井端弘和 2月1日よりプロ野球各チームでは春季キャンプが始まる。春季キャンプは開幕へ向けて、1年間戦える体作りと実践的な練習を行い、選手はもちろんチームとしても"戦う準備"を仕上げていくもので、通な野球ファンにとって必見のイベントの一つだ。J SPORTSでは、広島、中日、オリックス、楽天イーグルスの4球団のキャンプの模様が連日中継される。 今回、井端弘和氏にインタビューを行い、古巣の中日ドラゴンズの2021年の総括と立浪和義新監督について、新生・中日ドラゴンズに期待するポイント、注目選手のほか、現役時代に春季キャンプで意識していたことなどを語ってもらった。 ――昨シーズンの中日ドラゴンズの総括と今シーズン飛躍するために必要なことは? 「投手力は両リーグでトップだったんですけれども、"ビジターでよく打たれて、ホームだと抑える"っていう現象が2021年もあったので、やっぱりそれを改善していか
10年ぶりリーグ優勝に向けた課題は?中日ドラゴンズの「野手起用・戦術」を振り返る 2021年1月31日 皆さん、こんにちは。今回は 「2020年の中日ドラゴンズの野手起用・戦術」 について考えてみたいと思います。 前回の投手起用編に引き続き、今回は野手の起用法や試合中における戦術にフォーカスを当てて行きたいと思います。前回の記事で指摘した通り、2020年の中日は投手運用を武器に「僅差で勝ち、大差で負ける」を実践することで、得失点差がマイナスでも勝率5割以上を達成することができました。では勝率5割を達成しながらもチーム得失点差は大きくマイナスだったチームの、野手起用・戦術はどうだったのでしょうか。 ▽8年ぶりAクラスの要因は?中日ドラゴンズの「投手起用」を振り返る また今季2011年以来となる10年ぶりのリーグ優勝を果たすためには何が必要なのか、についても以下で見ていきたいと思います。 1.
皆さん、こんにちは。今回は 「開幕一軍を目指す期待の若手野手」 について考えてみたいと思います。 当ブログでは昨年に「石川昂弥のプロ1年目を振り返る」や「根尾昂のプロ2年目を振り返る」などの記事で、将来有望な若手選手の活躍について取り上げてきました。 ただ当然ですが彼らのような入団前から騒がれてきたスーパールーキーや、一軍に大抜擢されて結果を残した選手はひと握りです。大半の若手選手は二軍で「その時」が来るのを待ちながら、日々レベルアップに励み実戦でのアピールを続けています。 今回はそんな昨季シーズンのほとんどを二軍でプレーした若手選手にフォーカスを当てて、注目選手を以下の点について紹介していきたいと思います。 ①昨季の総括 ②昨季の二軍成績 ③春季キャンプにおける現状 ④2021年の育成計画 1. 伊藤康祐 プロ4年目、21歳。 ①昨季の総括 プロ3年目の昨季は開幕前から打球角度を上げるた
今年のセ・リーグで首位打者を獲得したのがダヤン・ビシエド選手だ。2016年から中日ドラゴンズに入団したビシエド選手は日本1年目で22本塁打を記録。年々、打撃が磨かれていき、2018年の今シーズンは打率.348、26本塁打、99打点とキャリアハイの成績を残した。ビシエド選手はキューバ出身で、キューバリーグで活躍し、MLBでは5年間で66本塁打を記録。3か国でスラッガーとして活躍するビシエド選手に自身の打撃論、これまでの経験を存分に語っていただいた。 ―― ビシエド選手はキューバでプレーされていましたが、バッティングなどはどのような指導を受けていましたか。 ビシエド選手(以下、ビシエド) キューバは日本と同じように、みんな小さいころから上手で、色々なカテゴリーがあり、7~8歳、9~10歳、11~12歳というようになっていて、最初は基本的なことですね。ティーボールを当てて打つ、そしてそのスウィン
【球界平成裏面史(31) 中日落合監督解任騒動の巻(3)】平成23年(2011年)9月22日に中日・落合監督の退任が発表された。球団の将来を憂い“落合降ろし”を願っていた中日新聞関係者、生え抜きのOB、球団関係者などの反落合派にとっては念願成就。大仕事を成し遂げたフロントはヒーローとなってもおかしくなかったが、実際にはそうはならなかった。落合監督の解任劇に、アンチだったOBや球団関係者からは喜ぶ声以上にフロントへの不信感の声があふれたのだ。 発表のタイミングが4・5ゲーム差で追う首位・ヤクルトとナゴヤドームでの直接対決4連戦前だったことが一つ。「さあここから!」というところでの退任発表に「現場に水を差した。現場を軽視している!」と見られた。退任会見に落合監督はもちろん坂井克彦球団社長も姿を現さず、佐藤球団代表の説明だけでなされたことも「確かに落合のやり方は気に入らないが、あれだけの実績を残
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2019年08月05日 (月)星野監督についたうそ ※2019年3月29日にNHK News Up に掲載されました。 「勝ちたいんや!」の言葉で知られる闘将と呼ばれた監督は、ただそこにいるだけでぴりぴりしたムードがベンチに漂っていた。そんな監督にうそをついた選手がいた。そのうそは周りの目を気にせず、がむしゃらに目標を勝ち取ろうとすることがかっこ悪くないことを教えてくれる。春から社会に出る人たち、新しい目標に向かう人たちにも、その世界で生きるための一助になるうそだと思う。 ネットワーク報道部記者 松井晋太郎 <50番目の男> 井端弘和さん プロ野球現役18年(中日~巨人)で1896試合に出場 「社会に出れば横一線、スタートはみんな同じだ」 これは事実でないことを彼は知った。彼は井端弘和、元プロ野球選手である。 亜細亜大学を卒業して中日に
――横浜DeNAベイスターズとの開幕3連戦は1勝2敗と負け越してしまいましたが、ドラゴンズの戦いぶりを井端さんはどうご覧になりましたか? 井端 2勝1敗になる可能性は十分にありました。1戦目の結果は大敗でしたが、途中までは五分五分でしたし、しっかり戦っていたと思います。「今年は違うな」と思ったところで、2戦目は快勝しました。山井(大介)が40越えて開幕2戦目で勝てたというのも良かったと思います。 3戦目は初回で点を取られて、今までのドラゴンズだったらズルズル負けてしまうところを、投手が踏ん張っている間に打線が1点ずつ取って一度は追いつきました。あとは終盤の1点勝負の場面、送るところできっちり送る野球をやっていれば勝ちにつながったと思います。いい野球をしていたので、今後が楽しみになった3連戦でしたね。 ――井端さんからご覧になって、去年までのドラゴンズとはどのような違いがありますか? 井端
石垣は「今年に入って、実家から高校時代に使っていた外野用グラブを送ってもらいました。しばらくはこれでやります。今は1軍の試合前練習でも両方やりますが、少しだけ外野の方が練習は多いですね」と懐かしそうにグラブを見つめていた。 ビシエド、阿部、京田、高橋。1軍の内野手4人に入るのは現状難しい。大島、平田に続く、3人目の外野手に狙いを絞りつつある。 ドラゴンズ工藤外野守備走塁コーチは「雅海は決して足も遅くないし、守備範囲もまずまずですよ。始めたばかりですから、もちろん基本的な動きや打球に対する入り方、反応など課題はあります」。 「だけど外野をやる上で大きな欠点があるわけではない。試合に出ながら学ぶ部分も大きいんで。やっぱりあのバッティングは魅力ですから」と話した。 今シーズン、ドラゴンズはここまでセリーグトップのチーム打率を誇る。その数字はあの西武やソフトバンクに引けを取らない。しかしながら本塁
開幕前夜、大野雄大は田島慎二、小熊凌祐と横浜市内の中華料理店にいた。長い戦いの健闘を誓いながら、左腕は手酌で終始ノンアルコールビールを口に含んでいた。 「禁酒はキャンプ初日からです。好きなものを断とうと。今年にかけています」 3年連続二桁勝利や2年連続開幕投手など大野雄はエースへの階段を駆け上がっていた。しかし、去年はまさかの0勝。一気に輝きを失った。 去年の悪夢を振り払うために 今年、1つの信念がある。 「勝ち星は二の次。大切なのは試合を作ること」 きっかけは与田剛監督の言葉だった。 「去年のオフ、『来年は170イニングを投げて欲しい』と言われました。だから、それが最終目標。そのためにはまず、1年間ローテーションを守らないといけないし、そのためには毎回試合を作ることが必要と考えるようになったんです」 キャンプは順調だった。周囲の評価は上々。「球が走っている」「顔つきが変わった」と賛辞が並
今年の中日ドラゴンズは、去年とは一味も二味も違う。 もっとも大きな違いは、今年は大野雄大がすこぶる元気だということだ。 落合博満監督時代のドラゴンズの象徴はアライバだった。では、落合監督退任以降のドラゴンズの象徴は誰だったかというと、筆者は大野雄大と高橋周平だと思っている。監督が誰に代わろうが、この2人が活躍すればドラゴンズは活気づき、沈黙すればドラゴンズも停滞した。 与田剛監督はそのあたりがわかっているようで、高橋周平にはキャプテンという大任を与え、大野雄大にはホーム開幕戦を任せている。 大野雄大の魅力は明快だ。とにかく投げっぷりがいい。140キロ代後半のストレートをズバズバ投げ込む左の本格派。年間200イニング、3000球を投げるタフネスぶり。そして、マウンド上で相手打者を睨みつける誰よりも強い眼差し。人生で夏バテした経験がないと豪語する大野雄大を見ていると、馬車を引く馬のようだといつ
岩瀬仁紀と浅尾拓也。中日ドラゴンズの黄金時代を支えた2人のレジェンドの引退から早くも4ヵ月近くが経った。それでも目を閉じれば、彼らの勇姿、そして昨年9月29日、174回目となった最後の黄金リレーの様子がすぐに思い浮かぶ人も多いだろう。 彼らが輝かしい成績を残したことは誰でも知っている。では、いったい2人は何が凄かったのだろうか? 2人を間近で見続けてきた“左殺しのセットアッパー”こと中日ドラゴンズ広報部の小林正人さんにじっくり話をうかがった。 中日ドラゴンズ広報部の小林正人さん ©大山くまお 絶対に準備に手を抜かない岩瀬仁紀の凄さ ――さっそくですが、ブルペンで一緒に長い時間を過ごされていた小林さんから見て、現役時代の岩瀬さんの凄さはどのようなところだったでしょうか? 小林 岩瀬さんは1日のリズムが完全に決まっているんですよ。練習中に何をするかも全部決まっていて、それを毎日毎日きっちりこな
2017年、WBCオーストラリア戦での大仕事は記憶に新しいのではないか。しかし、世界を経験し、大きく成長して名古屋に戻った中日・岡田俊哉に待っていたのは、左手血行障害との闘い。シーズン中に手術を行い、先の見えないリハビリの末、ちょうど1年ぶりに1軍マウンドへ。完全復活へ確かな一歩を踏み出した。 WBCでは正捕手を務めた小林誠司(巨人)とのやりとり、その後の危機脱出などでその名を全国に知らしめた岡田だったが、WBC後、左手血行障害の手術を受け、約1年間、1軍の舞台から遠ざかることとなる。復帰登板は5月15日の広島戦(ナゴヤドーム)。奇しくも1年前、登録を抹消されたのと同じ日であった。 まさか1年前に登録を抹消されたのと同じ日に復帰登板が巡ってくるとは、なかなか運命的でしたね。 先発の(ライデル・)マルティネスが6対3と3点リードの6回途中、無死二、三塁とピンチを作った場面での登板となりました
83年にドラフト5位指名を受け入団、ドラゴンズ一筋32年、投手のタイトルをはじめ数々の最年長記録を更新した山本昌広投手が今シーズンをもって引退することとなりました。 入団してから2年間は1軍登板がなく、3年目の86年10月16日のヤクルト戦(神宮)でプロ初登板(中継ぎ)、初勝利はさらに2年後の88年8月30日の広島戦(ナゴヤ球場)、この年に5勝を挙げると翌年からは勝ち星を積み重ねていき、90年代は同じく左腕の今中慎二投手と先発二枚看板としてドラゴンズを支えていきました。 93年に17勝、94年に19勝を挙げ2年連続で最多勝に輝き、97年も18勝を挙げ3回目の最多勝のタイトルを獲得します。その他にも最多奪三振(97年)、最優秀投手(94、97年)、ベストナイン(94、97年)、沢村賞(94年)と多くのタイトルを獲得しました。 2000年代に入っても衰える事なく、06年9月16日対阪神戦(ナゴ
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