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都市と歴史に関するanimistのブックマーク (3)

  • 幻の川崎“8の字”モノレール計画とはなにか

    昭和時代の中頃から終わりにかけて、神奈川県川崎市に、モノレール路線の建設が計画されていたことがあった。 そのモノレールは、川崎市のいわゆる鉄道空白地帯をぐるりと結ぶ予定であったが、結局、作られることはなく、幻に終わった。 計画当時の資料を見て、どんな計画だったのか、ふりかえってみたい。 8の字モノレールの計画 神奈川県川崎市にあったモノレールといえば、向ヶ丘遊園にかつてあったモノレールが有名かもしれない。 このモノレールは今から20年ほど前に廃止され、現存していない。 さらにいうと、よみうりランドにも環状のモノレール線が1978(昭和53)年まであった。 モノレール線がこんな近くにふたつもあった 今では見る影もないが、川崎市はモノレールが豊富な土地柄だったといえる。そしてさらに、川崎市には実際に作られることがなかったモノレール線の計画があった。「川崎都市モノレール」と呼ばれる計画だ。 まず

    幻の川崎“8の字”モノレール計画とはなにか
  • 大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸~明治 | 毎日新聞

    発掘された「梅田墓」。墓の南端石垣の奥に、遺体を葬った丸い跡がいくつも並ぶ。発掘調査地はさらに奥に延びていたが、調査を終えて埋め戻されている=大阪市北区で2020年8月12日、矢追健介撮影 江戸~明治時代に、現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓(はか)」について、大阪市教委と市文化財協会は13日、発掘調査で1500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しいとしている。庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べたりして葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。 梅田墓は、江戸時代初期に天満周辺にあった墓を現・大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大阪に7カ所あった「大坂七墓」の一つで、近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島(しんじゅうてんの

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  • 都市をつくる─『新建築』2019年12月号月評|新建築社

    評者:羽藤英二 都市をつくるこの記事を読んで,ストリートを愛したジェイコブズの言葉 「都市の起源は黒曜市である」を思い出した. 建築家が設計する建築は,黒曜石と言えようが,内藤廣は,その黒曜石を売る市を,設計することを希求した.市は商いをするための広場やバザール,売買を支える制度など,さまざまな要素から構成される. ただし,今黒曜市に集う人はどこにもいない.黒曜石に価値がなくなったからだ. 土地に自然するナチュラルリソースと人を集める市の磁性は,都市の質を指し示しているが,その磁力には賞味期限がある. 上海,シンガポール,深圳,雄安新区,東京を取り巻くアジアの都市間競争は激化している.五島慶太がつくった渋谷はその盛衰をかけて,賭けに出たと言っていい.フォスター+パートナーズやザハ事務所が,世界中の都市設計競技において,まったく新たな都市と建築の関係を提案する中,日では,建築家が都市から

    都市をつくる─『新建築』2019年12月号月評|新建築社
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