットに傾きつつあったJOCへの不満を爆発させる。それはまさに決起集会というべき光景であった。 なかでもレスリングの高田裕司(当時、日体育大学研究員・

    「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後”(近藤正高)
  • 多くの国民が無関心だった? 1964年のオリンピックはこんなにもダメだった - ジセダイ総研 | ジセダイ

    理想化された1964年の東京オリンピック 東京オリンピックは、3つ存在する。1940年の大会、1964年の大会、そして2020年の大会だ。このうち、1964年のそれは過剰に理想化されている。 日中戦争の影響で返上した1940年の大会は戦時下を象徴し、目下様々なトラブルを引き起こしつつある2020年の大会は「失われた20余年」を象徴する。この2つの東京オリンピックはいわば「暗黒時代」を背負っており、否定的なイメージを免れない。 これに対し、1964年の大会は高度成長期を象徴し、肯定的なイメージが強い。 当時の日は、戦後復興を成し遂げ、新幹線や首都高を建設し、先進国の仲間入りを果たした。当時の日人はみな夢や目標を持って、輝かしい明日に向かって努力していた。われわれはいま一度、2020年の東京オリンピックの実現を通じて、あの「黄金時代」を取り戻さなければならない。1964年の東京オリンピック

    多くの国民が無関心だった? 1964年のオリンピックはこんなにもダメだった - ジセダイ総研 | ジセダイ
    animist
    animist 2016/08/04
    始まる前は喧喧諤諤、始まったらば踊らにゃ損々。4~50年じゃ変わらない。
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