『今昔物語』とは、平安時代末期、1120年頃に編纂された「今は昔」という書き出しから始まる説話集。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E%E9%9B%86 その中に収録された話の一つを、漫画として描き上げた作品の内容がとても心揺さぶられるものでした。 歴史の授業で名前だけは知っているという人も多いと思いますが、中身についてはあまり知らないという人も多いはずなので、これはとても興味深い内容でした。
わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 日本文学研究(とくに江戸時代以前の文学の研究)で、どのようにインターネットを利用すればよいか、という問いに対しては、天野聡一さん作成のサイト「日本文学インターネットガイド」を紹介することが多い。そこには、漢籍文献のデータベースについても、有用なサイトの情報が載せられている。https://soamano.wixsite.com/nihonbungaku/kanbun さて、たまたま加藤弓枝さんからいただいた、『鶴見大学源氏物語研究所年報』第6号(2020年3月)に、表野和
『ジャパッシュ』は、望月三起也による日本の漫画作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて1971年20号から44号まで連載。 概要[編集] 美貌とアジテーションの才能を併せ持つ主人公・日向光が私的な軍隊組織を結成し、その魅力で民衆の心を掴み政権奪取に乗り出すストーリーである。当初の構想では、裏主人公の石狩による復讐劇をメインとする展開であったが「悪の主人公」としての光の存在が大きくなり過ぎたことで復讐劇が話中に占めるウェイトが小さくなってしまったため、読者の人気は高かったものの作者の意志により打ち切りを決断した[1]。 表題の「ジャパッシュ」は「日本」(Japan)とフランス語で「不良」「ならず者」を意味する「アパッシュ」(apache)を組み合わせた造語である。 ストーリー[編集] 20世紀初頭、メキシコでマヤ文明の遺跡を調査していた日本人考古学者が奇妙な石碑を発見する。その石碑にはアレク
“KuroNet Text Editor”は、「KuroNetくずし字認識サービス」による多文字くずし字OCR結果を編集するツールである。 KuroNetくずし字認識サービスが出力する、多文字くずし字OCR結果を含んだキュレーションに対し、読み順を編集する機能を提供する。 本ツールは、IIIF Curation Viewerをベースとして、OCRテキスト編集用途に特化して機能を加除したツールである。この文章では、本ツール固有の内容を中心に記述する。 目次 動作デモ/活用例 使い方 キュレーションの指定 読み順の編集 読み順設定対象 文字の読み順の追加 文字の読み順の削除 行の読み順の追加 行の読み順の削除 読み順の全削除 読み順の保存 キュレーションの記述仕様 文字マーカー 記述例 ライセンス 動作デモ/活用例 KuroNet Text Editorのデモンストレーション 使い方 キュレー
そういえば編者は(理系だが)大学院生であった。ということは手近に大きな図書館があったということである。 しかも、運のいいことに、他に近くに使いやすい図書館が二つもあった。せっかく史料が近くにあるのに打ち捨てておく手はなかろう…というわけで、 平成12年10月ごろから江戸時代までの史料を掻き集めにかかった。基本的に活字本に頼らざるを得ないとはいえ、整備が進んだ現今のこと、出る出る出る…。 ボツボツ入力も始めたものの、いつまでかかるやら。こんなわけで、何年経っても「建設中」の札は外せないだろうが、少しずつでも拡充していくつもりである。 年表は平安以前と鎌倉以後で二分しているが、その境目は通常と異なり、節会相撲廃絶の承安 4年(1174)までを「平安以前」、それ以降を「鎌倉以降」としているのでご留意願いたい。 下の大分類のどれかに収められているが、判断がつきにくい場合は解題から辿ることができる(
斉の宰相妟子(妟嬰。春秋史上最高の名宰相妟管子の片方)に「コイツの理屈は王侯貴族にしか通じない」と称される程、 孔子(孔丘)の評価は実はあまり芳しくない。 それなのに弟子の顔回があまりにも有名でその師匠曰くという所に魯の孔子が出て来るだけで、 中国では非常に尊ばれているのである。 加えてこの孔子と言う人物は中国曰く聖人君子の代表格とされるが、 呉の季札同様さして何かを成し遂げたでもないのにやたら持ち上げられる。 伝え聞いた所では……という塩梅で多少誇張された表現がこの孔子の周囲には多い。 更に孔子は当時仕官を断った妟子に対して、後に大した事がない奴だと扱き下ろしてる。 このように自分で何かを成し遂げていない上に傲慢な人間にも拘らずやたら名声だけが付いて回っている人物が 中国では尊ばれる風潮がある(孔子の子孫孔融も同様)。 三国時代に目を向けると、劉備玄徳や関羽雲長、諸葛亮孔明が「三国志演義
戻る 落穂集解説 落穂集は江戸中期の兵学者、大道寺友山重祐(1639-1730)が享保12年(1727年)に発表したもので 二種類があり、一つは徳川家康の出生から大坂夏の陣まで編年体で家康中心の伝記、今一つは家康の 関東入国以後江戸時代初期の政治、経済、社会、文化等の各分野の事始め的なものが随筆風に書かれて います。 国立公文書館には落穂集写本は12種程ありますが、この両方が別々に存在し、内一つだけ22冊 からなる写本の15冊が前者、追加7冊が後者として一括になっています。 歴史の一次資料として良く引用 されるのは後者で落穂選集と云われる事もあるようです。 此処で解読したものは後者で十巻、六十三話からなり、始めの四巻第一話までは古文書教室で解読し、 以降は公文書館所蔵の写本に基づき独自で解読を進めました。 写本によっては十一巻目として 「霊巌夜話大意の弁
戻る Home 1 目次 落穂集巻1 御当地御城始之事 一或人問曰(とうていわく)、御当地御城の義ハいつの頃、如何なる人の縄張を以て築(きずき) 申されたる事にや 答て曰、我等若年の節、故老人の物語り承(うけたまわ)りたる義是有候、以前相州鎌倉両管 領と申て本性(本姓)上杉なるが一方をバ山野内殿と申し、一方をハ扇ケ谷殿と申候、右 扇ケ谷殿の家老ニ太田備中守資清と申者の子息左衛門大夫資長と申せし 人、入道して道灌斎と改(あらため)武道文道ニ達シ、就中(なかんづく)城取縄張ニ鍛錬の聞え有之(これあり) 武州河越の城主なりし、鎌倉通用の為メ江戸表え一城ヲ取立べき所存 ニて爰彼(ここかしこ)ニ城地見立、始ニハ元吉祥寺の台を城ニ取立ント有て縄張などいたし 初ける所、或夜霊夢(れい
Copyright ©1998-2003 Petronius All rights reserved. 2001/04/22 修正 (2000/02/29 公表) 表紙 > 漢字・仮名 > 候文 候文は、文章の随所に「候」の文字を使用した、或る種改つた形態の文語体の文章を云ひます。 候文は、鎌倉時代にはほぼ成立し、江戸時代には公用文にも使用されてゐました。明治以後学校教育でも教へられましたが、現在では殆ど用ゐられる事がなくなつて仕舞つたほぼ死語に近い文体の一つです。 室町時代の初期に手紙文の作法書『庭訓往来(ていきんわうらい)』が書かれ、以後この種の書物の模範となりました。尤も、庭訓往来は、単に過去実際に交された候文書簡を集めて一冊の本にした程度のものにしか過ぎません。 候文には、過去形と終止形の区別がありません。読手が文章の全体を把握した上で、個々の「候」の部分が過去か終止なのかを判断す
どもども。時々、このブログで候文を引用し駄文を綴って居りますが、思ったよりも読み難いと感じていらっしゃらないかと、そう思いまして、手っ取り早い解決法と参ります! と申しましても、私の努力ではまったくございませんで、実の処は素晴らしいwebsiteを見つけたのでそのご紹介です。 候文と言っても、一次史料(資料?)ではなく*1、活字になったものを読むだけならば、読み方・綴り方のちょっとした癖が難しさの原因。しかし、型は大概決まっておりますから、それさえ読めれば良い話。 しかしながら、何ゆえか候文については、大概の本は読者が読めるものと前提を置いている。なぜだかそうなんです。国語辞書も古語辞典も候文固有の事柄をまずもって扱わない、、、読める方が周りになければ自力で地道に慣れる他はない。 普通の古文より難しく感じる方があってもおかしくありません・・・ しかし!さすがはネット時代です。あり難いウェブ
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